前編
「いらっしゃい、リデル嬢」

 肌寒い空気とは裏腹に、扉を開けた紳士の笑顔はとても温かく柔らかだった。

「今晩はジズ様」

 凍り付くような寒さに堪えながら来た甲斐があったと、リデルは彼の笑みに迎えられてそう思った。紫の日傘を閉じて屋敷の中に入り人形達の新たなお出迎えを受けて客間へ連れられると、ほんのり甘い香りと温かな空気がリデルの五感を擽った。
 彼女はジズからお茶会の誘いを受けて彼の屋敷にやって来た。生前から交流があった2人としては極自然な事なのだが、女優活動に明け暮れるリデルにはのんびり優雅にお茶をする時間が中々取れず、今日の誘いも実に数年振りになる。英吉利から伊太利へ行く際の時間も問題の一つだが、親しい人へ会えると思えばどうでも良くなる事だった。

「どうぞ、こちらへ…」
「有り難う御座います」

 紅いテーブルクロスの敷かれたお洒落なテーブルと黒いゴシック風の椅子がある所までジズはリデルの手を引いてエスコートし、先に彼女を座らせると指をパチンと鳴らしてアンティークのティーセットを出した。

「この日の為に貴女が好きなアンティークの物を認めました。如何デス?」
「アラ嬉しい!ジズ様の魔術は相変わらず見事ですわね」

 2人が生きていた当時、ジズは名の知れた魔術師だった。リデルの劇場―当時は劇団に入ってオペラもしていた―を鑑賞しに来るジズは必ず華麗な魔法を使って美しい花を贈ってくれたものだ。

「さあスィニョリーナ、紅茶とハーブティー…どちらに致しましょう?」

 ジズはティーポットを手にリデルに微笑んだ。

「じゃあ、ハーブティーでお願いします」

 ジズは注文を受けるとその場でラベンダーを使ってお茶を作り始めた。紫の花と緑の葉をポットに入れ、人差し指をくるくる廻して蛇の様にうねる糸状の水を呼び、葉を踊らせる様にポットへ注ぎ蓋をした。この時の彼の動作は滑らかで無駄が無く、逆に言ってしまえばちょっぴりオーバーなアクションだった。

―嗚呼、懐かしいわ…。

 頼もしい彼の姿に、閉じた蓋の下でラベンダーの花がくるくる廻っているのを想像し乍らリデルは溜息をした。
 貴族の中でも気高く憧憬の眼差しを向けていた彼は今も変わらず接してくれる。過去の幸福が本の少し甦り、時に1枚の絵となり脳裏に映る忌まわしい「記憶」が黒い炎で焼かれていった。

―この人が変わらないといっても、あの時とは決して違うわ…。

 今の彼は愉佚であり、その姿に自分は愉愉としている。あの冷たかった笑みを思わす仕種は何処にも無い。彼は別の意味で変わったのだ。
 暫し和んでいる内にハーブティーは完成した。ジズは真珠色のポットをそっと傾けて鮮やかで香りの良い液体をカップに注いだ。

「熱いのでお気を付け下サイ」

 いつの間に水が湯へと変わったのか、勿論これも彼の魔術によるものだ。リデルは中身が満たされたカップを冷たい手で包み、振動で揺れる小さな水面に映る自分の顔を覗き込んだ。

―ズズッ。

 突然テーブルクロスが何かに引っ張られカップの中の波紋が激しくなり映すモノの形を歪ませた。ふと見るとジズの横に灰色の髪をした小さな女の子が布の端を掴んでこちらをジッと見ていた。

「おや?」

 ジズも今気付いたという風に一瞬きょとんとした顔を見せたが、次の瞬間目にも留まらぬ速さで少女を抱き上げ、先程まで紳士的な仕種でリデルに接していた人物とは思えない緩い表情に一変した。

「んもうロキったら何処へ行っていたんデスか〜?然もこんな小さな姿になって…」

 情熱的な抱擁を拒む少女にお構い無しに頬を擦り寄せ額に接吻し髪を撫でるジズの執拗な愛撫を目の当たりにしたリデルは思わず目を疑った。

(ジズ様って…こんな、方だった、かしら…)

 リデルの内にあった麗しいジズの人間像が一気に崩壊していった。それ以前に客人の前でよくもまあ堂々といちゃつけるものだ。
 そしてあの少女。何処かで見た事がある。だが彼女の事を深く考えようとすると急に背筋が凍った。熱いカップで温めた手も一瞬で指先まで凍り付いて震えが止まらなくなった。

―どうしたのかしら…。

 戯れるジズの顔を殴って嫌らしい手から解放された少女はリデルが座る椅子の後ろに隠れて彼を威嚇した。

「やれやれ、ツレませんねぇ。恥ずかしがり屋さん」

 リデルはチラッと自分の背後にいる少女を見た。思い出せない、この少女の事が。或いは思い出したくないのか…。

「……」

 ロキという少女は何も言わずジズを睨み続けた。

「そんなに怒らないで下サイよ。…ほら、お客様の前なんデスからちゃんと挨拶を…」

 そう言うとロキは吊り上がった目をリデルに向けた。不機嫌そうに頬を膨らませている。

「こ、今晩はロキちゃん」

 微かに見えるロキの子供っぽい仕種にリデルは少し安心して挨拶をした。ロキからそれに対しての返答はやって来なかったが。

「フム…」

 必要以上に無愛想なロキに感付いたジズは腕を組んだ。

「その様子だと…魔女狩りマニアにでも襲われたんデショウかねぇ」

 それを聞いたリデルは今度は耳を疑った。魔女…と。

「大丈夫デシタか?体が縮む程魔力を使うなんて珍しい事デスけど」

 その言葉を聞いてリデルは目を丸くした。

「そんな、特異な体質ですの?」

 向かいの椅子に座ったジズは苦笑して頷いた。

「彼女は魔力を以って生き存えている様なモノです。だから体内の魔力が極端に減るとバランスが崩れてこうなります」

 詳しい事は解りませんが、とジズは付け加える。
 小さな魔女は自分の体の仕組みの説明を気にせず隣接している部屋へ「てってって」と走って行った。覗いて見ると小さなテーブルの上にクッキーとケーキの載った皿が置いてあった。ジズがお茶会の為に用意した手作りお菓子だ。

「おや、お子様は鼻が良い」

 くすりと笑ってジズはロキに頼み事をした。ハーブティーをより美味しくする蜂蜜を持って来てくれと言う。お菓子を見付けたロキはクッキーに手を伸ばしていたが、ジズからお客様の物と忠告を受けて渋々諦め蜂蜜を探し始めた。小さなあんよでちょこかま走り回るロキにジズは頬に手を当てうっとりしていた。度々聞こえて来るのは「あぁん可愛い」という一言。
 愛に悶えるジズを見兼ねたリデルは申し分なさ気に席を立ち、蜂蜜を一生懸命探しているロキの許へ行った。

「見付かった?」

 立ち止まっているロキに膝を屈めて話し掛けると彼女は長い袖で見えない手で高い棚の上を示した。其所には淡黄色の液体がたっぷり入った丸い瓶が色取り取りの箱の横にちょこんと置かれていた。
 するとロキは左右に束ねた髪をぱたぱたと動かし宙に浮いて瓶に手を伸ばした。…のだが、浮力が小さくてリデルの腰位の高さしか飛べていなかった。頑張って足をばたばたさせてみるも、矢張り届かない。そんな姿にジズの忍び笑いが後ろから聞こえて来た。

「いいわ、私が取ってあげるから」

 ちょっと背伸びをすれば届く範囲だったリデルは進み出た。…彼はからかっているに違いない。
 その意地悪さに呆れ乍ら手を伸ばすと、飛んでいたロキがスカートにしがみついて来た。

「キャアッ!な、何!?」

 丁度脇腹近くで不意に大声を出してしまった。擽ったくて手が引っ込みロキの重みで体が蹌踉け、何歩か後ろに下がって慌ててバランスを調えた。スカートにぶら下がっているロキは動じた様子も無くリデルの顔を見詰めていた。

「どうしたの…?」

 何も言わず首を振った。そして棚の上のアレに視線を移すとスカートから手を放し、障害物を越えようとまた飛んだ。その意味を理解するのに左程時間は掛からなかった。

―頼まれたのは私でありお前ではない。

 意地悪な人の次は意地っ張り屋さん。

「滑稽な人達…」

 呟いたリデルは、棚の半分も届いていないロキを抱っこしてそのまま彼女を持ち上げた。「これで宜しい?」


 月は昼間の太陽と同じ様に西に傾き、漆黒の空は星を隠し乍ら朝の光を呼び始めていた。屋敷を出て石橋の向こうにある森の中はまだ暗闇を充分に帯びているが。
 ジズと色々談笑したリデルは玄関を出てお辞儀をした。

「今日は一段と楽しかったですわ。貴重な一時を有り難う御座いました」

 ロキを抱っこして足許に人形達を控えさせているジズはフフッと笑って会釈した。

「こちらこそ…。またいらして下サイね」

 腕の中のロキは眠そうな瞳でリデルを見ていた。バイバイ、と小さく手を振ると女優は優雅に踵を返して森へ歩いていった。見送る最中うつらうつらしていたロキは前方に映る彼女にハッとして目を擦った。眠気を覚ましてジズに下ろしてもらうと直ぐさま部屋に飛び込み、何かを持ってリデルを追い掛けて行った。その慌て振りと行動力にジズは少し驚いていた。
 森を少し入った所で追い付いてきたロキにリデルは立ち止まって首を傾げる。

「まだ何かご用?」

 すると魔女は一本の傘を頭の上に掲げてぴょんぴょん跳ねた。彼が散らしたラベンダーの花の様に青紫をした傘が、其所に…。

「まあ、届けに来てくれたの?」

 うっかり置き去りにしてしまった傘を態々届けに来てくれた魔女は「うん」と言う風に頷いた。その時、彼女は凄く嬉しそうに笑っていた。

(…か、可愛い)

 ジズではないが無邪気な魔女の笑顔に思わずそう感じてしまった。
 お茶をしていた時は無口―と言うよりも一言も声を聞いていない―で子供っぽさが無いと思っていた。だが今目の前にいるのは何処にでもいる普通の女の子、そして満面の笑みをした可愛らしい魔女だった。

「有り難う、ロキちゃん」

 小さな手から大きな傘が渡された。

―素敵な時間を、ね。



『あとがき』

 まろこさんからキリリク頂きました、ジズとロキとリデルの仄々可愛いお話です!
 どうすれば仄々した雰囲気が出るか色々迷いましたが、ジズが超絶おバカになった瞬間「イケる!」と確信しました(笑)
 詳しい後書きはブログの方で語りましょうか(´∀`)
 なお所々、話の中には意味深若しくは意味不明な怪しい内容が含まれていますが、そこは連載の方で明らかになると思います。
 ではではリクエスト有り難うございました!
2011.02.21
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