淑女らしく相応の身なりでないといけないよ

グレグソン警部は、私たちの新しい同居人をよく気に入って、どんな悲惨な仕事のある日でも彼女にだけは快活に挨拶をしたものだ。時にはビスケットやプディングなど手土産を持って訪ねてくることもあり、アメリアの方も彼には比較的懐いていた。

ただし最近のアメリアは、夕暮れ前に帰宅することを条件に、ひとりで外出しては街中をうろうろと歩き回って、私達でさえ行き先を把握し切れていない有様であった。だから今日グレグソンが彼女のために人気ベーカリーのパンをもって現れた時に不在の旨を伝えると、少し残念そうにテーブルへ土産物を置いた。

「いやどうも、今日は非番なものでこちらには参るまいと思っていたのですがね。ちょっとした人探しを頼まれてしまいまして、どちらかといえばホームズさんの領分かと思いついたのです」

「非番にも関わらず、仕事熱心ですな」

「本当なら私も断るか、部下に頼んでおくのですが、少し面白い部分もあるのです。ことの発端は、ハイドパークの付近でひったくり事件があったところまで遡りますが、馬車から降りてきた中流階級らしいばあさんが、後方から走ってきた男に財布の入ったバッグを持っていかれてしまったのです。悲鳴を聞いて私も駆けつけましたが、それよりも早く走るものがいました。彼は…-少年でしたが-深くかぶったハンチングを飛ばされぬよう押さえながら、盗人に猛突進していきました。二人は倒れこみ、私はすぐさま男を取り押さえことなきを得ましたが、少年はさっと見物人たちの間をすり抜けてどこかへ消えてしまったのです。ばあさんは大変感動しましてね、どうにかしてあの少年にお礼がしたいと非常に熱心で、ついに私も折れてしまったというわけですよ」

「ふむ、それで君は少年が何かを落として行ったというのだね」

「その通りです。どうしてお分かりです?」

「でなければ僕のところには来ないはずだ」

ホームズの言うとおり、グレグソンは麻でできた小袋を我々の前に置いた。ホームズが手にとってよく観察してから中を開くと、零れるようにでてきたのは、何の変哲もないただの土である。

「不思議でしょう?なんだってこんなものを持っていたのか、さっぱりわかりませんよ。どうですか、ホームズさん?」

「確かに面白いけれど、その子供なら今階段を上ってやってくるところだと思う」

私達は疑いの目でホームズを見たが、階段を上り背後で扉の開く音がした時には疑念など吹き飛んでしまった。小さな頭には余る大きめのハンチング帽を深くかぶり、いかにも俊敏そうで華奢な少年が、ドアノブに手を掛けたままぴったり制止して我々を見回しているのである。

「こりゃあ驚いた!まさにこの少年ですよ。お前さん、ついさっきとある貴婦人の財産を泥棒から取り返してくれたね?」

「なんのことかさっぱりですね、旦那。俺はそんな泥棒だのばあさんだのとは全く無関係だし、あんたなんかにゃ構っている暇もねえや」

「随分な言い種じゃないか。お前さんが助けた婦人は、是非ともお礼がしたいと言ってくださっているんだぞ」

「ふん、泥棒だってもっとマシな嘘をつくね。俺が貧乏人だからって、そんな上手い話においそれ引っかかると思われてるなんて、足元見るのも大概にして欲しいもんだ。とにかく俺は、ここにお医者様がいると聞いたから来ただけでさ。近所でただひとつの診療所はあてにならねえどころか、あの野郎、金のない奴は敷居をまたぐなと門前払いだ」

「なんとけしからん!医者として恥ずべき態度だ。それじゃ君は患者がいるというのだね?」

「あんたが先生ですか?そうです、患者は友人の親父さんなんですがね…そう長くもないんじゃないかと友人は落ち込んじまって。一度くらい医者に診せてやりたいと言うもんだから、奴には親父さんを任せておいて、俺が代わりに飛び出してきたってわけです」

友人の家族の為に駆けずり回りながら、婦人のために泥棒と取っ組み合ったこの少年に、私はすっかり感心してしまった。すぐに現場へ向かおうと医療カバンを準備しようとしたのだが、ホームズは私の肩を掴んで少しの間だけ待つように言ってから、少年に愛想よく声をかけた。

「その前に、君、先ほど落し物をしたね?そこの親切な警部さんが預かってくれていたのだよ。ほら、返してあげよう」

ホームズは先ほどの麻袋を掲げて、こちらに来るよう促した。少年は帽子の影からちらりと怪訝な目つきをのぞかせたが、しぶしぶといった様子でホームズの元までやってくると落し物を受け取ろうと手を伸ばした。

するとホームズは意地悪にもひょいと小袋を高く上げて、代わりに少年のハンチングをパッと剥ぎ取ってしまったのである。

「おかえりアメリア、君のために土産を持ってきた警部さんへのお礼を忘れているよ」

ハンチングが外されると、中で束ねていた豊かな髪が露わになった。その瞬間、我々が言葉を交わしていた少年は跡形もなくなり、美しく聡明なアメリアという少女の姿がそこにあったのだ。私とグレグソン警部はすっかり驚いて、目をパチパチするので精一杯だった。

「やはりホームズさんは騙せませんでしたね。残念です。でもどうしてわかりました?自信があったのに」

「服装にもよく気を配らなきゃ駄目だよ。ちゃんと古着を着て、ある程度汚れてはいるが、襟の辺りなんかは洗濯したてのように綺麗だし、靴なんか汚すことすら忘れている。加えて…」

「まだあるのですか?」

「変装とは直接関わりないがね、警部が『貴婦人』とだけ言ったのに対して君は『ばあさん』と答えた。目ざとい人間には、あっさり仮面を剥がされてしまうから気をつけた方がいい」

「私なんかはすっかり参りましたよ!まさかこのアメリアが、男子の格好で、あんな言葉をつかって我々に接するなんて、想像もつかないことです。それにしても、さっきはいい走りっぷりだった。まるで獲物を狩る豹のようでしたからね。それにしてもあんな小袋と土なんかでどうして正体がわかったのですか?」

「それに関しては、少しずるのあったことを認めなければならないな。というのも、君たちの記憶にも新しい、クラム伯爵殺人事件で犯人の足跡に残っていた泥が、このハイドパークの土だったからさ。ワトソン君は覚えているだろう?そこで、僕が一目でそれを知った時、アメリアはすこぶる興味をもっていたようだったから、これはこっそり拾いに行ったのだなと考えたのだよ」

「全くその通りです、ホームズさん。みなさんもご無礼をお許しください、つい自分の力試しをしてみたくなったものですから」

グレグソンはどうか知らないが、彼女の親代わりであると自負している私としては、驚きや感心よりも不安が募る一方である。

「まさか普段から、その男子の格好で街中を歩き回ってるのではあるまいね?君は女性なのだから、外出する時は淑女らしく相応の身なりでないといけないよ」

「でもワトソンさん、この格好でいる時は心も体も男子になっていれば問題ないでしょう?否定する気はないので言いますが、私は顔だけは美しい方ですから、物珍しくみられたり妙なほど蔑まれたり、壊れ物のように扱われたり、はたまたその逆もございます。でもこの格好でいる時は、私は私じゃなくなり、とても気持ちが良いのです。なにより動きやすいですし」

膝丈より少し長いズボンを履いて、薄汚れたシャツの上に羽織ったこげ茶のジャケットをひらひらとさせながら、アメリアは無邪気に言った。出会った頃より随分と垢抜けて活発に成長する彼女を見るのは一種の楽しみでもあったが、元々風変わりな性格のアメリアがホームズという希代の物質と混ざり合ってますます複雑な化学反応を起こしている気がしてならなかった。

「ホームズさん、器具類をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「それじゃ君がその土の特徴を5つ挙げることができると約束できるならいいよ」

「勿論です、5つくらいなら自信があります。では警部さん、あのおばあさんには『少年は見つからなかった』と事実をお伝えください。それと、いつもお土産をありがとうございます。こちらもおいしくいただきますね」

忘れずお礼を言ってはいるものの、麻の小袋を握りながら掻き立てられる好奇心を抑えられぬらしく、そわそわしていた。

グレグソンはそれからしばらく私と一緒に紅茶をのんでいたが、普段ホームズの使う実験器具の準備をして、ついにはホームズとならんであれこれとやっている二人を見ながら私に言った。

「ワトソン先生が彼女を心配する理由もよくわかります。けれどああやって二人仲良く隣あっている様子を見ていると、抗えぬ運命というものがよく感じられますよ。勿論私のような他人の言うことなど、聞き流していただいて結構ですがね」


グレグソンはそれ以上今日の出来事には触れなかったが、後日、ひとりの老婦人が「少女」を訪ねて我々の部屋へ訪れたので、彼が婦人との(あるいは職務上の)約束を果たしたことがわかった。

必死にお引き取り願うアメリアへ半ば強引に数ポンド入った封筒を握らせて彼女は帰って行ったが、アメリアは我々に日々のお礼として美味しいワインを振舞った後、ほとんどを本へつぎ込んでしまったのである。

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