ふたり

「あんたが大人になったら、私の事、お嫁さんにしてくれる?」

あの時のギンの顔は傑作だった。細い目を見開いて情けなく固まっていた。

「なによ…嫌なの?」
「あ…えっと…。」
「もうっ!!ハッキリしなさいよ!」
「い、嫌じゃないです!!そんな訳無い!!する!お嫁さんにする!」
「そ。よかった。」

ギンと町に下りた時、初めて“夫婦”というものを見た。笑い合っているだけなのに、その間に流れる空気は私とギンのものとは違っていた。私の心臓はどくんと跳ね上がり、しばらく目が離せなかった。
私の知らない感情。
今思えばそれは“愛”。
ハッキリとその存在を見て、自分でも表現出来ぬ感情に襲われていた。

何度か町へ通ううち、夫婦というものがあらゆる所にいるのだ知った。初めて見た若い二人だけでは無い。人目も気にせず口喧嘩をする二人、縁側に座ってただニコニコと微笑んでいる年老いた二人。いろいろな形があった。
だけどみな初めて見た二人と似たものを感じた。
“恋人”を知った時に感じたものとは違う。うっとりとした生々しい程の甘い瞳では無い。
幼い私は掴みきれぬ感情をもて余すばかりだった。

私はある一組の夫婦と仲良くなった。
流魂街でも治安の悪いこの場所は、力の無い私には生きづらいところだった。すれ違いざま、ぶつかっただの因縁をつけてきた男数人に暴力を振るわれそうになった時、助けてくれたのがその二人だった。

震える私を家に招き入れ、落ち着くまで背中をさすってくれた。泣きじゃくる私の頭を撫でてくれた。
後日恐る恐るお礼を言いいたくて家を覗いてみると、笑顔で迎えてくれた。それから私は町へ下りる度に、遊びに行くようになった。これはギンには秘密。秘密基地のような存在だった。

とても仲のいい夫婦だった。笑いが絶えず、汚い町の中でその家の中だけは明るい光を放っている気がした。お互いの事を思い合っているのだと子供の私でも分かった。

ある時、いつものように訪ねると二人の姿が無かった。うろうろと探し回っていると、木の下に二人の影を見つけたので声をかけようとした。しかし喉元まで出かかった言葉は口から漏れる事は無かった。

二人は私の知っている二人では無かった。
互いを見つめ合い、気づいた時には影は重なっていた。
初めて見るキスだった。

私は怖くなってその場から逃げ出した。
見てはいけないものを見た気がした。

しばらくして、私はまた二人に会いに行った。相変わらずあの時感じた恐怖の正体は分からぬままだったけれど、恐怖は興味に変わりつつあった。
「あら乱菊ちゃんいらっしゃい。久しぶりね。」
「こんにちは!」
家には奥さんしかいなかった。旦那さんは出掛けているという。
「そういえば、彼は今どうしてるの?」
「…彼?」
「ほらギンちゃんよ。乱菊ちゃんのボーイフレンド!」
「ぼーい…?」
「恋人って事!」
私は真っ赤になって顔をぶんぶんと横に振った。
「ち、違うよ!ギンは私の…」

あれ?
なんなんだろ……

「ふふ、冗談よ。気にしないで。」

今まで意識したことは無かったが、この関係は何にあたるのだろうか…。
私の知っているどの関係にも当てはまらない気がした。

「ねぇ……。」
「ん〜?」
「夫婦って……なに?」
「え?」
びっくりした彼女の顔を見て、自分でも何を言っているんだと恥ずかしくなった。それでも、赤面してうつむく私に優しく笑って答えを返してくれた。
「そうねぇ〜。ひとそれぞれだからなんとも言えないけど、私にとってあの人は―」
「…?」
「“恋人”であり“一番の親友”であり“大切な家族”ね。」
「……。」
「まぁあっちがどう思っているのかは知らないけど!」
「愛してる?」
「ぶっ!あんた直球過ぎるわ「愛してる?」
「………。そうね、愛してるわ。」

私は胸に詰まっていたものが少し取れた気がした。

「でも私はあなたの事だって愛しているわよ?」
「私も…?」
「そうよ、みーんな!隣のおばあちゃんも、友達のみっちゃんも。この空も木々もみんな、愛してる。それこそ会ったこともないギンちゃんの事だって愛しているわ?」

彼女はとても嬉しそうに笑っていた。今まで見たどんな笑顔よりも美しかった。
「言葉で括ろうとするから難しいのよ。愛にはね…いろんな形があるの。同じものなんてひとつも無いのよ。」
私にはまだ“愛”という言葉が恥ずかしかった。よく分からない事もたくさんあったから。でも確かに私は自然も、人も大好きだ。
「でも旦那さんは特別なんでしょ?」
「子供が大人を茶化すんじゃありません!」
「でもそうなんでしょ?」
「…まぁね。」
照れくさそうにする姿が可愛らしくて、私も笑ってしまった。





その日、旦那さんは帰って来なかった。
次の日も、また次の日も。
人に聞いた話では、殺されたのだという。理由は分からない。そんな事はここではよくある事で、みんな「可哀想に…」という一言だけを残して去っていった。

それ以来あの家に行くことは無くなった。
奥さんも、後を追ったのだと聞いたから。


憧れていた、
二人が死んだ。






「私をお嫁さんにしてくれる?」
私が将来あんな風に笑い合えるとすれば、ギンしかいないと思った。

「する!お嫁さんにする!」
「そ。よかった。」

友達、恋人、家族…そんなすべての愛を詰め込んだ関係。私はいつかギンと“夫婦”になりたい。
あの二人のように、なりたい。

「いっぱい愛してね。」
「え!?…えぇと…。」
「ずっと一緒にいてね。」
「ど、どないしたん急に…。」
「いいから。約束。」

私が小指を差し出すと、ギンは戸惑いながらも指を絡めてくれた。
「やくそく。」
「やくそく。」










嘘つき。

歪む視界の中で私はギンの血の通わなくなった冷たい手をとった。
震える手で指を絡める。

嘘つき。
嘘つき。
嘘つき。

この指に誓ったじゃない。


みんな愛し合っているのに、

どうして―



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