だから君は罪を被ろうとした(3)

日が昇り、睡眠不足で倦怠感を引きずる体を無理やり起こしてみると、テーブルの上にはホームズからの走り書きが一枚心許ない薄っぺらさで投げ置いてあった。内容は簡潔に

『僕が戻るまで待っていてくれ。午後には戻る』

とだけあるばかりだ。

私は唖然として、しばらくその置き手紙を手にとったまま立ち尽くした。彼はアメリアが心配ではないのだろうか?犯罪者詰めの寒い牢獄の中で、さみしい思いをしているのではと私は気が気でないというのに。

ホームズが戻って来たのは正午を遅くすぎた頃であった。私は一言文句でも言ってやろうと腹を決めていたのだが、彼はと言えば「馬車を待たせている」からといってこちらには有無を言わせず部屋をでて行ってしまった。

やっとスコットランドヤードに到着した頃、そこは既になんらかの厄介ごとを抱えている人間達で賑わっており、一晩でもこんな場所へアメリアを置き去りにした自分の不甲斐なさを呪ったことは言うまでもない。

「レストレード警部はいるかい?」

「これはホームズさん、お待ちしておりました。警部は生憎出かけておりますが、用件は承っています。どうぞ此方に」

警官の案内で向かった先には鉄格子で囲まれた部屋があり、中には犯罪者、またはその容疑者、派手な喧嘩をしたらしい酔っ払い、訳のありそうな貧しい身なりの女性などが捕らわれている。私は真っ先にアメリアの身を探したが、すぐに見つけることができた。彼女は隅に小さな体を寄せて、何をするわけでも無く天井を見上げていた。

「おいでお嬢さん。そうだね、良い子だ。…さあどうぞ、こんな場所からはさっさと連れて行って、温かい紅茶でも淹れてあげてください」

「おや、釈放の許しまで出ていたのかね?」

「ええ。なんでも、真犯人を見つけたらしいですよ。警部はまさに今、その本人を追って不在にしているんです」

「なに、真犯人だって!」

「人間はどこへだって住めるものなんですなあ。実は昨夜死体が寝そべっていた部屋には、ちゃんと持ち主がいたんです。なんでもその男がひどく慌てた様子で走り去るところを、顔見知りが目撃していたということらしいですよ」

それを聞いて顔色を変えたのはアメリアである。夢の彼方を旅しているような空虚な瞳に輝きが戻り、鬱々と垂れていた頭をパッと跳ね上げ、警官の袖を掴んだ。

「そんなの嘘!警部は間違ってる、早く止めなきゃ。どこに行ったの?場所はどこなの?違う、違うの、だって犯人は、わ…」

言いかけたアメリアの口を塞ぐように、ホームズは手を当てて制してしまった。彼は厳しい眼で彼女に一瞥くれてから、すぐ警官へ向き直った。

「迷惑をかけて済まなかったね。警部にも、そう伝えてくれたまえ」

私たちはもう一度ベーカー街へ戻るために馬車に乗り込んだ。ホームズもアメリアもしばらくは口を閉ざしていたが、ふと、彼がコートのポケットから一枚の花びらを取り出した。淡い桃色の花びらで、あまりに小さいので目を凝らしてやっとそれを認識できるほどだ。

「自分のしたことがよくわかっているね、アメリア?」

ホームズが花びらを観察している様子を見つめながら、アメリアはじっと黙っていた。

「君がかばっているのは花売りの、栗毛の豊かな女性だ。被害者ともみあった際に三本筋の傷を負わされている。身長は6フィート弱と高めで、男とは顔見知りだった。二人は互いの意思の不一致の為に喧嘩になり、男は女性を殴ったがそれだけでは飽き足らず、ポケットからは隠していた注射器を取り出した。女性を薬物漬けにして言うことを聞かせようとでもしたのだろうが反対に、彼は女性の反撃に遭い…」

「わかりました。ええ、わかっています、ホームズさん!罪を隠すことは犯罪行為です。現場を惑わせる為に葉巻を捨てたり、彼女の証拠となるようなもの…飛び散った花や足跡などの痕跡も、全て消してしまいました。でも、それだけの理由は持っているつもりです。後悔はしていません」

「本当にそうかい?…本当に?」

彼女の瞳には確固たる意志と静かなる覚悟が秘められていた。胸の内で燃え上がる情熱が抑えきれずに、溢れ出してしまっているかのようだ。

アメリアは真の犯人を隠すため、証拠を全て葬り去ったという。ホームズの言う女性との間にどんな関係があったのか知らないが、法に背き罰せられるに値する立派な犯罪行為である。私は彼女を問い詰めたい衝動に駆られたが、黙っていた。

何よりホームズがその衝動を抑えるよう私に訴えていたし、アメリアは強がりを言っているだけでどう見ても罪の意識に押しつぶされてしまいそうだった。ズボンの生地を両手で握りしめ、あまりに力を込めているので拳は震えている。

「君はさっき、僕が止めなければ自分が殺したのだと罪を被るつもりだった。それで全てが丸く収まるとでも思っているのかい?」

「ええ勿論です」

「だとしたら、間違いだ。君が罪を被ったのなら、僕は全力で、かつ簡単に君の無実を証明する。そうなったらきっと、君が庇いたかった真犯人を警察へ突き出すことになるだろうよ。それでもよければ、今すぐにでも御者君に引き返すよう伝えてあげてもいいのだがね」

あれだけホームズに…いや、他人に憎悪の目を向ける彼女を、私はみたことがなかった。特にホームズの言うことには普段からよく従っていたし、尊敬もしていたのだ。それほどまでに自分自身を追い詰めてしまっているらしい。

「ホームズ、君は言葉が足らなすぎるよ。この子の未来をあんな薄暗い牢獄で潰してしまうくらいなら、僕だって同じことをする。アメリア、君が君を大切にすることは、僕たちを大事に思うことでもあるんだよ。自分が犠牲になればみんなが幸せになれると思っているのなら、それは間違いだ」

「では無実で捕まった方は一体どうするのです?私の責任です。他人を救う力がないとしても、自分でやったことの償いくらいなら出来ます」

すると突然、馬車が停車した。まだベイカー街には到着しておらず、外にはスコットランドヤードの馬車が連なって、ある建物の周囲には人集りが出来ていた。

「僕がここへ寄るように頼んだんだ。さて二人とも、降りてくれないか?御者君はまだここにいてくれたまえ。すぐ戻るよ」


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