プロローグ(後)

事件は急速に解決をみた。全ての事実を突き付けられた依頼人の男は、すぐにスコットランドヤードへ引き渡され我々の役目は終わった。

さて、問題はこの少女の運命である。実父は獄中死、ほかに引き取り手がいたのなら既にそうしていたであろう。つまり、彼女には身寄りがない。ホームズ曰く「あてがある」とのことだったが、その「あて」というのはどうやら外れたらしい。事件の3日後に届いた郵便を開封したホームズは、忌々しげにこの手紙を床の上に放り投げてしまった。

さて、ではこの3日間アメリアという少女はどこでなにをしていたかというと、私達の愛すべき我が家221Bへ滞在していた。彼女は物静かで、一度の会話でも一言三言以上の言葉は返さない。教養はほとんどないかと思われたが、文字の読み書きはある程度できるようだったので、他に不明瞭な知識は私が少しずつ教えて行くことにした。

驚くべきは、やはりその記憶力である。教えたことは即座に吸収してしまう。 数年前一度見ただけの手紙を一言一句間違えずに記憶しただけでなく、その手で本物通りに書き出すことができる才能の持ち主なのだから、当然とも言えるだろうか。

「ふむ。確かに興味深いが、僕よりも君の領分に近いようだ」

「ホームズ…まさかどこかの医療施設や、孤児院に預けてしまおうと言うのではあるまいね。アメリアは素晴らしい頭脳を有しているが、精神に大きな傷を負っているんだよ。せめてしばらくは落ち着いた場所で休養が必要だ」

「ここが教育機関に見えるのかい、え?ワトソン?少なくとも彼女に関して僕の役目は終わったはずだ。ああ事件は解決したというのに、思わぬ壁にぶち当たってしまったよ。彼女の父親には姉が…つまり叔母がひとりいたのだが、一年前既に死亡していた」

本人を、それも子供を前にして酷いことを言うものだと、私は反論しようとしたが苛立たしげに椅子の上に伸びたホームズはちらりと視線を移した。いつの間にか本から離れたアメリアが私の隣に立っていたのだ。表情もなく、音もなく近づいてきた彼女だが、ハッキリとした口調で話を始める。

「お金が必要ですか?」

この言葉の意味を理解するまでに、私は勿論ホームズでさえ時間をようしただろう。

「なにを言い出すんだい、アメリア」

「それじゃ私は何をすればここにいてもいいのですか?」

呆気に取られたあと急にホームズの反応が心配になり、ぱっと彼の方を振り返った。眉をぐっと寄せ眼を細めてから、こめかみを指先で解すホームズの表情は、未だに脳裏へ焼き付いている。それはどんな難事件とも取っ組み合ってきた彼が見せた、非常に人間的な一面であった。

「好きにしたまえ」

そう、この無邪気な少女を見捨てることなど、最初からできることではなかったのだ。女性嫌いの彼がいつでも彼女たちへ紳士的に振舞ったように、可哀想なアメリアを再び不安定な道の上に放り出せるはずがない。


これが彼女と我々の縁の始まりであったが、数々の冒険譚へ彼女を登場させることはこの先もないだろう。何故ならば、アメリアには心ないメディアの的として好奇の目に晒されることなく、健やかに、胸をはった人生を歩んで行って欲しいと願っているからだ。




※h26.5.20 年代の都合により、マイクロフトの存在をにおわせる文章を削除。

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