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『一体、なんだこりゃ。』

名前は目の前に広がっている荒野を見渡し、寝起きの目を擦って掠れた声でそう小さく呟いた。
圧倒的、外だ。風は涼しいし緑と土の匂いが鼻を擽って、なんだか懐かしいような気持になった。
そしてつい先ほどまでの己の行動を振り返る。

『えーと、水沢に頼まれてお使いに行って帰っ・・・・・眠くなってきたからそのまま寝て・・・・自分の行動ながら自由だな私。』

彼女の記憶は手入れの終わった刀を横に置いたまま、座布団を枕に昼寝に突入したまでだった。そして眩しさと背に当たる固い土の感触に不快感を覚えて目を覚ましたのだが、ここで冒頭の荒野の風景に戻る。

見慣れた水沢家の縁側、というより家自体がどこにもなく、名前は見渡す限り建物もない荒野に一人放り出されていたのだ。
いや、独りぼっちではなく手入れし終わったばかりの愛刀が2本、しっかりと手元にはあるのだが。

『これは・・・・なるほどアレだな。恐らくまた骸とか凪がよく居る精神世界ってやつか?なら、いでよアイアンメイデンー。』

目が覚めて外だったので一瞬混乱はしたものの、今まで常識とはかけ離れた現象を度々体験してきている名前にとって、順応するのに時間はかからなかった。
まずは六道骸や凪と会話をした精神世界である、という仮定を立てて、この空間が自分の望むように変化するか試してみる。

『おっと・・・・?』

以前、足を踏み入れた精神世界では、己の望む物が形を作り触れる感触さえ本物だった。
しかし、あの時と同じように、ぱっと頭に思い浮かんだ拷問器具を具現化させようと試みるも、いつまでたっても何も起こらない。
まるでゲームの必殺技でも出すように手をかざしている己が恥ずかしくなってくる程、何も起こらなかった。

『……そうかそうか。なるほどな。ここは精神世界ではないと。じゃあ何処だここは。あれか?漂流教室的なアレか!?爆発に巻き込まれて未来に飛ばされて、環境汚染で人類が滅んだ絶望しかない未来に飛ばされた小学生のように、私も未来に飛ばされたって事か!?やばいじゃん、元々江戸から別世界に飛ばされて現在なのに、これ以上時間軸とか世界跨ぐとか私いくつ世界を掛け持ちすればいいんだ!?』

そしてようやく本気で今の状況がやばいと判断したようだ。
名前は愛刀を持っていない方の手で額を押さえると、ハッと目を見開いて着物の袖や懐を探る。

『そうだ、携帯・・・・ないし!!そうだよな、家の中にいたのに携帯を懐になんて入れるわけないし。』

期待はしてはいなかっが、やはり連絡を取れそうな物は一切身に付けてはいなかった。
刀以外で身に付けていたものと言えば、袖の中に入っていた棒付きの飴が数本程度だった。
ないより合った方がいいにはいいのだが、なんとも物悲しくなってくる所持物だ。
突然知らない場所に放り出された名前の所持品は、刀2本と飴数個。

名前はため息をつくと、手にしている愛刀のうち1本に視線を落とし『ねぇ』と声をかける。

『紅桜、なんでこんな時に限って静かなのアンタ。いいよ人の身になって。むしろ人の身になってよ頼むから。』

愛刀の1本である紅桜は、化学と妖術を組み合わせて作られた妖刀で、つい最近1000人の血を吸って人の身を手に入れた刀だ。

耳に入ってくる音と言えば、風に揺れる葉が擦れ合う音のみ。

名前は愛刀を抱きしめてその場に座り込み、茶色ばかりの地面から逃げるように空を見上げて口を開いた。

『あーもう、いくら非常識が日常になっていたとはいえ、こんな気軽にポンポンどこかに移動できるもんかね。なんかもう色々と泣きたくなってきた。』

ぽつりと呟いた名前の声に返事をする者はいない。
普段ならば頭の中で紅桜が何かしら声を発して鬱陶しいぐらいなのだが、そんな紅桜が今日に限って静かだ。
名前は抱いている紅桜本体を見下ろすと、少しだけ悔しげな表情で口を開いた。

『ねぇ、紅桜ってば。おい、こら。寝てんの?普段は喧しいぐらいに何か話しかけてくるのに、なんで今日に限ってそんなに大人しいわけ。』

そう、話しかけてもやはり返ってくるのは無言で。
当たり前なのだが無機質に話しかけているという己の状況に、色々な意味で寂しさが増したような気がした。

『迷子になったら動くなっていうけどさー・・・・ここでしゃがみこんでてても仕方ないよなぁ・・・・・よし!!』

このまま此処にいても仕方がない。
そう頭を切り替えた名前は、ぱんっと己の頬を叩くと立ち上がり、足元に落ちていた一本の棒を手に取る。
そしてそれに手を添えたまま地面に立てると、そのまま手を離した。
当たり前だが支えを失った棒は重力に従って倒れる。


『・・・・・東か。』

棒が倒れた先が示していたのは東の方角で。
名前はつま先を棒が示している方へと向けると足を踏み出す。
その時、向かおうとしていた先から何やら宙に浮いている物体がこちらに飛んで来るのが目に入った。

『・・・・・なんだ?』

訝し気に眉を寄せた名前の瞳に映るのは、爬虫類のような形をして、だがその姿を形どっているのは骨で、その口には短刀を咥えているなんとも形容し難い生き物だった。
今まで見たことがない生物だが、その体はしっかりと意志を持って蛇のように蛇行して名前のほうへと向かってくる。

『蛇・・・・?いや、トカゲ・・・・いや・・・・・化け物か!?』

その姿が鮮明に見えた名前は、顔を引きつらせて思わず後ろに後ずさるが、その手はしっかりと愛刀鶴姫一文字の柄を握り、いつでも抜刀できる体制だ。
チャキッと金属の音を立てて引き抜かれたそれは、太陽を反射して鈍色の光を放つ。

『おいおい・・・・なんだっていうんだアレは…骨が浮いてる・・・・?』

今まで見た事のない、得体のしれない生き物に名前は顔を引き攣らせたまま、とりあえず刀を抜いた。
あちらに敵意があるのかは不明だが、その口に短刀を咥えている事は間違いない。
すると爬虫類のような骨の生き物は、蛇行しながらきょろきょろと首を動かしていたが、前方に名前の姿を見つけるな否や、スピードを上げて向かって来た。

『・・・・・マジか。』

一直線に己の方へ向かってくるその生き物。
懐に入ってきそうな高度だが、口に短刀を咥えたまま懐に入られたら顛末は見えている。
口に咥えている短刀が光を反射した瞬間、名前は咄嗟にしゃがんで体制を低くすると、後頭部すれすれを短刀が掠めたのが分かった。

あのまま立ち尽くしていたならば、恐らく腹を抉られていただろう。
敵意を感じる事はできなかったが、逆に好意を感じる事もなかった。

そして生き物は名前の頭上スレスレを掠めた後、クルリと方向転換をして再びこちらに向き直る。
その姿はまるで獲物を狙っている動物のようだった。

『・・・・そうかいそうかい。狩るか狩られるかってわけか。』

生き物の意図をなんとなく理解した名前は、紅桜を帯紐に差し、抜刀したままの鶴姫一文字をかまえる。
すると生き物は再び短刀の切っ先を名前へと向けて、蛇行しながら猛スピードで飛んできた。

『短刀を咥えている割には太刀筋は適当だな。本当なんなんだこの生き物。連れて帰ったら新種発見的な感じで表彰もんだよ。』

馬鹿正直に正面から向かって来たその生き物を軽々と避けると、名前はそのまま手に持っている刀を振り下ろす。
次の瞬間には頭部と胴体がすっぱりと切り離され、生き物の口からは短刀が抜け落ち、そのまま黒い砂となって風に流されていった。

足元に残っているのは、生き物だった骨だけだ。

『・・・・・洒落にならん。』

尻尾の部分を鷲掴んだ名前は、とりあえず足元の頭部は足で踏んだまま、掴み上げている胴体に顔を近づける。
先程までピチピチと動いていたそれはもはやただの骨が連なった物体に成り果てて、ピクリとも動きはしない。

短刀が砂になって消えた途端これなのだから、体を動かしていた本体は、口に咥えていた短刀だったという事だろうか。
すると今度は前方から数人が駆けてくるような足音が聞こえて来た。

「取り逃がしがこっちに向かっていったはずだよ!」

「早う討たねば予想外の被害が出てしまうなぁ。」

「申し訳もございませぬ。この小狐、一生の不覚・・・・!」

「気に病む事はない小狐丸殿。誰にだって失敗はある。悔やむより先に取り逃がしをなんとかする方が先決だ。」


風向きの関係で声が聞こえて来たが、どうやら向かってきているのは数人の男性のようだ。その姿もだんだんと確認できるようになってきた。
着物姿の男性もいれば、洋装の男性もいる。
だが統一されているのは、皆その手に刀を握っている事だった。

『なんだなんだ・・・・!?平安に執事にダンダラ模様・・・・!?統一性のなさが逆にすごいな!?』

こちらに向かってくる男は4人で、一人は一目見ただけで高貴な着物だと分かる群青の狩衣、一人は全身を黒で統一した燕尾服に革靴に眼帯を付けた男、一人は見事なまでの白く長い髪に山吹色をした着物、そして最後に白と黒のダンダラ模様の入った着物を肩にかけた、体格のいい男だった。
するとダンダラ模様の着物を羽織る男を見た瞬間、何故か名前の中で妙な懐かしさが沸き上がる。

『・・・なんだ…?どこかで会ったことが・・・・いや、ないない。』

記憶を遡れど、彼と合間見た記憶はなかった。
すると男性達も手に骨を持って立ち尽くしている名前の姿に気が付いたようだ。
しかしその表情は驚愕に染まっている。
だが真っ先に名前の傍に駆け寄ってきたのは、ダンダラ模様の着物の男だった。

「名前!?なぜここに・・・・お前は今日は出陣はなかったはずだぞ!?まさか時空移転の時に巻き込まれたのか!?」

『・・・・・は?』

男は名前の正面に来ると、その手に持っている骨と彼女の顔を交互に見やり焦りの表情で「巻き込まれたのか」と問い正してくる。
いきなり肩を掴んできた大柄のその男性は、一気にそう捲し立てた後に訝し気名前の表情を見るな否や「お?」と首を傾げた。
彼と共に居た統一性のない服装の男達も、一様に驚いた様子で名前を見つめている。

「名前・・・・・だよな・・・・・?」

『名前は名前なんだけど・・・・私はおじさんと面識はないと思う・・・・。』

「いや待て、なんだか俺の知る名前より大人びているというか・・・・・うん、大きいな。どういう事だ?」

『そりゃこっちが聞きたいよ。おたくが言ってる名前って、』

「ああああああっ!!!!!!」

『なんだなんだ!?』
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リゼ