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「…すごいな」
それが紫原と共に火神宅に着いて、リビングを見た氷室の第一声だった。
あぐらで両腕を組み、高尾(緑)が眉間に深々とシワを寄せる。
「ちょっと真ちゃん、俺の顔なんだけどー、…なのだよ」
「なのだよ。は取って付けたように言うものではないのだよ!」
くいくいと指でシワを延ばそうとする緑間(高)の手を払って、高尾(緑)が怒ったように言う。
端から見て面白い光景には間違い無いのだが、高尾の中にいる緑間が哀れで笑うに笑えない。
「……俺の体に抱きついても面白くないっス」
「だったら離せ!」
「やっぱりセンパイの体を…」
「それはもういい!」
スパン!と黄瀬が笠松にツッコむ、という奇跡な光景のはずが、やはり黄瀬の中にいる笠松が可哀想過ぎて無理だった。
常識人はこんな時にまで損をするのだなぁ、と実感する。
「こっちが黒ちん?」
「そうですよ。お久しぶりです、紫原くん、氷室さん」
「久しぶりだね。それと災難だったね」
ええ、まったく。桜井(黒)の無表情の中にも疲れたものを感じ、火神は眉をひそめる。
火神自身は体に戻ったからいいが、黒子は他人の体で数日間を過ごしている。まだ火神と入れ替わっただけなら学校でもそれほど気を使わずに済むが、今回は相手が他校の桜井だ。
いかに知り合いがいて、あまり関わらなくても大丈夫だとはいえ、緊張感が違うはずだった。
「黒…」
呼び掛けようとした声に、見た目が桜井の黒子が振り向く。
申し訳ないとは思うのだが、違和感がありすぎて馴染めない。反対に中身が桜井だとわかっていて、黒子の頭を撫でてしまう始末だ。
……心が黒子なら、と言ってやりたい気持ちはあっても、現実にはそう簡単にいかない。青峰もずっと複雑そうな顔をしている。
黒子だって桜井の顔で、いつもより不安げな表情を浮かべているのが目に見えてわかった。
手を延ばして抱き締めてやりたいのに叶わない。ストレスが溜まって顔をしかめる火神の肩を、氷室が苦笑しながら叩いた。
「大変な事になったな、タイガ」
「ああ」
紫原は氷室の横に座って、持参したお菓子をパリパリと食べだす。
二人の会話をしばらく聞いていたが、その内手を延ばして氷室の背中を引っ張りだした。
「アツシ?」
「ねぇ、いつまでここにいんの?」
「赤司くんと会うんじゃないのか?」
元々氷室は黒子達に会いに、紫原は赤司に会いにここへ来たはずである。
それなのにもう帰りたそうな紫原に対して、氷室は首を傾げた。
「だって遅いし。お菓子無くなったから帰ろ」
「えー、もう少しいいじゃないっスか、紫原っち」
「………」
紫原は黄瀬の軽い口調で言った笠松(黄)を見て、嫌ーな顔をする。
尚更もう帰ろ、と思ったところで手に力がこもったのか、予想外に軽く氷室が紫原の上に倒れてきた。
「うわっ」
「え」
ゴチン!
もはや定番になった音を立てて、氷室と紫原の頭がぶつかる。ここまで来るともう、なるべくしてなったようにしか思えない。
それにしたって、もうさすがになぁ…と達観していた火神達だったが。
「いたた…。アツシ、急に引っ張るなよ」
と額を擦る紫原に、
「室ちんが倒れてくるのが悪いんじゃん」
と後頭部に手を当てて文句を言う氷室。
「え?」
「は?」
ガチッと硬直した二人を見ながら「なんかさっきもあったなぁ、こんなシーン。」と思いつつ、火神達はもう驚くのも疲れて果てていたのだった。
「…どうすんだよ、もう俺とお前しかいねぇぞ」
「俺だって知るかよ…」
黙っていれば、いつも通りただ集まっただけの光景なのに。
好き勝手に騒いでいる連中を見ながら、火神と青峰は頭まで痛くなった気がした。
「いい加減しろ!さっきから俺の体に何やってんだ!」
「え?戻った時の為に俺がいたってシルシっスよ」
当たり前じゃないっスか。みたいに言われて、一瞬怯んだ黄瀬(笠)の前で笠松(黄)が手首に口付けて痕を残す。
くっきりと付いた紅い痕に、黄瀬(笠)は怒りなのか恥ずかしいのかはわからないまま、真っ赤になって拳を振り上げたがもう殴りはしなかった。
やっても無駄だという事はわかっているし、今更だが体は笠松なのだ。戻った後でたんこぶを作ってたりしたら、痛い思いをするのは自分である。
しかし、
「どこを触ってんだ!」
「センパイの体ってどんな風に感じてんのかなって」
こんなチャンス、もう二度と無いかもしれないっスからね!
「……」
黄瀬(笠)は脱力した。
どうしたら戻れるのかを考えるよりも、笠松の体の方にしか興味が無いらしい。
そんな笠松(黄)に、黄瀬(笠)も苦笑して諦める――――
「訳ねぇだろうがアホ!人の体に変な事ばっかしてんじゃねぇ!!」
「キャイン!」
後から戻った時に痛かろうが知ったことか、と黄瀬(笠)の尻を蹴飛ばす。
痛みに飛び上がった後で、笠松(黄)はそれでも涙目で「やだ、触りたいっスー!」と諦め悪く叫んでいた。
「……アツシ、あまり俺の体でお菓子ばかり食べないでくれ」
「なんかすぐ気持ち悪くなるんだけど」
「あまり甘いものは得意じゃないんだ」
中身は俺なのに、と氷室(紫)が心底悲しそうな顔をする。
そんな氷室(紫)の頭に手を乗せて、柔らかな微笑みを浮かべた紫原(氷)がよしよしと撫でていた。
「また元に戻ったらたくさん食べればいいだろう?」
「いつ戻るの」
「それは俺にもわからないよ」
「えー…」
今度は心底残念そうな顔に変わる氷室(紫)。紫原(氷)の微笑みも苦笑に変わる。
仕方ないな、アツシは。という紫原(氷)に、火神や青峰の腕が総毛立った。
「おいおい」
「もうこれ視覚の暴力だろ」
いい加減慣れてもいいとは思うのだが、あまりに違和感があり過ぎると人はいつまで経っても馴染めないらしい。
もちろん中には例外もあって、
「どうしたら戻るのかわからないのだよ」
「そうですね」
「困ったのだよ」
「本当に」
「ぬかったのだよ。軽ーくためしちゃえー♪な気持ちだったのだよ…!」
「俺のマネをするななのだよ!!」
話していた緑間(高)と桜井(黒)の間に、高尾(緑)が割り込む。
「だいたい、お前がわざと頭をぶつけるなどするから、こんな事態になったのだよ!」
「いひゃいいひゃい、真ちゃん。これ真ちゃんの体!」
「ダメージが残らん程度ならば問題ない!」
ギリギリギリ。緑間(高)のこめかみを高尾(緑)が締め付け、桜井(黒)は火神の隣に戻る。
もはや火神宅のリビングは混乱の坩堝とかしていた。
そんな中、ピンポーンとインターホンが鳴る。
「赤司が着いたか…」
はあ、と気が進まなげに火神が玄関に行ってドアを開けると、そこには―――
「やあ」
にこやかに手を挙げて笑う降旗とその後ろで縮こまっている赤司がいて、火神は今度こそ本気で目眩を感じたのだった。
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