愛の矢印5
学園長先生のお使いを頼まれた帰りの山道。私は一人の男とすれ違った。

傘を深く被り、薬師の風貌をしたその男は自分と同じ匂いがした。――即ち、忍者ということだ。

足場が悪い急な斜面を、重たそうな箱を背負いながらひょいひょいと軽い身のこなしで登っていく。

――他人のことを心配している余裕ではなかった。私はこういった場面ではいつも不運な目に合ってしまうから、気をつけて行かないと……。

慎重に山を降りる私とは真逆に余裕綽々の様子で山を登る彼を、私は羨ましく思い背中を見つめた。

――その時だった。

彼が飛び乗った足場がぐらりと崩れた。


「――っ!」


彼は手を伸ばし、木の枝を掴んだが、その枝は意図も容易く折れてしまう。

私の不運が彼に飛び火したのだと思った。

無意識に体が動いた。

斜面を転げ落ちてきた彼を、真正面から受け止める。速度は落ちたものの、勢いを止めることは出来なかった。彼の体を抱いたまま、私は草むらに突っ込んだ。





***





……――額がひやりと冷たいのに、首や後頭部はほんのりと温かい。


「……んっ」

「あ…! 目が覚めたかい?」


頭上から男の声がした。

ぼやけた視界がはっきりすると、男に至近距離から見下ろされていることを理解した。


「目覚めてすぐで悪いが、どこか痛む場所はないか?気分は悪くない?」


自分を見下ろす男の瞳が不安そうに泳いでいる。


「大、丈夫です。あなたは……」

「それは良かった……。私は薬師をしてます。五条弾と申します」

「そうではなく――、あなたに怪我がないかを、聞いているのです」


ぱちりと瞬きした彼の目が、私によく似ている様な気がした。


「――優しいな、君は。私は、君のお陰で肘のかすり傷だけだ。大事ないよ」

「それは……良かったです」


一瞬、彼の笑顔に見惚れた。

憂いを帯びた、儚げな表情で笑う人を初めて見る。

――すごく、綺麗だと思った。

彼がもぞりと動いて初めて彼の太ももに頭を乗せていることに気付いた。

私は驚いて飛び起きた。


「あ、す……すみませんっ!」

「何を謝る事があるんだい?こちらこそすまない。――生憎、枕の代わりになりそうな物を持ち歩いていなくてね」


私は首を横に振った。

嫌ではなかった。――寧ろ……。

彼は菅笠を外して、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「何だか不思議だ。初めて会ったはずなのに、初めて会った気がしない」

「……私もです」


暫し、互いの顔を観察する。

彼の髪は、お堂の屋根からもれた光を受けて深緑に輝いていた。
緩くウェーブがかかったその髪が、彼の持つ儚げな雰囲気をより一層際立たせている様だった。

沈黙を破ったのは、彼だった。


「手当てしている時に気が付いたんだけど、君……忍者なんだね」


私が何て言ったらいいかと考えていると、彼はもう一度口を開いた。


「――……私もね、忍者なんだ」





***





伊作は帰り道、再びあの忍者の事を考えていた。


「私は、五条弾」

「……私は、善法寺伊作です」


――五条さん、か。


「伊作くん、助けてくれてありがとう。これ、打ち身によく効く薬だから、受け取って」

「ありがとうございます」


薬を受け取って礼を述べると、五条さんは大きな箱を背負って菅笠を被り直した。


「……また、君に会えるといいな」


そう言って、どこか悲しそうな笑顔で彼は去って行った。

また五条さんに会いたいと、私もそう思った。

彼がくれた打ち身薬を、懐から手にとって眺めてみると、あの笑顔が頭に浮かぶ。

体の節々が痛む。

この薬を見るたびに彼の笑顔を思い出してしまいそうだと、少し薬を塗るのが楽しみになった。
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