時間切れ
「彼は私達人間と同じ感性を持っています。尤も、あの城に入る事が出来た時点で一つの噂は嘘と証明されました」
「詰まり、君は何が言いたいのかね?」
手紙を忌ま忌ましそうに見て言う村長は明らかに怒りを募らせている。矢張り勝手にも程があったのだ。
「彼を封印する必要は無いという事です」
「ならん!!」
滅多に大声を出さない老人に驚いて肩を震わした。村の若者達も、彼女を批難の目で睨み付けていた。
「魔物の所為で気が狂ったんじゃないか!?」
「抑々、魔物は本が好きなんだから何度も読ませる必要は無かっただろ。それを態々するなんて怪しいな」
「これだから魔術者は何を考えてるのか分からん」
彼等の言葉は絶望的だった。何故真実を受け入れないのだ。終いには「卑しい魔女め」などの呪詛の言葉を吐く。
「私は正気です!兎に角もう彼に関わるのは…」
焦りの所為で冷静さを失った彼女に一人の若者が殴り掛かった。頭がくらくらして目の前が真っ暗になった彼女は、抵抗する術も無く倉庫に閉じ込められた。
到頭怒り狂った村人達はあの本を持って想像で作られた恐ろしき魔物の元へ向かって行ってしまった。
どれ程の時間が経ってしまったのか皆目見当のつかない彼女は目を覚ますなり、施錠された扉をこじ開けて行く手を阻む大人達の手を擦り抜けて一心不乱に走った。とにかく早く、急がなければ。彼にアレを読ませてはいけない。
自然に薄化粧を施す雪は止み、冷えた体を温める食事を済ませた彼は自室に戻るのがとても楽しみだった。今夜はどんな本を届けてくれたのだろう、そしてあの手紙の返事は書いてくれたのだろうか、と。
心を躍らせ乍らドアを開け真っ先に机に向かった。其所には絵も題名も書かれていない本―だけ―が無造作に置かれていた。
彼女は返事に戸惑っているのだろうか。それにしても然し、これはまた珍しそうな本だ。
本の不審な点に興味を抱いた魔物は早速読もうと表紙に手を掛けた。
「―ッ!」
不意に誰かの声が耳を掠った。
―嗚呼、来てくれたのか。
内心嬉しかった彼は彼女に気を取られたまま無意識に本を開いた。窓の近くまで駆け付けた彼女が何事かを叫び、すると同時に目映い光に包まれた。
無駄だと分かっていても無意識に手を伸ばした彼女は、紅い魂が魔物の身体から抜け出て本に吸い込まれるのを見た。悲痛なまでの彼の絶叫が耳に響き、咄嗟に彼が自分を睨み据えているのが垣間見えた。
―おのれ、おのれ…おのれッ!!
初めて見た魔物の顔。烈火の如く燃える目、全ての喜楽から切り離された絶望感と怒りに満ちた…悪魔の顔。恐かった。ただ、その時は。
魔物の魂を閉じ込めた本はパラパラと勝手に頁を捲り、最後の頁がパタンと閉じられた。主を失った城は相変わらず静謐を保って彼女を見下ろしている。
徐にその本を抱きしめるとガクリと膝が折れた。
「ゴメン…なさい」
その静夜、村人達は魔物が無事退治出来たといって宴をあげた。
「あの魔物も、大好きな本の中に封印されて本望だよな!」
食事に夢中だった若者がふと、例の本を肌身離さず持っている少女を見て態と大きな声で嘲り乍ら言った。部屋の片隅で一人、申し訳が立たない少女はその間ずっと泣いていた。只管哀しかった。
見苦しく思った若者は彼女から本を取り上げると外につまみ出した。外はまた雪が降り始めている。
真っ白な雪をぼうっと眺めていた彼女はふと立ち上がって、そのまま何かに取り付かれた様にふらふらと歩いていった…。
その後、彼女は消息を絶った。そして人々が恐れていた魔物の存在も、長い時を経て忘れ去られた……。
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