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それはとある日のお話。
普段通り名前はバイト先であるスナック吉原に夕方に出勤し、姿見を黒髪黒目に変えてメイクもしっかり済ませていた。

そしてオープニングから共に働いているほかのキャストと雑談をしたりトークの相談に乗っているうちに開店時間となり。
店の門の赤い提灯に明かりが灯されれば早い時間から常連、新規問わず男達が門をくぐってくる。

紅を引いて、練り香を手首と耳の下に塗り込めば仄かに漂う淫靡な香り。

『さて、今日も稼ぎますか!!』

そう意気込んでシュッと深い谷間を覗かせている襟を正せば、同時にキャストの控え室の戸がガラリと開いた。

「夕霧さん、ご指名入りました!奥の離れの間にお願いします!」

ボーイがそう告げて部屋までの同伴の為に名前の後ろに付く。
奥の離れの間・・・・それは通常の接待をする座敷から離れた場所にあるVIP客をもてなす部屋である。
その部屋を取るには前金が必要で、更にチャージ料金も通常の接待部屋と比べるととんでもない金額だ。
だが高いチャージ料金と前金を支払えば、好みのキャストを何時間も独占して指名できるという特典がある。

『(金づる来た!!)』

途端に名前の頭の中の賽銭箱がチャリンと音を立てる。
何故なら奥の離れの間を好んで使用する男を名前は二人ほど知っていた。

一人は元より穴だらけの顔に更に穴を開けてピアスを飾っている暗殺部隊の大柄な男。
そしてもう一人はそのピアス男の同僚で、一度晩酌に連れてこられてからどっぷりとこの吉原に・・・・否、名前に嵌った真っ直ぐな長い銀髪を持つ男。

はてさて、今日はそのうちのどちらかが来店したのだろうか。
それともまた二人?いや、そこまで仲がいいようには思えない。

だがいずれにしても金づるである事には変わりない。

「あと夕霧さん、これを。」

『あぁそうですね!忘れるところだった。ありがとうございます。』

名前はボーイに手渡された風呂敷に包まれた荷物を手に持ち、この数ヶ月ですっかり通いなれた奥の離れの間へと向かい意気揚々と襖に手をかけたのだった。


◆◆


『それで、なーんで君がここにいるのかなぁ?』

「〜〜〜〜〜ごめん名前!どおぉぉぉしても一回来てみたかったんだ!連絡しなかった事は本当謝る!でもどうしても遊女姿の名前を生で見たくて海越えて来ちまった!!!」

厚い座布団の上で胡坐をかいて据わっている金糸の男は、ジト目で睨みつけてくる目の前の偽りの黒髪を流している女に、ただひたすら手を合わせて謝っていた。
男はこの店のドレスコードに合わせようとしたのか、普段のモッズコートではなくグレーのスーツを身に纏っている。

すると名前はため息をついて男に手を伸ばし、徐に彼の頬を指で摘みぐいーっと捻り上げた。

『ったく・・・部屋入った瞬間ボーイが後ろにいるの忘れて叫びそうになったわ。心臓に悪すぎだ。』

「いいいいい痛い痛いゴメンって名前!ほんっとうゴメン!」

頬を引っ張りながら唇を尖らせている名前に、今晩の客として店に訪れた男・・・・彼女の恋人であるディーノは何度も何度も謝罪を口にする。
遠慮なく抓られてヒリヒリとする頬を手で押さえたディーノは、膝と膝が当たる距離で顔を俯かせている名前に更に焦りを見せる。

『あのねぇ、店に来たかったのはわかるけど恋人に金払われて呼ばれる女の気持ちわかる?』

「!」

そして恋人の口から零れたその言葉にディーノの心臓はキュッと縮こまり、とてつもない罪悪感に襲われそうになったが・・・・・、

「名前・・・・や、やっぱり俺が職場に来るの嫌だったか?」

『んなわけないでしょ。店に来たからにはじゃんじゃん金落として行けよ。毎度ありぃっ!!!って思った。』

「・・・・・名前のそういう所って恋人になっても全然ブレないよな。」

やっぱり罪悪感を感じる必要はなさそうだと、ディーノは罪悪感の代わりに少しだけの悲しみを感じて乾いた笑いを零した。

ことの始まりはほんの数分前だった。
ボーイを後ろに従えてVIP専用の離れの間に訪れた名前は、入り口の襖の前に両膝を付き、いつもと同じように『失礼致します。』と声をかけて襖を開けた。

そして伏目がちのまま三つ指をついて頭を下げる。

『ご指名を頂きました夕霧でありんす。旦那様、今宵はこの夕霧をお呼び頂きありがとござい・・・・・っ!?』

礼を言いながら頭を上げ、奥の座敷に座る今日の上客の顔をその瞳に映した瞬間、普段の名前らしくもなく仕事用のポーカーフェイスも忘れて思わず息を飲んだ。

「よっ。」

なにせ座布団の上に胡坐をかいて満面の笑みで名前に手を振っていたのは、つい昨日も電話で話をした遠い異国にいるはずの恋人のディーノだったのだから。
ディーノは固まる名前にキョトンと首を傾げて見せるが、後ろから「夕霧さん?」と小声でボーイに源氏名を呼ばれてハッと我に返った名前は、仕事用の笑みを浮かべて仕切りなおす。

『・・・・コホンっ。失礼いたしました旦那様、今宵はこの夕霧をお呼び頂きありがとうございます。お部屋に上がらせて頂いても?』

「おう!もう待ちきれなかったぜ!」

ニコリと微笑む名前に釣られて更に笑みを深めたディーノは、早く来いと手招きをする。
そして優雅な仕草で立ち上がった名前が座敷に上がると、廊下に膝を付いているボーイが「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げながら、静かに襖を閉めた。
名前はボーイの気配と足音が部屋の前から離れたのを見計らうと、先ほどまでの笑みをスッと無表情に切り替えてズカズカとディーノに歩み寄り、ドスンと隣に腰掛けるとジト目で恋人を睨み上げる。

その顔を見てディーノは「あ、しまった。」とようやく浮かれたテンションを収めて、事は冒頭に戻るのである。

『私が怒ったのは連絡無しで来た事だ。もしもこの時間に私の指名が取れなかったら君はどうしてたんだ?他の娘を指名してたわけ?そりゃあ楽しそうだなぁ?なにせうちの娘達は皆可愛いからな。』

グイッとネクタイを引っ張って顔を近づけ、プゥと頬を膨らませてそう問い詰める名前。
その言葉にディーノは名前が怒っていた原因がようやく分かり、更にその原因が己が店に来たことではなく、ディーノが他の娘を指名していた可能性に焼いている事だったと知り思わずデレッと破顔させる。

「なんだよ、もしかして名前が空いてなかったら他の娘を指名してたかもしれないと思って怒ってたのか?そんなわけないだろー?ヤキモチ焼いちゃって可愛いなぁ名前は。」

『は?なにヘラヘラしてんの?ルイ13世(※お値段100万円/吉原価格)でも入れてやろうか?』

「うん、ごめん調子に乗りました。あと普通のブランデーでいいから。ルイ13世は家にあるけどあんまり好きな味じゃないし。」

『家にある上に味の問題かよ。お客様からオーダーいただきましたー!ヘネシーパラディお願いしまーす!ついでに私のハイボールもお願いしまーす!』

滅多にない名前のヤキモチに嬉しそうに顔を緩々にさせるディーノだったが、据わった目で下睫を引っ張られると早々に両手を挙げて降参ポーズをとった。
そして名前が手短にオーダーを済ませてディーノ用のブランデーと、勝手に注文した名前用のハイボールが部屋に届くと、名前は手際よくブランデーを作り始める。

『水割りとロックどっちがいい?』

氷を手にそう尋ねると、ディーノは少し考えた後に「今日は水割りにしておこうかな。」と水割りを希望した。
名前がグラスに氷を置いてブランデーを注ぎ、適度な量の水で割ってマドラーでかき回していると、ディーノの視線がグイグイと名前の顔に突き刺さってくる。

その目はとても嬉しそうで、口元はニンマリと弧を描いている。

『何、ニヤニヤして。』

「んー?些細な事だけどさ、俺好みの割り水の量を名前が覚えててくれてるっていうのがすげぇ嬉しくて。ちゃんと俺の事を見ててくれてるんだなぁって思うと、あーもう名前マジで好き結婚してぇって思うんだよなぁ。」

『・・・・・うっ。』

そのはちみつ色をした瞳から発せられる熱烈な愛情に、直視すれば溶けてしまうのではないかと思う程の熱を感じて名前は思わず息を飲んだ。
それはディーノ本人が言うとおり、好みの割り水の量を名前が知っているというほんの些細な事。
けれど些細な喜びを見逃さずに拾い上げて、大切に自分の中に仕舞いこむディーノからの真っ直ぐな好意に、名前は自分でも気づかぬうちに口元に笑みを浮かべていた。

そして出来上がったブランデーが揺れるグラスをディーノの手に握らせると、膝が付く距離から肩が付く距離につめて、そっと身を寄せる。

『そりゃあ、君の好みは少しずつ私も把握してるつもりさ。誰でもない、君の好みだからね。例えば女に着せる服はレース物が好きだろう?』

「当たり。ていうか名前に似合うのがレース、って話だけどな。」

『私に着せる下着の好みは黒かピンク。』

「それも当たり。黒を身につけた名前は最高にゾクゾクする。」

グッと顔を寄せて目を細めて笑うディーノに、名前は腰に回ってきた彼の腕を抓りながら同じように目を細めて笑った。

『厭らしい顔してる。』

「そりゃあ、名前が下着の話を振ってきたから。それに目の前に俺のルネッサンスがチラ見せされてれば・・・・・なぁ名前?」

抓られてもめげないディーノの腕は名前の腰から離れて、背中をなぞりながら項に辿り着くと、人工的な黒髪の中に潜り込んで耳の裏を擽る。
耳の裏を撫でるディーノの指にビクリと体を揺らした名前だったが、すぐにその手を取るとお行儀の悪い彼の人差し指を唇でハムリと食んだ。

それはまるで情事の際に彼女がよくやる仕草で、上目遣いで見上げながら小さな歯で指を甘噛む名前の表情にディーノは更に顔を寄せる。

「名前・・・・・、」

そしてディーノの唇が己の指を食む名前の赤い唇に重なろうとした瞬間。

『はい、ここまでね。』

「え゛、」

パッとディーノの手を解放した名前は、さっさと立ち上がって彼の傍から離れると入り口近くに置いていた風呂敷を手に取る。
そし行き場もなく空気を抱き締めたままポカンとしているディーノの元に戻ると、さっとその風呂敷を広げた。

「名前・・・・?」

『現在当店では浴衣キャンペーンを行っておりまして、堅苦しいスーツではなく浴衣に着替えて遊女とお酒を楽しみませんか?がコンセプトです。
つーことで突然だけど脱げ、ディーノ。』

風呂敷に入っていた浴衣を広げて名前はニヤリと笑みを浮かべると、早速とばかりにディーノのネクタイを引き抜きジャケットのボタンを外していく。

「え・・・・っちょ、名前!?そんな大胆な・・・・!」

『紛らわしい言い方をしないでもらおうか。コレは仕事ですー。ほら、脱がされたくなかったら自分で脱いで。浴衣着付けてあげるから。』

「・・・・なんだそういう事かよ。」

『ナニを期待してたんだか。ほら、スーツはハンガーにかけとくから、浴衣に袖通しておきなよ。』

期待していたシチュエーションとは違った事に唇を尖らせているディーノを笑って、名前は脱いだスーツのジャケットをハンガーにかける。
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