冷めても美味しい料理

事件の最中、どうかすると1日食事をとらないこともあるシャーロック・ホームズは今日もハドソン夫人の温かい料理に関心を示さなかった。それどころか、私が食事を勧めると苛立ちを隠さずに「食事の消化なんて無駄なものに精力を費やしている暇はないよ。今僕に必要なのはデータさ、データ!」と実験器具から離れようとしない。

それに比べて、アメリアはとても食欲のある子供だった。本来育ち盛りなのだし、腹一杯に食事を摂った経験がないことを考えれば当然のことだろう。彼女はとても幸せそうに自分の皿を平らげ、この時間だけはふと笑顔を見せることだってあるのだ。私たちが少しずつ教えてきたテーブルマナーも、なかなか上達したように思う。

自分の分がなくなってから、アメリアはちらりとホームズの方を見た。ただし、事件に集中している時の彼に水をさすようなことはしない。以前、彼が黙想に耽っている時に、近くにあった椅子をひっくり返して大きな物音をたてたことがあるのだが、その時はこっぴどく怒鳴られて可哀想なアメリアはひとつ、この家のルールを学んだのである。

「ワトソン先生。ホームズさんは今日も食事をしないのですか?」

「そのようだね。なに大丈夫、いつものことだよ」

「いえ、その、…はい」

どこか様子のおかしいアメリアはさておき、ハドソン夫人が階下から食器を下げにやってきた。先ほど運んで来た状態で残っている料理に気がつくと、甲高い悲鳴のような声が短く響いた。

「まあホームズさん、また手をつけなかったのですか?それならそうと前もって言ってくださればいいのに!」

「いつもすみませんね。どうしても手が離せないのです」

ホームズが返事をしないので、私が代わりに謝るはめになった。

「ああ、アメリアは良い子ね。好き嫌いせず、いつも残さず綺麗に平らげてくれますもの」

「ハドソンさんのお料理はとても美味しいです。幸せです。いつもありがとうございます」

「そう言ってくれるのなら、私も腕を振るうのが楽しくなってくるわ。明日は何にしようかしら」

彼女が来てからというもの、ハドソン夫人はまるで孫が来たかのように喜んで、可愛がっていた。加えてとても仲が良いのだ。二人の様子を見ている私でさえ、思わず頬が緩むほどである。

会話をしながら、ハドソン夫人がホームズの食事を下げようとしたのだが、その時急にホームズが声をあげ夫人を呼び止めた。相変わらずこちらには背を向けた状態で振り返りはしなかったが、ようやく作業が望んだ成果を見せたとみえて、感嘆の色が含まれていた。

「僕の分はまだ下げないで…彼女へあげてください。なに、全て食べてくれますよ。先程からずっと気になっているようですからね」

アメリアはどきりと目を見張り、雪のような頬をほんのり紅潮させてホームズを凝視していた。確かにそわそわと落ち着きがなかったことは私にもわかっていたが…何故彼に知られてしまったのだろうと、彼女は不思議でならないらしい。

「昨日も、だ。視線の流れが感情をありありと示してくれているよ。僕と残った料理の方を交互に見やって、その後視線はワトソンへ移るが言い出せない。食器を下げるハドソン夫人の手元をいちいち注視しながらタイミングを見計らってみるものの、結局は遠のいて行く食事を黙って見送る…といった具合にね」

「それなら昨夜言ってやれば良かったじゃないか。おいしい山雉を無駄にせず済んだよ」

「言葉を口にする精力すら惜しかったのさ。寡黙が長所である君ならわかってくれるだろう」

「そうなの、アメリア?」

「えっ!はい、あの…もし、よろしければ」

「ええ勿論。冷めてしまっているのが残念だけれど」

「それでも良いです。ありがとうございます」

料理の温度など、彼女には気に留めるものの中に入らないらしい。目の前に置かれた冷めた食事を、まるで運ばれてきたばかりのように喜んでから、ふとフォークに伸ばした手が止まる。

「ホームズさん、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。」

なんとも大袈裟ではあるが、アメリアは大真面目に、熱心な眼差しでホームズに御礼を言った。対してホームズはというと、手をひらひらと揺らしたきりまた振り返りもせず、作業に没頭してしまったようだ。

静まり返った室内で唯一聞こえる食事の音は単調であったが、幸せそうに食事を頬張るアメリアの表情は部屋に灯る明かりのように輝いていた。




- 6 -

[*前へ] [#次へ]

戻る
リゼ