気付かれないように
(原作69〜70話辺り。「悔いなき〜」の内容を含みます)








久しぶりに訪れた調査兵団本部の正面玄関を出て、深く息を吐いた。
廊下の冷えた空気も、訓練場からの埃っぽい匂いも、他兵団本部にはない独特の緊張感も、久しぶりに感じたような気がした。ここに足を運ぶ頻度は、時を重ねるに連れ自然と間を開けるようになっていた。前回足を踏み入れたのは、いつだっただろう。

また、見知った顔ぶれが減った気がするのはきっと気のせいではない。

エルヴィン直々に依頼を受けた、調査兵団所有の全立体起動装置の大々的な整備計画について頭の中で反芻する。また寝不足の日々が続きそうだ。非番の時間潰しがてらここを訪れてみたものの、これから休みなんて取れそうにない予感に、もっと別のことをしてゆっくりすれば良かったと僅かに後悔する。まあ、他にすることもないんだけれど。

澄み渡った今日の青空に反して、少し気分がどんよりとする。でも、これはかつてない人類の進撃を目の前にした彼らにとって、そして私たち技工部にとっても、重要な任務であるのは間違いない。

そう自分を奮い立たせて土埃の舞う道を門に向かって歩を踏み出した時、横道から現れた人影に一瞬身が竦んだのを、うまく隠すことは出来ただろうか。







気付かれないように



「…久しぶり、リヴァイ。」

「…来てたのか、name。」

どれくらいぶりか、本部を訪れる頻度以上に顔を合わせることのなかったリヴァイの呼ぶ自分の名前が、やけに耳に響いた。

「…偶然だ、狙ったわけじゃねえよ。」

リヴァイが歩き出しながらボソリと言った。それで、自分の足が止まっていたことに気付く。
非番だろうか。いつもの兵団服ではなく、シンプルなシャツにズボン。時間が経っても変わらない姿。

「…分かってるよ。」

苦笑を漏らして、小走りで隣に並んだ。


私の帰り道を、移動の途中を、業務の合間を、リヴァイがいっそしつこいほどに私と言葉を交わすことを求めに来ていたことを、遠い過去のように思い出す。お願い、やめて。そう言った私の小さな叫びを、何度目かにリヴァイは静かに聞き入れてくれた。

ちらりと視線をやれば、高さがほとんど変わらないリヴァイ。同じ歩幅。懐かしい距離感。でも、その視線は前を向いたまま、こちらには向かない。
私は視線をすぐ前に戻し、自分の心からも視線を外す。
思わず前髪を撫で付けた左手に、自分で戸惑った。



私が何も告げずに技工部へ遷った後、幾度の訪問にも書簡にも伝達にも曖昧な返事を繰り返す私に何を感じたのか、それでもその後のリヴァイの立体起動装置の整備は、いつでも名指しで私宛に依頼が流れてきた。
昔から立体起動装置を操ることより、手入れをする方が得意だった。リヴァイの装置もずっと私が手入れをしてきた。手先の器用さにも自信があった。だから、技工部への異動願いもすぐに聞き入れられた。

あれから、どれくらいの時が流れただろう。私たちが、あの吹き溜まりのような地下街から、この地上に、果ては壁外に、飛び出してから。
私が、逃げ出してから。

あれから、リヴァイと顔を合わせることも、言葉を交わすことも、ほとんど無くなった。

そこで、リヴァイに気付かれないように、一人、ふ、と息を吐き小さく首を振った。今、これを紐解いてどうする。



「…ヒストリア女王と一緒に、孤児たちの保護に動いてたんだってね。」

噂で聞いた。
新しい女王が働きかけたその動きは、地下街出身であり、今や調査兵団の兵士長であり、そして人類最強と言われるリヴァイがサポートに入ったことで、確かな形になったのだと。

「…俺たちみたいなガキは、居ないに越したことはねえからな。」

俺たち。
リヴァイのその言葉にきっと含まれているその面影に、眉が下がるのが自分でも分かった。

「…二人も、きっと、…喜んでる。」

口にした瞬間、後悔した。
不意に蓋を開けられたそこに居る、ファーランとイザベルの笑顔が、一瞬で私を動揺させる。
私は、リヴァイに気付かれないように、ぐっと唇を噛んでその波をやり過ごす。

「…ああ。…お前の名前の力もあった。助かった。」

その波に、リヴァイの声が追い討ちをかける。何故だか分からないけど、その声が、その響きが。
でも、それも気付かれないように私はそれを見ないように歩く。

「…肩書きだけは大層なもんだからね、私も。」

少し前に技工部にも回ってきた、その運動の後押しへの署名に、私は即記入した。
各兵団の立体起動装置を始め、あらゆる設備、装備の開発、点検、整備を一手に受けている技工部の副部隊長。実質の実務の統括なんてものに、気付けば私は就いていた。
その肩書きの署名が、技工部という各兵団に比べれば小さな部隊の一部を動かしたのであれば、今の私にも何か意味があったかもしれない。

気付けば、こんなところまで歩いてきてしまった。
あの二人の死から、逃げた私は。リヴァイを残して、背を向けた私は。


「…ヒストリア女王擁立のことも、調査兵団の働きだって、聞いた。」

それも、噂で。
調査兵団のことを、リヴァイのことを、真実にどれだけの装飾や主観が混ぜ込まれたものか分からない噂でしか耳にしなくなってからも、もう久しい。
まあな、と曖昧に零すリヴァイに、きっと知らないことばかりなんだと戸惑う自分に戸惑った。

リヴァイの背中には、気付けば人類の自由という大きな重責が背負わされていて。暗い地下街でも私には光のようだったリヴァイは、今や人類の希望となってずっと先を歩んでいる。

いつの間にか掌に食い込んだ爪を、そっと解く。

「…最近は、どう?」

勇気を振り絞って口から出た問いは、そんな陳腐な問いかけだった。でも、それで精一杯。私が知らない今のリヴァイ。今の生活。今の、思い。そんなものを今問いかけてどうなるものでもない。でも、知りたかった。

「…やっと、死んでいった奴らにもいい報告が出来る。随分待たせちまったがな。」

どう、をどう言う意味に取ったのか、それはどう取ってくれても構わなかった。リヴァイが今一番話したいこと、きっとそれが答えになる。

気付いていた。リヴァイの右手に紙に包まれた質素な花束が握られていることに。こうして街を歩きながら、リヴァイの足がどこに向かっているのかに。

まるで焦っているかのような自分に困惑しながら、言葉を探す。そして、この焦りが何なのかに気付かないふりをする。どれだけリヴァイと距離をとって、どれだけ時間を過ごしても、こうして顔を合わせてしまえばそんなものは一瞬で意味を無くして、私をあの頃に引きずり戻すのだ。だからこそ、距離をとってきた。時間が経つのをじっと待っていた。
気付かないふりをして、気付かれないようにして、私はその焦りを何とか受け流しながら、同時にその焦りに流される。

「…リヴァイは、幸せに生きてる?」

だから、それは焦りに流された末の言葉だった。自然と落としてしまった言葉に、何でも無いように装ってすっと前を見つめる。自分の動揺に気付かないように。気付かれないように。
リヴァイが私をハタと見つめたのが分かった。でもそれにも気付かないふりをする。

リヴァイの足が止まって、数歩、私も立ち止まる。
そこは、兵団所有の共同墓地の入口だった。
[*前へ] [#次へ]
戻る
リゼ