10
「遅くなったけど、降旗も黒子も無事で良かった」
笠松の手が降旗の頭を撫でる。赤司が緑間と話している間、降旗はみんなで探してくれたと聞いて礼を言った。
もう夜は涼しいのに全員が汗だくになっていて、それだけで必死に二人を探し回ってくれたのだ想像はつく。口々に本当に良かったと言われて、降旗の目にじんわりと涙が浮かんだ。
自分の為に動いてくれる、そんな仲間達がいてくれることが誇らしかった。
「真ちゃん、終わった?」
「ああ…」
少し離れた場所で赤司と二人きりで話していた緑間を、高尾が迎える。どこか憔悴したような表情に、よしよしと背中を撫でてやった。
「んで?どうなったの」
「今日はこのまま解散だ。明日、全員に来てもらいたい場所がある」
緑間が言った住所に青峰や紫原はめんどくさそうな顔をしたが、お前達にも全く責任が無いとは言えないだろうと言われ、それぞれの恋人を見た後しぶしぶ頷く。
「そこに何の用があんの?」
「叔父の家だ。それから俺の父も来る」
「え」
高尾はそれを聞いてガチッと固まった。なんとなく、息子さんとお付き合いをしている身としては避けていたい相手だ。
そんな高尾の心情を察してか、緑間は大丈夫だと自信たっぷりに告げる。
「何が大丈夫なんだよ!真ちゃんだって、俺の親父と会うとなったら緊張するだろ!」
「俺の父には、もうお前の事を話してあるからな」
「え」
今度のえ。は先ほどの比ではなくて、もはやショックで何も言えなくなっている。しかし緑間の爆弾発言に動きを止めたのは何も高尾だけでなく、聞いていた他の面々も目を見張ったり驚いたりしていた。
「緑間っち、よく言えたっスねー」
「必要だったからな。別に否定もされなかったのだよ」
「ちょ、ちょっと真ちゃん…!」
それを聞いた高尾は硬直から回復し、緑間に詰め寄る。一体どういう事か説明して欲しかった。
こちらの心の準備も何もなしに、いきなりカミングアウトされたってさっぱりついていけない。
「だからそれを含めて明日全部説明するのだよ」
「えー…俺、いきなり一大イベントに放り込まれんの?」
正直、すごい嫌だ。これから先避けられない事だとしても、せめてもう少し相談するとか…とかぶちぶち言う高尾に、緑間は小さくため息をついて耳元に唇を寄せる。
「覚悟を決めるのだよ。俺はもう、決めている」
「―――」
高尾はハッと顔を上げた。その時には緑間はすでに離れて降旗達に話し掛けている。
その後頭を下げているのを見て、みんなに巻き込んでしまった事を謝っているのだとわかった。
笠松も桜井も氷室も。それに降旗も、いいよいいよ、と手を振っている。
「…やってやろーじゃん。覚悟」
その光景を見ながら高尾は不敵に笑った。きっとそれでも緊張はするし、心臓はバクバクするだろうけれど。
それでも絶対に逃げない、と心に誓う。
「真太郎。…気がすまないのはわかるが、今日はそこまでにしよう。みんな疲れてるだろうし、しっかり休んでくれ。明日は何時にそこに行けばいいんだ?」
「場所がわかりにくいから、最寄の**駅に3時に来てくれたらいいのだよ」
「わかった。今は…10時か」
「えっ!?」
10時!?それを聞いて降旗が「あっ!」と顔を青ざめさせる。焦る降旗に赤司がどうしたんだ、と聞いた。
「お、俺…家に電話しないと…っ」
降旗の母親はかなりの心配性で、そのせいかすぐ怒る。しかも怒り方がかなり激しいので、今からそれを想像して降旗は怖くなった。
帰りたくないかも、と落ち込む降旗に赤司が大丈夫だよ、と笑う。
「僕が君のご家族に僕の家に泊まると連絡してあるから」
「そ、そうなんだ。良かった…ありがと赤司!」
そつのない恋人の行動に、降旗は安心して信頼の眼差しを向ける。その二人の様子を見ながら、高尾は先ほどまでの魔王赤司を教えたくてうずうずしたが、結果がどうなるかわかっているので自重した。
横から緑間に腕を取られたのもあるし。…しっかりこんな時の行動を読まれている。
「あ、そういえば俺の荷物取られたままだ」
忘れていたが、降旗も黒子も携帯や荷物を全部取り上げられたままだった。どこにやったのか聞きたいが、いかにボロ雑巾のようになっていても、さすがにあれだけの事をされた三上達に近づくのは怖い。
それを見て取った赤司が降旗には氷室の傍にいるよう言い置いて、自らお仕置きしたばかりの男達の元に行くと、降旗には聞こえないような小さな声でぼそぼそと言葉を交わした。
その後「倉庫の隅に放ってあるそうだ」と降旗を呼び、二人は閉じ込められていた倉庫に歩いていく。その後ろ姿を見ながら、残された面々はまたも頬がひきつるのを止められない。
「こえぇ…あいつ、ますます迫力増してんじゃねぇか?」
「俺も鳥肌たってるっス」
ほらほら。うわ、マジだ。見せる黄瀬の腕を触って笠松が顔をしかめる。
同じく赤司が三上達に言った言葉を聞いていた者たちは、一様に肩の力を抜いていた。
「もともと俺様だったけどな…、良?どうした?」
「い、いえ…黒子くん、大丈夫かなと思って」
顔を曇らせる桜井に、しかし青峰は恋人ほど気にしていなかった。
「心配いらねーよ。テツには火神がいんだからよ」
「…そう、ですよね」
あれから熱がもっと上がっているかもしれない。何より、降旗もだが桜井は黒子の心の傷の方を心配していた。
男とか女とかではなく、暴力にさらされた人の心は他人が思うよりも深く、じわじわと沁み続けるものがあるのだ。
すぐにオドオドしてしまう性格のせいか、昔から暴力というには些細な物でも多少傷つく場面が多かった桜井には、それがわかっていた。
「大丈夫だって」
不安げな桜井の肩を、大きな手が包む。
「何があったにしても、それを何とかすんのは火神の役目だし、あいつはそれを誰にも譲らねぇよ。だから大丈夫だ」
「―――」
こうして今、青峰がその温もりで桜井を包んでくれているように。
青峰がそういうなら、きっと黒子は大丈夫。桜井はようやく微笑んで頷いた。
* *
「ごめん赤司、急に泊まることになっちゃって」
「気にしなくていい。それより、痛まないかい?」
そっと頬に当てられた手。降旗は首を振ると、用意された布団の上に寝転んだ。
風呂と着替えを借りて、温かいものを少しお腹にも入れて。すでに夜半も回り、二人は小声で話していた。
転がった時、肩や背中にツキン、とした痛みを感じて顔をしかめる。たぶん明日にはすごい筋肉痛になってるだろうなぁ、とうんざりした。
ようやく最近、どんな激しい練習でも筋肉にダメージを残すことが少なくなってきたのに。
仰向けになって腕をぐるぐる回していると、ふっと影が差す。赤司が降旗の上に覆いかぶさっていた。
「あ、赤司?」
「光樹、聞かせてくれ。なぜあの手紙や嫌がらせのことを僕に言わなかったんだ?」
それは、と降旗は口を閉ざす。言えない、言えるはずもなかった。
赤司の邪魔をしたくないとか、留学するからとか。黒子は話した理由も嘘ではないが、建前でしかない。
いくら赤司でも本心を知られたら―――
「…光樹」
そういったことを考えていた降旗は、もう一度呼ばれて顔を上げた先にある赤司の表情に目を見張った。
ぐっと眉間にしわを寄せ、何かに耐えるような顔をしている。何に?疑問に思った降旗の思考を読んだのか、赤司はますます苦しそうに顔を歪めた。
「離れていたら、僕は君が教えてくれなければ何もわからない。違う誰かに教えられて恋人が一人苦しんでいた、と気づいた僕の気持ちもわかってくれ。僕ではだめか?僕ではだめなのか…」
「赤司…っ!」
違うよ!と叫んでそれ以上見ていられず、赤司の首にしがみつくように腕を回す。こんなにもつらそうに心情を吐露する赤司を降旗は初めて見た。
胸が痛む。離れた距離以上の隙間を感じ取って、赤司が苦しんでいる。
その寂しさを知って、降旗は泣きたくなった。
「違うよ、赤司。そんな事思ってない。俺、赤司に気を使わせたくなかった。だって赤司、俺がそんな目にあってるって知ったらすぐに東京に戻ってくるだろ?」
「当たり前だろう」
「ほら。でも別にそこまでしてもらうほどの事じゃないって思ったんだ。それにもうすぐ留学するって聞いてたし」
「そんなもの、いつでも行ける」
「ダメだよ、チャンスだって言ってたじゃん。だから俺が気にしなかったら終わるだろうって思ったから言わなかった」
ぎゅうっと降旗の背中に回った腕に力が籠められる。その痛みも今は嬉しかった。
それと、と続ける。
本当はこんな気持ち言いたくないし、知られたくない。それでも好きな人を苦しませて、自分だけ言わないのもダメだと思ったから。
こく、と息を飲んで口を開く。
「俺ね。―――どうせ、って思った」
「…『どうせ』?」
「うん。どうせ赤司は戻ってきてくれても、この状況が終わったって終わらなくたって、すぐに京都に帰っていくじゃん…って」
赤司の沈黙が怖い。静寂を埋めるように、降旗はなおも続ける。
「いてくれても休みの間だけで、月曜日にはまたいない。近くにいてほしいのにって、すごい思ってたよ?でも無理だってわかってるから、言わなかった。ごめんな、こうしてすぐに駆け付けてくれて、それだけで嬉しいのに、あ、ありがと…って言わなきゃ、なのに………おれ、ひとりで、やなことばっか……!」
黙ったまま何も言わない赤司の首に回した腕を離す。やっぱり怒ったよな、とこぼれてしまいそうな涙をこらえた。
自分勝手過ぎる。言ってしまった事を後悔しながら離れようとした時、
「光樹」
先ほどよりも力強く抱き締められ、降旗の眦からぽろりと雫が落ちた。
「赤司…」
「バカだね、君は。そんな可愛い事ばかり言われたら、僕は本当に君を京都に連れていってしまうよ」
頭を撫でられて、キスされる。触れた温もりに、降旗はそこに恐れていたものを感じず安堵した。
手も唇も、声もやさしいまま。
「光樹が考えた事はすべて当たり前のことだよ。聞かせてくれて嬉しい。もともと君は僕に文句を言わなさすぎだ」
「そ、そうかなぁ?」
降旗にはわからない。むしろ赤司は長い休みのたびに会いに来てくれるし、自分があまり京都に行けない分、わがままを言うのはお門違いだと思っていた。
「そんな光樹だから好きなんだが……この際、はっきり言っておこうか」
「え?」
真剣な声音にドキリとする。降旗は腕に抱かれたまま身を起こされ、あぐらをかいた膝の上に座らされた。
「僕を誰だと思ってるんだい?君が気にしてる僕の夢なら当然叶える。でもその為に光樹をないがしろにするつもりはない」
「な、ないがしろなんて思ってないよ!」
ぶんぶんと首を振って否定する降旗に笑いかけ、赤司は額同士を合わせる。
直接触れた場所から伝わるのは、降旗の為の優しい言葉。
「僕にとって優先するのは何より君だ。好きだよ。光樹はそのせいで僕自身を二の次にするのを気にしてくれたようだけど……どちらも、何も取りこぼしたりしない」
だから安心して、僕の光樹でいて欲しい。
「――――ふ、」
うわぁあ、と泣き出した降旗の抱いて、赤司は微笑んだまま目を閉じる。
伝わる温もりに、自分こそが必要としているのだと感じながら。
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