冬の賛歌

自分の誕生が望まれ、祝福されたものではないことなど、理解していた。



「あの時も雪が降っていたわ」



真っ赤に引いた口紅が気だるげに言った。
窓際に座るその人は、私を愛していない。




「初雪だった」



ひらひらと空から舞い降りる雪が昼の光を反射して、逆光を作る。暗がりになった表情が見えないかわりに、赤い唇だけがやけに脳裏に焼きついた。自分がこの世に生まれ落ちた日など覚えていない。
だから私にとって“その日”に特別な意味など無かった。


―――なのに、


純白に降りしきる雪を背景に、影に隠れたままの顔が私を見る。





「あんたを産んだ日よ、凪」





なのに、なんであんなことを言ったの?
…おかあさん。






冬の賛歌






「むくろさま…」

重たい瞼を開けると病室のベッドの傍らには最愛の人が居てくれた。

「…お疲れ様です」

よく頑張りましたね、と汗ばんだ私の額に柔らかなキスが落とされる。労うように重ねられた手を握り返したかったけれど、先ほどの行為に生命力のほとんどを注いでしまったようでうまくできない。
気付いた骸様が気遣わしげになったのが見えて、目を合わせて大丈夫ですと微笑む。
昨日までひとつだったものとは分かたれてしまってけれど、心のなかは喪失感ではなく充足感が満ちていた。
そんな私に彼は軽く目を瞠り、そしてすぐに苦笑した。

「男っていうのは存外情けないものですね」

コンコンと軽いノックの後、看護師が入ってくる。

「六道さん、元気なお子様ですよ」

白い布に包まれた新しい命に狼狽した空気が一瞬。戸惑う彼が微笑ましくて、思わず口元が綻んだ。

「骸様、抱いてあげて下さい」

私に促されて、看護師から生まれたばかりの子を緊張した面持ちで受け取る。壊れもののを扱うような仕草に、腕の中の子が僅かに身じろいだ。

「……ご感想は?」

「…。すごく小さいですね。けれど僕より温かい。それから…」

青と赤の瞳がさざ凪ぐ。

「…不思議です。とても」

奪うことしかなかった自分が新しい命を紡ぎ、この手に抱いていることが堪らなく不思議だと。

「……私も、不思議です」

子供を抱いている彼の手に、自らのそれをそっと添える。
あの日死する運命だった。
この世に何も得ることなく消えるはずだった私。だけれど今日確かに自分の生きた証を世界に産み落とした。




「僕はねクローム、自分の始まりの日を覚えていないんですよ」



「え?」

我が子を抱きながら骸はぽつりと零した。

「…どれだけ膨大な記憶を有していても、それだけは思い出すことができない」

誰だって自分の生まれた日なんて覚えていない…それは、当たり前のことであるのに。
目を閉じ遠く遠くを辿る彼を見て、在りし日の幼い記憶が蘇る。
冬の季節が巡る度、己の存在意義を問うた。いっそこの日を知らなければと、暗い部屋で膝を抱える少女。
彼の纏う孤独と何よりも近いのに、根源は対極に位置している。

「…骸様」

堪らない切なさともどかしさで胸が打ち震えた。

「私にできること…」

「いいえ」

強くはっきりとした声。
今まで抱かれていた赤子を手渡される。





「………もう、貰っています」





そして、私ごと大きな腕で抱きしめられた。


温もりに包まれる一瞬前。
遠い、冬の日の話。
聞くことができて良かったと、初めて母に感謝した。
あの日と同じように窓の外では雪が降っていて、明けたばかりの陽の光を弾いている。病室のカーテンから刺す逆光で彼の表情は見えなかった。だけれど、そこから零れ落ちたものははっきりと私の心に刻まれる。
嬉しくて、愛しくて、私もまた同じものを流した。


子供が成長した時、私もいつかこの日のことを話してあげよう。
あなたの生まれた日はその年の初雪で、朝の光を一身に受けた淡雪が祝福のように舞っていた。
平均よりも身体の小さなあなたは、それでも力強い産声をあげたのよ。




そして―――、





初めて見た彼の涙も、全部全部この子に伝えてあげよう。





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2010.12.5
…Buon Compleanno!





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