合鍵03
今日の突然の来訪者は、部屋の隅を陣取っているカメに興味津々だった。といっても、まだ幼い小さなカメだ。静かに涼しい表情で、餌を欲しがるそぶりも見せず、全く媚びない態度でただ悠々と水槽を歩く様子を大層不思議がっていたが、ついに取り出して机を歩かせ始めた。
どうせなら私は猫や犬、もしくは鳥類でも飼ってみたかったのだが、帰宅も不定期だしどうかすると家に丸一ヶ月も帰らないこともあるので、無理なことだと諦めていた。
「では何故突然こんなものを飼い始めた?」
というより、知り合いが旅行へ行っている間に借りているのだ。先日、メガトロン様は広野で雛(とはなんなのか、聞くのが怖くて追求していないが)と過ごした日々を恋しがっていたので、丁度いいだろうと思ったのである。亀なら手間もかからないし、ちょっと家をあける位なんともない。
「ほう、普段からさっさと出ていけだの、もう来るなだのと文句を垂れている癖に、俺の為にわざわざ進んでこれを引き受けたということか」
…確かに、改めて結論だけ言われるとそうなってしまう。だが決して頻繁に来てもいいとは言っていないし許可もしていない。それだけは伝えておこう。相手のにやにや顔は見ないようにして。
ちくたくと、時計の針は進めどメガトロン様は一向に帰る様子を見せない。亀を机の端から端まで歩かせてはまたスタート地点に戻し、首を伸ばすのをじっと眺めたりわざとひっくり返してみたりしている。毎度のことながら、そろそろ帰った方がいいのではないだろうか。またサウンドウェーブが私の携帯を600回鳴らすことになる前に。
「今日は泊まっていく」
随分あっさりいうものだ。連絡手段を断ってまでどこにいるのかと、そろそろ周囲に怪しまれてもおかしくない頃だろう。
「こんな面白いものを置いておくお前が悪い」
どうやらお気に入りになってしまったらしい。亀の歩行のようにゆったりとした時が流れて行く。破壊が趣味だったくせに脆い生き物を愛でている彼という存在が、俄かに信じられなかった。
「ひどい言われようだな。オートボットになにを吹き込まれているか知らんが、俺は破壊の為の破壊をしていたつもりもなければ、その為に力を欲していたわけでもない。まあ少々、軌道を外れはしたがな」
あれが少々…なのだろうか?
「ふん、貴様などにはわかるまい」
それなら教えてくださいよ、と喉まででかかった言葉を飲み込む。メガトロン様の言葉には全てが含まれているからだ。口にしたところで当事者以外には表面の欠片ほども伝わらないし、その信念を語られたところでメガトロン様というスパークの一端を垣間見るだけにすぎないのだ。それでも理解したいなんて安っぽいことはいえない。
「その物分りの良さは気に入っているぞ、ユズ。悪知恵を除けば喧しさ以外に取り柄のない、どこかの大馬鹿ものとは比べものにならんな」
だいたい誰のことか想像はつくけれど、いくらなんでも買いかぶりすきである(スタースクリームはスタースクリームで、メガトロン様のお眼鏡にかなっているからこそナンバー2なのだ)。
私は背伸びしたってメガトロン様と同じ世界は見渡せないが、きっとオプティマスなら違うのだろう。彼ならメガトロン様と同じ高さの視点を持っている。考えは180度は違うけれど、道を違えていた過去は通り過ぎたのだから、今なら歩み寄りの気持ちでそんな話をするのもいいのではないだろうか。
「…他人のことなど持ち込むな。ましてや奴の話など…」
よくいう。先に他人を持ち込んだのはメガトロン様じゃないか。
「今更奴に理解を求めようなどとは思っておらん。この空間を作り出せるのは、…ユズ、 お前だけだ。実に心地が良い」
そこまで言われると、さすがに自惚れてしまうではないか。便利な女扱いされてる気がしなくもないが、今はそれでもよしとしておこう。
私も一緒にカメを眺めていることにしてしばらくそうしていたところ、いつのまにか寝ていたらしい。ふと目を開けると窓は明るい陽がさしているし、鳥が朝を告げてさえずってっている。向かい側にはいたはずの彼は消えていてカメは水槽へ戻されていた。
ぼんやりしている私の肩からはタオルケットが一枚ずるりと落ちる。こんな優しさを与えてくれるなんて余程機嫌が良かったに違いない。我関せずな亀に感謝しながら、安らぎに溢れたメガトロン様の表情を思い出していた。
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