フィッテングリビドー
 ージリリー
 けたたましい目覚まし時計の音が鳴り、私は目を覚ました。サイドテーブルへ手を伸ばし、スイッチを止めるとベッドから身を起こし、傍らの彼女へ目をやった。寝起きの悪い彼女は目を覚ます気配がない。
「スマホの音じゃ起きられないんだもん」
 彼女が文句を言いつつ選んだ、時計店で音が一番に大きい目覚まし時計なのだけれども。
 私は彼女を柔らかく抱き起こすと、ベッドを抜け出しクローゼットから二人分の服とバスタオルとを取り出した。
 バスルームへそれらを運んでいると
「起きるの辛い」
 彼女も文句を言いつつやって来た。眠り姫な女王様。バスタブへお湯を張り彼女がお気に入りのダマスクローズソルトを入れると、私達はシャワーを浴びた。高級ホテルへ泊まった際に、彼女が気に入った、アメニティグッズをネットで取り寄せ使っている。カサブランカのむせ返るような濃い香りがバスルームへ漂う。彼女の身体をボディソープの泡で優しく包む。彼女と付き合ってから、巨乳は胸を持ち上げ裏乳も洗う事を知った。彼女の胸をマスクメロンを食べる度に思い浮かべる。大きく柔らかく甘いジューシーな汁を滴らせる果実。デリケートゾーンは専用の石鹸を、無印のネットで泡立て丁寧に洗う。彼女が湯舟に浸かると、私も身体を手早く洗い湯舟へ入った。マンションの狭いバスタブでは否が応でもお互いの身体が密着する。彼女へ素肌で密着できるバスタイムを私は大好きだ。バスルームを出ると、彼女の身体を拭き、純白のシルクでオーダーしたフラジャーや服を着せた。最初は他人へブラジャーのホックを止める事に、戸惑いを覚えたが今は慣れた。
 彼女は黒地に白く大柄な花が咲いたワンピースへ、白いカーディガンを肩掛けし、白いシャツに黒いパンツスタイルの私と夕陽に染まるマンションを出た。予め呼び出しをしてあった、タクシーに乗り込む。タクシーの中で、彼女はウイダーを、私はカロリーメイトを口にする。二人で一緒に働いているクラブへ入ると、彼女はスタイリストが常在している更衣室へ姿を消し、私は持って来た小さな黒い本革バッグからベストとネクタイとを取り出し、身に着けるとバーテンダースタイルになった。バッグはカウンターの裏に転がしておく。マネージャーによるホステスとスタッフとバーテンダーを集めた、ミューティングが終わると開店し、No.1の彼女はすぐ接客に入り、私はバーカウンターの中へ入った。本格的なバーがあるのがこの店の売りだが、大半の客はホステス目当てだ。木製のカウンターを磨きバカラのグラスをピカピカにし氷を削り時間を潰す。やがて男女カップルが来店し、カウンターへやって来た。
 男性は最初はどこかの起業家の紹介、その後は一人で何度か来店した事がある、バレバレの白髪を茶髪に染めた、ちょい悪オヤジを勘違いしたかのような男性だ。傍らには世間知らずそうな二十歳そこそこの女性が居る。
「ブルーのカクテルある?」
 単刀直入に男性が聞いてきた。
「申し訳ございませんが、ただいま材料を切らしておりまして」
 ポーカーフェイスで答えると、男性は怒りを露わにした。
「本格的なバーを自称する癖に、材料を切らすとは何事だ」
 その隣のスツールへ、彼女が花が咲くかのようにハラリと座った。
「カクテル何か気にしないで楽しみましょうよ」
 彼女はおっさんの腕へ豊満な胸を押し付けると、耳元へ囁いた。
 おっさんの好みは私も知っていた。胸の大きなホステスばかり指名する、だがNo.1の彼女は指名できない小物だ。彼女が隣に居る事にデレッとするおっさんをよそに、娘さんはシレッとしている。私は娘さんへ囁いた。
「逃げるなら今の内」
 娘さんは一瞬だが大きく目を見開いた後にコクリと小さく頷いた。
「ちょっと、おトイレ」
 娘さんはトイレではなく出入口へ向かったが
「ああ」
 彼女に夢中なおっさんはうろ覚えな返事をし、娘さんへ目をくれようともしなかった。
「ごめんなさい、おじい様が呼んでいるわ」
 彼女は娘さんが逃げた事を横目で確認すると、花びらが散るかのようにスツールから滑り落ちた。事実、政財界の大物である初老の男性が、ボディガードを伴い入店をした。
「チッ」
 彼女の後姿を見ながらおっさんは舌打ちをした。
「チェッ」
 獲物が逃げた事に気付くと、おっさんは更に大きな舌打ちをした。合皮の茶色い二つ折り財布から現金で会計を済ませる。
「ありがとうございました」
 彼が出て行くのを見送る。
 ブルーのカクテルは、アメリカと韓国では麻薬へ指定されている、中味の青い睡眠導入剤を混入される恐れがある。それに、行きずりの相手と寝るのは危険を伴う。先進国の中で梅毒とHIVの罹患率は日本がトップだ。店の方針で、彼女も私も定期的に性病検査を受けている。
 ふと視線を感じると、店の片隅でマネージャーが
「グッジョブ」
 と親指を立てていた。彼はフェミニストでも何でもない、警察沙汰が起きたり、店の評判に傷が付く事を恐れる、ただの小心者だ。彼女と私が水戸黄門の居ない角さん助さんの役目を果たしている事で、店内恋愛禁止を免れている。
 閉店になりバッグへベストを仕舞い、薬指へカルティエのリングを嵌める。彼女へリングの持ち歩きなんて、無くしたらどうするのか聞いた事があるが
「また買えばいいじゃない」
 シレッとした顔で答えた。
 先ほどまで結い上げていた明るいブラウンの髪を肩甲骨までおろし、行きと同じスタイルの彼女が現れた。
「お先に」
 彼女は嬢らへ微笑むと、客からのプレゼントを渡した。彼女は物欲がなく、嬢らへ気前よく客からのプレゼントを渡す。彼女の気風の良い姉御肌へ嬢らは惚れ込んでいた。彼女の後を追い店を出る私の背中へ、嬢らの嫉妬の視線が突き刺さる。私は振り返ると微笑みかけた。まだ甘噛みしかできない、爪の柔らかい子猫ちゃんら。嬢らが子猫なら彼女は百獣の女王ライオンだ。
 既に呼んであったタクシーへ乗り込み徒歩僅か十分の店へ着いた。
「いつもありがとうございます」
 初乗り五百五十円だが、釣りはいらないと千円札を渡すと初老の男性は黙って受け取った。
 彼女が明け方の街を歩く事を嫌う理由は、コンクリートをピンヒールで歩くのは苦痛だからだ。
「足が痛い」
 八センチメートルあるヒールではそりゃ痛いだろう。底の低い革靴を履いた私へもたれかかる彼女の体重を受け止める。
「チリーン」
 店のドアを開けると、鎖骨まである黒髪を一つに束ねた裁縫士があらわれた。
「ご注文の品が出来ていますわよ」
 裁縫士が店の奥からカウンターまで服を持って来た。
 服を持ちフイッテングルームへ入る彼女を見掛ける度に、子供の頃に幼馴染の彼女と実家でしたバレバレのかくれんぼを思い出す。彼女は隠れるのが下手ですぐ私に見つかった。私は階段下の掃除機が入っている、スペースなどを見つけて隠れるのが上手かった。
 彼女との同棲を決め、友人に軽トラを運転して貰い、荷物を積んで家を出た日の事を思い出す。門で母親はさめざめと泣き、父親は腕組みをして仁王立ちしていた。荷物を積み終え助手席に乗ろうとした時に、父親がつかつかとやって来た。いきなり私の左頬を平手打ちすると無言で家の中へ入って行った。
「お前の親父さんかっけー!」
 運転席の友人はハンドルを叩きながら、ゲラゲラと笑っていた。
「親父にもぶたれた事ないのに!」
 このフレーズ使えなくなった。ったく星一徹かよ。切れた唇から滲む血の味を噛み締めながら思った。
 ……長いな。フイッテングルームを見ながら思う。今日はいつもと少し違う組み合わせだ。
 彼女はカーテンの陰で四苦八苦し、ブツブツと呪文のように文句を呟いているのだろう。毎夜ベッドを共にする彼女の姿態が目に浮かぶ。だが、彼女はまだ処女花を散らしていない純潔の花だ。私の生ける着せ替え人形が、ベッドでどんな痴態を露わにするのか。思い出すだけで興奮が下腹を温める。
「サイズはいかがでしようか」
 裁縫士の言葉にカーテンを隔てて、彼女が答える。
「ピッタリよ」
 私が裁縫士なら隔てを破り、悲鳴を挙げる彼女の細い腰に巻き尺を絡め、素肌にわざと針を肌を刺してしまうのに。
「着てみたけど」
 やっとカーテンが開いた。
「よくお似合いですわ」
 裁縫士の言葉に彼女はくるっと回ってみせる。
 白い半袖のジョーゼットブラウスに、ウエストへリボンが巻かれた白い七分丈のパンツを履いている。18金プラチナの細いチェーンが、彼女の華奢な足首を引き立てる。膝まである高貴な紫色をした麻のカーディガンから覗く、やはり華奢な手首にはティファニーJ12が巻かれている。
 私が菜の花色をした本革の長財布から、ゴールドカードを取り出していると、裁縫士が思い出したかのように言った。
「そういえば、百合花さんのお名前はお伺いしました事がありますが、お連れ様のお名前を聞くのを失念していました、失礼致しました」
 彼女は私を抱き締め、18金プラチナのペアリングを裁縫士へ見せた。
「この子は菜々。私のパートナーなの」−−End.−−
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