挨拶は肝心
今日はお休みではないので文次郎さんは休憩が終わると授業に行かれてしまいました。やはり来た初日というものは暇で仕方なく…またうとうとしてしまいます。
放課後になれば文次郎さんが団蔵君を連れてきてくれるとお約束をして下さったので放課後がとても楽しみですがそれまで何をしましょう。机の上に置いてある裁縫道具を手探りで探しちくちくと手拭いに刺繍をしていきます。
ちくちくちく…目は見えなくとも手の感覚で私は縫物をします。最初はなれなくて指にたくさん刺してしまったりしたけれど今ではお手の物です。結構村では評判いいんですよ?はあ、早く誰か制服など破けた着物を持ってきてくれないでしょうか?あ、でも来た初日だからまだ皆さん知らないのかもしれません…
#bk_name_2#「はあ…」
ため息を一つ落としてみても特に現状が変わるわけではないのですが…手持無沙汰です。ちくちくちく、縫物を再開します。それ以外することがないのですから
「椛いるか?」
戸がすっと開きました。戸が開くと共にその人の香りが入ってきます…何かが少しおかしいです…私は首をひねりながら口を開いた。
椛「は…い。えっとあの…」
「どうした?俺だが」
可笑しいのです、声はあの人ででも匂いやニュアンスがどこか違うように聞こえるのです…それは私の勘違いなのでしょうか??私は目見えないから確認しようがありません…
椛「文次郎さん…ですか?」
「嗚呼…どうしたんだ?」
椛「いっいえ、なんだかいつもとは違う匂いがしたので文次郎さんではないのかと思いました」
「…少し汗を流してきたんだ」
椛「そうなんですか」
あ、汗を流してきたんだ。それでいつもとは違った香りがしたんですね。よかったやっぱり文次郎さんだったんだ、ほっとしたら文次郎さんは少し離れたところに座った。どうしたんだろう、いつもは横に座ってくれるのに
椛「そういえばもう放課後なんですか?」
「いや、今はまだ授業中だ」
椛「えっ?なら授業に出なくてもいいんですか?」
「今は自習の時間だからな、大丈夫だ」
椛「そう…なんですか?」
「それより椛」
椛「なんでしょうか?」
「包帯を取ってみてくれないか?」
椛「…包帯をですか?」
何故そんなこと言うのだろう、なんだか文次郎さん変です…疑問が次々と出てきます。でもなぜだかこの文次郎さんの発せられる声には重みがあり、なぜだか逆らってはいけないような気がして私はゆっくりと包帯をほどいた。
椛「…あの…ほどきました」
「ああ…」
ゆっくりと私のほほに手を添え何かを確かめるようにするすると触っていく…不快な感情が私の心を支配していく。この手が私の顔を這う度に私の体はびくついてしまう…この手は文次郎さんの手ではないです、ごつごつとした感じは似てはいますが違うのです。
貴方はいったい誰ですか?
椛「あなたは…」
「ん?どうした…?」
椛「あなたは誰…ですか?」
「は?何を言っているんだ?」
椛「文次郎さんじゃない…あなたは、誰なんですか…??」
「文次郎だ、潮江文次郎」
当たり前だという感じに言ったその人は私の顔を触るのをやめた。
椛「…違います…あなたは文次郎さんではありません」
「何を言っているんだ?俺は文次郎だ」
椛「違います」
嗚呼違います。やっぱり違います、あの人は私にそんな冷たい言い方はしませんでした。どれだけ私の足が遅くてもどれだけ私の返事が遅くてもどれだけ私が泣いても…そんな冷たい言い方はしなかった。
自信を持って言えます、文次郎さんのことが大好きだから…私には別人に感じるのです。
椛「私には別人に思えます…誰ですか?」
困ったように聞くともう返事はなかった。それがなんだかとても恐ろしく感じた。
「…何故だ」
ぽつり、文次郎さんの声で地を這うような低い声で言った。私は驚いて座っているにもかかわらず腰を抜かしてしまった…逃げたくて仕方がないのに動けなかった。近づいてくる…逃げなくちゃ、頭の中で警報が鳴っているけれど腰を抜かした私は動くことができなかった
「どうして分かった?」
椛「っ…ゃ…」
じりじりと近づいてくる人…怖い怖い怖いっ私はそんなに怒らせることをしたのでしょうか?本能で逃げなければ殺されると思いました。
「なあ?声しかたよる物がないお前に何故分かった?」
手をぐっと掴まれ怒鳴られる、淡々と言葉を発するこの人が怖くて情けなくガタガタと震える体を無視して追い詰めてくる。怖いっ助けてっ誰か…文次郎さん…
「聞いてるんだ、答えろよ」
どんと投げられる体、畳に無理やり打ち付けられる。痛くて痛くてこの痛みからも恐怖からも逃げたいのに体が言うことを聞かなくて…そうしている間にその人は馬乗りになってきて私の体の自由をあっという間に奪っていったのでした。
「嗚呼そうか、怖くて何も言えないか?なら俺が優しく聞いてやるよ
なあ、椛どうして分かったんだ?」
どくり、どくり。心臓が波打つ音が聞こえる。怖い文次郎さんの声を使って私に問いかける声が怖い…どうして?何故そこまで私に聞きたいのかわからなくてでも早く解放されたくて私は口を開いた
椛「て…手の、さわり心地が…違ったから…」
「は?」
椛「文次郎さんの手じゃない…話掛けかたがっ違う…からっ」
「んな事かよっというかお前くのいちなんじゃないのか?それで違うとわかるだなんて」
椛「なっそんなっ私は忍者ではないですっ」
「ふんっそんなの口ではどうとでもいえるね」
その人は乱暴に私の手を押さえつけると片方の手で私の服を脱がそうとしてきた。
椛「ゃっやめ…」
「その辺にしておけ、後が面倒だ」
「っ」
誰かの声がしたと思ったら上に乗っていった人がいなくなりどんっと音がした。そして誰かが私の着物を直してくださると優しく起こしてくれました。
椛「あっあの…あなたは…?」
「安心しろ、あいつのように襲いに来たのではない」
「先輩邪魔しないで下さい」
「お前はやりすぎだ、一般人にそこまでしていいわけがない」
「怪しいから確かめたまでです、それがどう悪いのか私にはわかりませんね」
そういうとその人は戸をピシャリと閉めた。ほっと息をつくと助けてくれた方が声をかけてきた
「大丈夫か?」
椛「はい、すいません…助けていただきまして…」
「いや、あれはこちらが悪い。きつく言っておくから」
椛「はっはい、あの…あなたのお名前を聞いてもよろしいですか…?」
「私は立花仙蔵だ」
椛「立花さんですか、ありがとうございました」
立花さんがいるであろう方向に向かい私は頭を下げた。助けて下さったのだから当然です。あのまま助けて下る人がいなければどうなっていたのか…怖くて思い出したくもないです
仙蔵「気にするな。」
椛「いえっ助けて下さらなかったら今頃…」
仙蔵「…もうすぐ放課後になる。それまでに一旦休んでいるといいだろう」
そういうと立花さんは部屋を出て行ってしまった。もっとちゃんとお礼を言いたかったのに…はあ、ため息が出てしまう。怖かった本当に、今まで体験したことのない恐怖を一瞬で体験してきたかのように怖かった。
そっと体を抱きしめると今頃になってまた体が震えてきて私は静かに涙を流した…
嗚呼放課後までには泣き止まないと…そう思いながらも涙は止めってはくれず次第に瞼が重くなっていき…私は泣き疲れて眠りについた。
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