お前さんが悪い





泣き始めた十和子は私に背を向けていた。見たくない、聞きたくないと目と耳を塞ぎひたすらに泣き続けた。私は、なだめることなどしない。泣き止むのをため息混じりにただ見つめるだけだ。



悠々と、閑々と。机に肩肘をおいて、その手に顎を乗せて。羽織っていたコートもベストもリボンすらも、そこらにぽい、と脱ぎ捨てる。そういえば十和子には、脱いだものは片付けろと注意されたものだ。



「十和子」
「…っ……っ…」
「十和子」
「っ……」
「お前さんが悪い」
「どうして!!?」



かしゃん!
掴んだ檻が虚しく啼く。涙で汚れた顔が私の胸を鷲掴みにした。こんな状態でも愛しいと思う私は狂っているのだろうか。いや、十和子のことで狂えるのならそれも嬉々。私とは正反対に、悲観と憎悪に満ち満ちた目を向ける十和子。そんな目をしても無駄だ。私はお前さんを逃がすつもりは毫ほどもない。



何をするでもなく見つめあい、時が過ぎる。それはあまりに無情で、しかし私には幸せであるような短い間だった。



「十和子」
「なに」
「私はお前さんを愛しているんだ」
「!」
「お前さんだって、満更でもないんじゃないのか?」



射抜くように眼差しを与えれば、背かれる十和子の視線。何故だ。何故私を見ない十和子。先ほどから、私を見る目に溢れる涙から、奴を映す。私はずっと、十和子…お前さんが私の傍で助手をしていた頃から、お前さんの視線は痛いほど私に向いていた。いくら私でも、尊敬と愛情の違いには気づくものだ。あの頃はそんな余裕もなく、十和子の気持ちを汲んでやることも摘み取ってやることもしなかった。まだ私に少しでも愛を持っていてくれているものだとばかり思っていたのに…。


私が短いと思っていた期間は、お前さんにとって長かったということなのか。




つくづく、妬ける。



「お腹は空いていないか?」「虚無感でいっぱいよ」
「…奴との子など、邪魔なだけだ」
「それでも私の赤ちゃんだった!!」
「これから私との子をつくればいい」
「絶対に……お断りよ…」



そんな無駄口も、いつか叩けなくなる。これから十和子が目にするのはこの世界だけだ。空は、この天井につけられた窓越しだけ。草木や花も、私がお前さんに見せてやりたいと思うものだけ。男はこの、私だけだ。私以外を目にしなくてもいい。十和子の瞳に映るのは私だけでいい。これから私とお前さんの二人だけの生活が始まるのだ。余計なことなど、何一つ考えてはいかん。



「…せんせ?」
「なんだ?」
「おしごと、は?」
「ああ、休暇を取っている」
「私に構わず、仕事をしたらいいですよ。もう、逃げる気にもなりませんし」
「それに対する答えは却下だ。まだ数時間足らずで逃げる気力を失う者などいない」
「先生だから許してあげるって言ってるんですよ?」
「許しを乞うつもりもないのでな」



かわいげなく、会話を続ける私たち。どうやって逃げようか、逃げるなら私が居ない間が一番効率的だとかは誰が考えても想像がつく安易な計画だ。そんな罠にまんまとひっかかってやるつもりもない。逃がす気なんかさらさら無い。むしろこのまま、永遠に仕事をせずお前さんと世界から身を隠し、生き続けることもいいかなと思っている。そんなことを言えば、また不安がるだろうから言わないが。




「先生、最近新しい助手を見つけたそうじゃないですか」
「ああ…君と入れ違いになった子だ。ピノコという。身長体格は幼児だが、中身は立派な大人だ。助手としても使えるやつだ」
「そうですか。それは良かったですね」
「妬いているのか?」
「ピノコちゃん一人残してこんなところにいるあなたなんか、さして興味が持てません」



十和子は冷たい目を床に添えた。ピノコなら大丈夫だ。彼女はああ見る通り単純だ。仕事だなんだと言い訳していればどうってことはない。




「愛しているんだ十和子」
「…犯罪の理由に愛を使わないで下さい。今のあなたは自分勝手な子供よ!」



ガシャン!!!!



掴んだ檻が酷く震えた。鳴り響く金属音。小刻みに上下運動した十和子の肩。



「自分勝手…?」
「そ、そうじゃない!欲しい物が手に入らず駄々をこねる自分勝手な子供よ!」
「それは…」



イケナイことなのか?


今まで散々我慢してきた私は、欲しい物を欲しいままにしても良いだろう。阻むものなど、誰もいやしない。


もしそれがイケナイことだとして、叱られるのならそれは



「与えてくれない親が悪い。…そうだろう?」

「せん、せ……」



柵越しに十和子の頬を両手で掴み、目線を絡ませた。私を見なさい十和子。


この檻は私の最後である理性の砦。逃げ出し破壊し切り刻もうものならば、私は容赦なく取り返しのつかないことを平気でやるだろう。



そんな檻の中で、目線を絡ませたままの十和子は、瞬きもせず涙を流した。




20091221
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