「涯、」


呟くように俺の名を呼んで、彼女は俺の首元――白いシャツ襟の狭間に作られたネクタイの結び目に指を掛けた。
手元の資料に目を通していた俺の視界に必然的に入る、彼女の指。


「なんだ、」


気付けば距離が縮まっていた。
並んで、とはいっても少し離れてソファに座っていた彼女は俺の方へと身を乗り出し、その細い腕もいっぱいに伸ばしていた。


「ん、別に」


そのまま彼女が腕を引けば、その手と共にスルスルと緩んでゆくネクタイ。
布切れと共にゆっくりと視界から遠ざかる彼女の細い指を、俺はただただ見つめていた。


「帰ってきてから着替えもしないで。ネクタイ締めたままで過ごしづらそうだなって思って」


数秒後、ゆるりとした空気の中に、彼女の低めの声が響いた。


「…そうか、俺はてっきり**が欲求不満なのかと思ったよ」


まるで悪戯好きな子供のようにふっ、と笑いながら言葉を返す。


「嘘、そんなこと思わなかったくせに」


彼女に視線を向ければ、表情も、目の色も、声色も変えずにいて。彼女の瞳は俺のそれをじっと見詰めたまま動かない。

スルリ、と

結び目の解かれたネクタイが首元から抜かれる感覚に、彼女の瞳だけを見詰めていた意識を戻した。

ネクタイを引いた彼女はそれをどうすることもなく、もう用は無いとでも言うようにそれから手を離した。
そのまま体勢を戻し、ソファに、俺とは反対の側にころりと寝転ぶ。

一層落ち着いた空気の中で、それからまた、手元の資料へと視線を戻す。
ネクタイのなくなったシャツのボタンを一つ外した。


(懐いてるんだか、懐いてないんだか)


ソファの端に俺、ソファの端に彼女。
ちらりと横を見れば、無造作に放り出されたネクタイが視界に入った。


「…別に、寂しいから構って欲しいとか思ってないけど、」


ぼそりと言う彼女の言葉に耳を傾ける。


「少しは休みなさいよ、涯」


―――ああ、そうか。

少し分かりづらい彼女の気遣い。
ふと湧き上がった愛しさに身体を預け、そのままそっぽを向く彼女を振り向かせてその額に口付けを落とす。拗ねた彼女が不機嫌に、不器用にはにかんだ。


crank lady

( 素直じゃない彼女 )



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