読書の時間
「皆で話し合った結果、君にその役目をやってもらう事になった」

「…私ですか?」

 翌日、木陰で読書に耽っていたところを村長に話し掛けられた彼女は首を傾げた。

「君は生まれながら魔道を身につけ、他の者より明敏な子だと儂は思う。力だけで動く男達より頼りになる。…お願い出来るかね?」

 話し合いによって決められたことらしい。だが、本当は大人達は怯えているのだ。自ら危険な目に遭うなんて真っ平御免、と言ったところだろう。
 魔物を本に閉じ込める為、彼に本を読ませる役として彼女が選ばれた。読ませると言ってもただ彼の城にこの本を置いてくるだけの事だ。

「別に…良いです。でも先ず…」

 断る理由も取り分け無かった彼女は承諾すると、作戦の中に一つ付け加えをした。

「彼も私達の様に嘸かし用心深いと思います。だから、ある程度違う本を読ませて油断させてからこの本を読ませましょう」

 村長はやり方は好きにして良いとだけ言い、後の事を全て彼女に任せた。年老いた背中は実に頼りないように見えた。


 魔物狩りの第一歩が始まった。村からの外出許可を得た彼女は自分の持っている本を携えて魔物の城に向かった。人が通らないためか、森の中は道という道が全くない。
 槁木の雑ざる森を30分歩くと大きな城が堂々と、然し静かな佇まいを見せた。大きく仰いでも太陽の光は見えず、建物には蔓が執拗に巻き付いて建てられてからの相当な年数を物語っていた。

(もっと古びた廃墟みたいな所かと思ったけど…)

 これといって目立った崩壊が見られない城の、これまた大きな門を通って静かに侵入した。驚く程しんと静まっている様子は更に彼女を緊張させ、微かに動く草木の揺れにさえ肩を震わせた。

(…魂を取られる噂は嘘っぽいね)

 身を屈めて奥に進むと一室の窓が無防備に開いて、そこから黒地の窓帷がバタバタと身を泳がせていた。部屋の中に誰も居ないのを察して素早く近付き、窓辺の机にそっと本とメモを置いた。

『私を楽しませたこの本を貴方に貸します。』

 自分の本なので贈る事は出来なかった。
 村長の話に寄れば、魔物は本が好きで眠る前に何か読むらしいので、誰が読んでも楽しめる本を引っ張り出してきた。果たして魔物は本を読んでくれるのだろうか。


 一週間が経ってもう一度魔物の城に行った彼女は、窓辺に置かれている物を見て目を丸くした。古代魔法の歴史を描いた本の栞が後ろの頁に挟まっていたのだ。魔物は読んでくれたらしい。
 最後まで読んだのを確かめると新たに持って来た―今度は分厚い―本を机の上にメモを添えて置いた。古代遺跡や地方の伝説を記したこれは彼女のお気に入りだった。




 赤みがかった茶髪と青血の瞳を持つ彼。周囲の人間は勝手に震え怯えているらしいが、彼は全くの無関心だった。
 食事を終えた彼は寝室に戻り今夜も読書に耽ようと、ズラリと並ぶ本棚に手を伸ばした。然し殆ど読み終えてしまったのが事実で、手にした本も何度か読み返した物だ。
 内容を薄々思い出して机に向かうと、見覚えの無い黒い本に目が留まった。昨日まで読んでいた本が無いのにも気付く。
 彼はその本をじっと見ては持ち主の事を考えた。次第に彼の口許は緩やかな線を描く。




 二週間明けて再び彼女は魔物の城に出向いた。この頃には恐怖や危惧など忘れ、魔物が本を読んでくれる事に喜びさえ感じていた。
 今回は経過を見に足を運んだ。何しろあれは千頁を軽く越える歴史書みたいな代物なのだから。
 何時もの通り窓は清々しい風を部屋に招き入れ、机には存在感の大きい本が置かれていた。付属の栞の位置を見ると半分を越えたばかりだ。中々に梃摺っているなとくすりと笑っていると、ドアノブを捻ねる音がして咄嗟にしゃがみ込んだ。
 部屋に入って扉を閉める音と段々近付いてくる足音を息を凝らして聞き、彼が椅子に掛けて読書をすると分かった途端、緊張が解れた。一頁一頁捲る音を彼女は心地良く聞き、書き記された事と読み耽る彼の姿を想像すると、自然に顔が綻んだ。
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リゼ