だから君は罪を被ろうとした

深い霧に陰惨と覆われているロンドンの夜は、まるで犯罪の巣窟だ。特にあの晩はうすら寒い気温の中冷たい雨が窓を打ち付けて、街路を行く者など皆無であった。

そうでなくとも危険な夜中に、わざわざ街をさまよい歩くこともないだろう。私は普段からアメリアへ外の明るいうちに帰ってくるようにとよくよく言い聞かせており、彼女は行儀良くきちんと守っていたが、その日ばかりはいつまで経っても帰って来なかった。

ホームズといえば現在手がけている事件にかかり切りで、「今は魚のはらわた以外のことは考えている余裕がない」とわけのわからないことを言って机にかじりつき、気に留めようともしない。だからとうとう私は諦めて、スコットランドヤードのレストレードに相談するつもりで外套を着込み、傘を携えて部屋を出た。

外では、ロンドンの街がまるで滝壺でもあるかのように雨が土砂降りになっていた。だが運の良いことに、私のそばで丁度馬車を降りた者がいたので、滑り込むように御者をつかまえてスコットランドヤードまで飛ばしてくれるよう頼んだ。御者はすこぶる嫌そうな顔をして文句を言い、金銭を多めに握らせてやっと馬を走らせてくれる気になったような始末だった。

馬車を走らせている途中で、私はこの雨の中似つかわしくない人影を見かけた。といっても見慣れた黒い制服の男が2、3名見えただけであったが、彼らが警官だと気付いた時に形容し難い不安に襲われ、苦労して捕まえたことも忘れて慌てて馬車を止めさせた。

「何かあったのかね?」

警官のいる向こう側を覗いたが、小汚い建物と建物の隙間に狭い小道が、下り坂となって続いているだけである。そこは奈落の底のように真っ暗闇であり、人間の瞳には映らぬ何かが蠢いているかのように感じた。きっとよく晴れた夜であれば月明かりくらいは差し込んでいただろう。

「危険ですから、どうかお引き取りください」

「事件かね?何があったか教えてくれないか。実は子供がまだ帰ってこないんだ。瞳は青く髪は長いブロンドの少女で…いや、もしくはハンチングを深くかぶりチェックのズボンを履いた少年の格好をしているはずなのだが」

伝えた二つの特徴があまりに相反していることを警官は疑問に思ったことだろう。現に、口にしている私でさえ馬鹿げた話をしているような気がしていたのだ。だが彼らは顔を見合わせて、少年の特徴に心当たりがあると言う。私は二人が止めるのも構わず坂を駆け下り、アメリアの姿を探した。

「おやワトソンさん」

私の声に気がついたのか、屋根のある横道から顔を出したのはレストレードである。だが、それに気がついたのは後のことであり、その時は後ろの警官に腕を掴まれている一人の子供のことで頭がいっぱいであった。

「アメリア!」

「アメリアですって?」

私がハンチングを剥ぎ取ると、澄んだ青い瞳とブロンドの髪が現れて、暗闇の中でもその美しさはくっきりと我々の目に映し出された。

「なんとまあ、驚きましたよ!実は、この子供を殺人の容疑者として確保していたところなのです。まさかアメリアがこんな格好で出歩いているなんて」

「殺人?容疑者だって?レストレード、何かの間違いだよ。彼女が殺人…いや、人道外れた犯罪などに手を染められるわけがない。そもそも、彼女は私たちとともにたくさんの犯罪者を見てきているし、悪には必ず天罰が下るということは身につまされて知っているのだから」

「けれど、逆もあり得ますよ。犯罪に慣れすぎて、自身ならもっと上手くやれると…もしくは、罪の意識というものが、薄れてしまっているのやもしれません。犯行時刻と思われる3時間ほど前--まだ雨の降っていなかった時間--に、付近でこの子供、すなわちアメリアを見かけたという目撃証言もあります。」

「馬鹿な!アメリア、ちゃんと説明してくれ」

だがアメリアは眉を寄せて困惑した表情をしたあとに、開きかけた唇をきゅっと結んで俯いてしまった。

「ずっとこの調子ですよ。いや、捕まえた時なんて酷い罵詈雑言を吐いたかと思えば我々を蹴飛ばすは引っ掻くわで、大変な騒ぎだったのです。やはりワトソン先生の前では態度が全く違いますね」

「では、彼女を連れて帰りたいと私が頼んでも無駄だろうね?」

「いくら先生といえど、無理な相談です。例え殺人とまではいかなくとも、必ず重要なことを知っているのは間違いありません。何せ一度離れた殺害現場に戻って来るほどですからね」

「それじゃちょっとだけ時間をくれないか」

「また貴方は私に無理をいいましたね。詳しい事情は署で聞きますから、ご心配なら明日顔を出してください。特別に許可を出しておきます」

なんという分からず屋であろうか!レストレードはアテにならないし、私では彼女の真実の証言を誘うことができないのなら、ホームズを引っ張り出して来るしかない。現場を見せて、アメリアの無実を証明してもらわなければ、私の腹の虫も収まらないというものだ。

彼をここに連れて来る前に、少しばかり殺害された男を診せてもらってから、私は警官の馬車へ221Bへと運んでもらうことになった。雨でしっとりと濡れた前髪の間から、不安の色をたたえた瞳をまっすぐに向けながら私を見上げるアメリアを置き去りに、私はホームズのいるベイカー街へと急いだ。






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