彼女以外に適任がおありですか?

この部屋は、はっきり言ってほとんど整頓されていない。タバコの入ったペルシャスリッパ、ナイフで止められた手紙類、山のように重なった新聞や雑誌のバックナンバー、取り散らかった実験器具など、今までよくも多くの重鎮たちを招いて来られたものだと感心するほどである。

ホームズはその時自分の欲しいものが自分の記憶外の場所にあるのをひどく嫌う男だった。ハドソン夫人が勝手に部屋を片付けた時などは一日不機嫌だったし、少しでもハタキをかけようものなら埃のつもり具合などですぐにわかってしまう為、さすがのハドソン夫人も滅多なことでは室内の掃除に入らなくなっていた。

だが、アメリアが来てからは、そんなハドソン夫人の負担が軽減されたと言えるだろう。彼女は何が何処へ移動しようとすぐに見つけることができた。また、一度でもめくったことのあるページなら一言一句違わず口にすることが出来る為、言うなればホームズの書庫そのものであった。

木枯らしが吹き荒ぶある日のことである。私たちは散歩の道すがら奇妙な事件を拾って、部屋に帰ってきた。ホームズは必要な資料をすぐにでも確認したいと言っていたが、扉を開けるなり足を止めた。理由はすぐにわかった。私にも目で認識出来るほど、外出する前と今とでは置いてあった物の位置が変わっている。こんなことは久しぶりだった。

「何を探しているんだい?」

綺麗に磨かれた床が本の絨毯にならんとしている様子を黙って見過ごすわけにもいかず、私は尋ねた。

「ワトソン、君はそっちの僕の書庫を探してくれたまえ」

苛々と棘のある声で叫んだホームズの声は、階段の方まで聞こえていただろう。丁度外出から帰宅したと思われるハドソン夫人は、さっき片付けたばかりの部屋を目の当たりにして卒倒せんとばかりの勢いで声を上げた。隣に付き添い甲斐甲斐しく夫人を支えたのは、言うまでもなくアメリアである。

「おやアメリア!帰っていたのかい?大学はどうだね?」

私は驚いて、思わず声を上げた。この頃、彼女は私たちと出会ってから3年が経過しており、なんと大学にまで通うようになっていた。しなやかに伸びた身長は同年の子供より少しばかり高く、女性用の衣服よりも紳士服を好んで着こなし、ちょっとした身分の美青年といった風貌であった。

学生の身となってからは、長期休暇を利用してここへ帰ってくる。どうりで部屋が片付けられているはずだ。

「ええ先ほど。やっと、片付いたのでハドソンさんと買い物に行ってきましたの。それなのに…一体何事です?」

「実は昨日整理したばかりのスクラップブックが見つからないらしいんだ」

「ああアメリア、なんとかして頂戴!」

鳴き声混じりの夫人をなだめ、アメリアは真っ直ぐホームズの実験用の机まで歩いて行き、他に比べて少し新しい背表紙のノートを一冊取り出した。私が驚いたのは、彼女があまりにも素早く軽やかにそれを見つけたことだけではなく、まだ特徴も伝えていないのにそれと決めてホームズへ差し出したことである。

「僕はまだ君の真価を図り兼ねていたようだ」

「ええそうです。もう少し早く知っていて欲しかったですね、こんなにおそばにいるのに」

「君がもっと早くに部屋にいてくれたらこうはならなかったよ」

「ええどうぞ、私のせいにしてください。今から始まる面白い事件簿に私の存在も加えていただけるのなら、という条件付きですけれど。構わないでしょう?」

瞳に熱を宿し、本を手渡す間際表紙を撫でるようにして彼女はその手を離した。

「ハドソンさん、あとは私が片付けておきますから。ゆっくりお茶でも飲んでいてください」

「ええ、ありがとう。あなたがいてくれると本当に助かるわ。早く学業を終えて帰って来てくれるといいのだけど」

「それはどうでしょうか。ああワトソンさん、まだ言わないで。その後のご結婚生活についてはまた後でゆっくりお伺いしますからね」

帰って来て間もないというのに、瞳に星を輝かせているアメリアは、大学に通う前と少しも変わっていなかった。特に男性の格好を好むところなどは、最も変化して欲しい彼女の悪癖のひとつであるのだが。

「ねえワトソン先生」

夫人がこっそり、私に耳打ちする。

「アメリアのような女性が、ホームズさんのそばにいてくれればとても助かるのですけれどね。どれほど私たちが安心できるか、ワトソン先生からもおっしゃっていただけませんか」

「とはいっても、ふたりとも気難し屋ですからねえ。聞く耳など持ちませんよ」

夫人の提案に、私は少なからず驚いていたが胸に押しとどめて置いた。というのも、私にとって彼女は娘も同然であり、ハドソン夫人は勿論ホームズだって例外ではないだろうと考えていたからだ。

「あら、では彼女以外に適任がおありですか?」

意味深に微笑を浮かべ、戸惑い気味の私を置き去りにハドソン夫人は階下へ戻って行った。散らかしっぱなしの本類の中心で、ふたりは熱心に今回の事件について話を進めているし、狭い室内の中で私は完全に一人取り残されてしまっていた。
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