嵐が去って、私はまた元の海辺に戻った。
オンナも、また以前のようにサンドイッチを置いて海へ行く。



「やあ、また手ぇ付けてないね」

「………」

「んー、もうすぐ日が暮れるね」

「………」

「さて、と。帰らしてもらうね。それじゃ、また」



そう言って、オンナは姿を見せなくなった。





数日の空白の後、何事もなかったかのようにオンナが姿を現した。
何か、治まりがついたような心地がした。



「よ、オジゾウサマ。相変わらずだね」

「………」

「あー、いい天気だ。今日もいい具合にいくかな、これは。それじゃあまたね。オソナエモノ、置いてくよ」

「……飽きん奴め」



オンナの生活は、あの嵐の日と数日間の空白を除くと、ほぼ同じ巡りであった。朝の内に海へ出て、日が暮れる頃に陸に戻り、たまに気紛れに休みを挟んで、また海へ。私には到底考えられぬ、単調な生き様だった。
そんなものはオンナの人生なのであって、私には何の影響も及ぼさないはずである。だがどうも、そのオンナにはそぐわぬ様に思えて、陸に上がったオンナに聞いてみたのだ。



「退屈ではないのか」

「何がだい?」

「…人生」

「おや、あんたはこんな生活を退屈と感じる人間かい?退屈かどうかはね、退屈を退屈だと知る人間にしか分からないもんさ」



えらく噛み合わない言葉だ。



「だからあんた、ただモンじゃないね。言い方は悪いかもしれないが、真っ当な道を歩んじゃいないんじゃないのかい?まあ、真っ当が何かって言われると参っちゃうんだけどさあ」

「………」



オンナは問いに答えぬまま話を進めて行く。様子がおかしい。まるで、どこか明確な一点が見えているかのように言う。



「まさか…」

「ごめん。あんたの正体、知ってるんだ。これ、あんただろう?」



オンナはポケットから一枚の紙を取り出すと、それを私の顔の前に掲げた。そこに描かれていたのは、己の顔と国際指名手配の文字。手書きの、所謂、手配書だった。



「あんた、ニホンじゃ有名な大泥棒の子孫なんだってね…町の図書館まで行って調べてきたんだ」

「………」

「狼みたいな男とその仲間たち…こんな辺境の地まで、あんたたちのことが伝わってくるんだよ。全く警察もご苦労な話だよ。こんなところにまで話を広げちゃってさあ」



これは銭形の仕業だろうと直ぐに分かった。見覚えのある字だ。すると、こんなところにまで銭形の手が及んでいるということか。
早い。あやつからの連絡が来たばかりだというのに、銭形はもう嗅ぎ付けたというのか。



「…私を突き出すか」

「あっはっは!そんなことしないよ。せっかく話し相手を得たんだからさ。警部さんにはこの間の大漁の時に作った燻製を渡して、追い返してやったよ。第一、警察を呼んだところで、やつらが来るころにゃあ、あんたこっから逃げてるだろうし」

「………」

「あんたみたいな奴に会えるなんて思わなかったよ。まさかと思ったけど、人生で一回くらいこんなことがあってもいいのかもね」



もうここにはいられない。
私は去ることに決めた。








――――――

朝、いつものようにサンドイッチを作る。ついクセで一人分多く作ってしまった。もうあいつはいないというのに。
仕方ない。多く作ってしまった分は鴎にやろう。



「あれ…?あいつ…」



海辺には、あいつがいた。てっきりもうとっくに去ったものとばっかり思っていた私は、変わらずそこにあった背中にびっくりする。



「あんたまだここにいたのかい」

「……直に」

「行くのかい?」

「………」



こくり、と頷いたそいつはゆっくりと立ち上がって背中を向けたまま、今まで聞いた中で一番強い響きでこんなことを言った。



「…名を」



そう言えば、名前を言っていなかったね。一方的に、こっちが呼ぶばかりだった。
ちょっと、いや、うんと嬉しい。
だから今度こそ、今度こそちゃんと名前を。



「なまえだ。いつでもいいがいつかは忘れてくれ。あんたの人生に退屈は似合わないよ、五右ェ門」

「……!」



頑固に振り向かない背中が、ぴくりと動いた。



「この間紙に書いてくれたろう?本で調べて、頑張って覚えたんだ。これで合ってたかな?」

「間違いない」

「そっか…良かったよ」



ああ、やっとちゃんと名前を呼ぶことが出来たね。
ほっとして笑えてきちゃった。変なの。

今のこの顔、見られたくないなと思ってたのに、そいつは構わず振り向いた。



「今日は供えないのか」

「なに…ああ、こいつかい?」



丸無視されてきたサンドイッチに、今更興味を示されるとは思わなかった。
何か、気紛れな男だね。もうもらうこと前提で、というより目が寄越せと言っている。
まあ、いいか。どっちにしろ作りすぎてしまったんだ。鴎には悪いが、こいつはオソナエさせてもらおう。



「口に合わないかもしれないけど」

「合わずとも、頂く」



そうしてそいつは去ってった。
五右ェ門という名の男は、私が出会った中で一等奇妙な奴だったと幻のように思うよ。










――――――
狼のような男はルパン。イギリス版のWolf the 3rdから。

去ろうと思えばいつでも去れるのに、何だかんだそこに留まっていたのはどうしてなんでしょう。とかっこつけてみる。
何と言ったらいいかよく分からない話にお付き合い下さってありがとうございました。




リゼ