嫉妬して欲しかった?
私の生活が一変した。
これまでいろいろな人生を繰り返してきたが、ここまで自分の気持ちに素直になったことはない。キリコと争った時だって、手術が失敗に終わった時だって、何かしら自分を抑えていなくては、自分は破壊されていた。
今日。街で偶然見かけたのは懐かしい彼女の声。一時私の助手になりたいと、声をかけてきたことがあった。私は助手など要らなかったし、自分のことで手がいっぱいだった。にもかかわらず彼女を私の傍に置いたのは、キリコが彼女に目をつけたから。私の目の前で、堂々と彼女を誘惑していたからだ。さすがに一般人を殺し屋に渡せるものかと、助手の話を引き受けたのが始まりで。それから暫く、私の隣には彼女がいた。
彼女も仕事熱心だった。私が言わずとも、進んで勉強していた。急な患者が来ても対応できるように、全ての症状に対する応急処置だのを独学で学んだ。大したものだった。彼女が来てから仕事はやりやすく、持て余す時間も増えたものだ。仕事のない日は二人で食事に出かけたり、ドライブなどにも行った気がする。話すことは到底仕事のことばかり。男女が二人きりでするような話ではなかったが、私は…多分彼女も、楽しかったんだ。
しかし突然彼女は辞めた。理由を明かすことはなく、また私も聞くことはなかった。居なくなったら前の生活に戻るだけであって、なんら変わりないものだと思っていた。
彼女が居なくなった家の中は、まるで一つ大きな家具がなくなったような、柱が一つなくなったような、崩れることはないのだけれど何か物足りない。そんな感じだった。
それと同時に舞い込んできた仕事で、私はピノコをつくりあげた。そして、引き取った…。なぜそうしたのか自分でも分からん。ただこの虚しさを埋めるためだったのかもしれない。私に似るそれに、同じ気持ちを抱いたのかもしれない。どちらでもよかった。ピノコが私の支えになるのだと、そう思った。
それから彼女の話を耳にすることもなく時が流れた。ピノコとの生活にもなんら支障はなく、だいぶ安定した生活を送っていて。もう暫くすれば彼女のことを、昔の思い出として蘇らせることができるだろうと思っていた。
しかし、だ。街で聞いた彼女の声。沸き上がるような高揚感と、声をたどって見た景色に私は思わず絶句した。私の気持ちは彼女に向いている。暫く経った今やっと、私は彼女が好きだったのだと知った。久しぶりに目に留めた彼女の隣には、知らない男性。二人で笑いあう。その手はぎゅっと握られていて、
彼女のお腹は大きかった。
焦燥と絶望の葛藤。その隣で納得と後悔。私のもとから離れた時すでに、彼女のお腹には命が宿っていたのだろう。身籠った身体でこの仕事は危険だ。まして旦那でもない男のそばでは…。
そうか、そうかと納得を繰り返しては冷たい眼差しで彼女らを見続ける。彼女は笑みを絶やさず、ひたすら嬉しそうな顔をしていて。心臓を鷲掴みにされてしまったような、今にも二人を引き剥がして私のものにしておきたいような。
そう思ったら私の中で密かに練り上げられる感情が顔を出し、二人のあとをつけていた。ついた先は豪華なわけではなく、むしろ貧相な至って普通の家。家庭の愛情を一心に、一身に受けられそうな、幸せそうな家。
私は醜いものだ。
こんなに感情が抑えきれなくなるほどに彼女を愛していたのに、それを伝えることもしなかったくせに、今頃気付いたくせに、
彼女を私のものにしたいと思う欲望だけで
彼女を連れ去った。
彼が仕事で家を出た日、彼女が一人、留守番をしていた日に。クロロホルムを嗅がせ、多少強引に、荒い連れ去り方をした。
車に乗せれば、真っ先に考えるのはどこに監禁しようか。家はだめだ。ピノコがいる。そうだ、前に買ったシェルターにしよう。きっとあそこなら見つからない。
お腹の子には悪いがおろさせてもらう。十分に彼女と愛するには、私の知る彼女のままで居なければならない。私以外の男とできた子がいては、彼女は奴を思い出してしまうだろう。仮にも、無免許ながらにも医師という肩書きを持つ私が、命を粗末に扱うなどおこがましい行為なのは分かっている。だが私は彼女を手に入れるためなら、手段を選ばない。今は…。
キキーッ…パタン…。
カチャ、カチャ、カチャ、カチャ…
ズル…
「ん……?ここは…」
漸く目覚めた彼女が言う。まったく状況を理解していないのは当たり前だ。久しぶりに再開した私になんの声もかけられないのはこの状況下のせいだろう。それでも私は彼女の知る私通り、いつもの表情で彼女の名前を呼んだ。少し怯える彼女が真っ先に気付いたのはお腹の異変。
「あ…赤ちゃんが……!!」
居ない。
半狂乱まがいの焦りっぷりに、私の心が冷える。それまでに彼を愛していたのか。そんなものはもう無駄な感情だと、囁いてやりたかった。
檻の中で奇声をあげる彼女。その姿はまるで、サーカスで使えなくなった猛獣のようだ。私は君を愛し尽くそう。もう見離したりはしない。帰ってきなさい。私の十和子…!
「せん、せいが…!こんなことを…!?」
「十和子」
「どうして!?なんで先生が、どうしてっ…!」
「十和子」
「帰して…私を……私を彼のもとに帰して…」
「十和子」
「せんせ………」
「そんなに、私に嫉妬して欲しかったのか?」
十和子の顔が、みしりと歪んだ。
20091213
戻る