お世話役009



「あいつ、わたしのこと好きなんだよ」

突拍子もないが、美羽がベランダから校庭を見下ろして言った。
ほんとうに突拍子もない。だってさっきまで去年の今頃インフルエンザ大流行だったねって話をしてたんだから。
その前には、今日は演劇の練習が何でかないんだよね、何でかな、もしかして予算足らないのかな、そうだったら中止かな、と笑っていたところだったし

「あいつってどいつ」
「そいつ」

全く持って代名詞の会話というのは、はっきりしなくてイラ付くものである。
その上自分の思う「それ」が相手の思う「それ」と違う時は、尚にかみ合わず、誤解をうむことまである。
だから、早く美羽に「どれ」なのか言って欲しいんだ、けど、
美羽はサッカーをしている「そいつ」に夢中のようで、目をきらきらさせながら歓声をあげている。
指差しでわたしに伝えているようだけれど、わたしの位置からして美羽の指は不特定多数の男子のいる方向を指差しているので、全然どれを言っているのかわからない


「今ボール蹴ったっ」
「あ、ゴールした」
「え、してないよ。誰見てんの陽奈」
「あれじゃないの?」
「あれ?あれは大野じゃん。1組の。あたしが言ってんのはそーっちの…」
「だからそっちってどっち」
「右側のゴールの近く!あ、ほら今!あれあれあれ!」
「はあ?あれとかそっちとか…もっと具体的に」
「あああああっ、今ゴールした!すごおおおい」

きゃーきゃーと一人で騒ぐ美羽。
こりゃだめだ。
そう思って適当にそこらへんの男子を眺める

「わかんないの?あの短髪の…なんだっけなあ、お名前」
「相手の名前もわからないで自分のこと好きだって言ってんの?」
「名前ど忘れした」
「ばーか」

うーんと頭を悩ませて、ぼそぼそと苗字らしきものを沢山呟く美羽。
校庭からは野太い男子の声と、それにはしゃぐ女子の声がまじって丁度いい雑音。今昼休みだし、どんどん眠くなっていく。まるで催眠術でもかけられたみたい。風は心地いいし耳は呆けてるし目は重たいし身体はあったかいし。
日向ぼっこしてるときの猫になった気分
(猫が日向ぼっこしてるとき、どんな気分なのかなんて体験したことないけど、多分こんな感じだろうと思う)

「ねむたいです」
「寝ちゃえばいかかでしょう」
「ん…」
「…予鈴すぐ鳴るけどね」
「ったくもー」

美羽の言うとおり、すぐに予鈴が鳴った。
めんどくさくて死にそう。掃除なんてしたくない。
今話題のお掃除ロボットとか予算で買っちゃえばいいじゃん。どーせ保護者からもらってあまってるお金くらいあるんでしょ、

あくびをひとつ。秋のここちよい寒さにからだがぬくもりを蓄えようとする、
その感じがすごく心地よかった

「陽奈ちゃん」

声をかけられて、もう相手は誰だかわかっていたけど、あえて驚いたそぶりをした

「あー、さゆ」
「途中まで一緒に行ってもいい?」
「もちのろんですよ」

さゆの顔を見るたび思い出す
昨日の、できごと

犬山君、さゆに言っただろうか。
生徒手帳を姫役の女子に届けられた、と告げただろうか。
さゆは、どう思っただろうか…
なんだかまたよからぬ勘が働きそうだったので、思考のシャッターを無理矢理閉めた

「今日あったかいね」
「うん。だよね。秋って感じしないね」
「校庭でサッカーとか、夏の風物詩なのに今更…。ふあ」
「わかるわかる。今日春みた…ふああ」

あくびがうつっちゃった、なんて笑ってみせるさゆが可愛かった。
わたしがこんなことを言って舌を出した日には、多分、全校生徒が引いちゃうんだろうな
そういう意味でさゆがすごく羨ましかった。女の子らしくて、まるで

「…放課後がんばろうね」
「うん」
「あと1ヶ月切ったし、大分根つめてやると思うから。陽奈ちゃんそういうの面倒臭いって言いそうだけど」
「あーすっごい面倒臭いね。さぼってもいいかしら」
「お姫様にあるまじき発言ですよー」

さゆがそうふわふわと言って、じゃあね、とわたしに手を振って掃除場へ行った。
さゆと話しているとこっちまで口調がかわる気がする
お砂糖菓子みたいなものに話しかけるみたいな、汚い鋭い言葉をかけたらすぐにその姿が豹変しちゃうみたいな。
そう思うと大分わたしにとってさゆって扱いにくい子…って言っちゃいけない
生きてる時限が違うんだ、そう思わざるを得ない存在だった

でもそれはともかく、さゆが犬山君のことをわたしに言ってこないのに驚いた。
犬山君のことに対して何かあったら泣くと思っていたのに。いや、思い込みかもしれないけど、本当にそんなイメージなのだ
もしかして前に泣いちゃったときより犬山君に対して執着がなくなったんだろうか
それとも犬山君がそのことをさゆに言わなかったんだろうか

わたしよりお姫様らしいお砂糖菓子の妖精と、王子様のあいだに、何かが、




まあ、そんなことはどうでもいっか





色めく花盛り
(あの娘はきらきら わたしはもやもや)

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