俺にとって、どれほどのものか
愛馬を無理は承知で追えるだけ追い立て見えた旧市街は、巨人の骸が発する蒸気で全く見通せない状態だった。
市街地に入り立体起動で蒸気の中に突っ込めば、骨を剥き出し始めた巨人どもの合間に、明らかにそれとは違う人間の一部…班員たちの亡骸の一部が嫌でも目に入った。

伝令が来た時点で、もはや遅いかもしれないという思いはあった。しかし、向かわずにはいられなかった。




「兵長の班の方々が…っ、我々を逃し伝令を…と…!」

自らも傷だらけで中央に辿り着いた索敵班の生き残りの兵士は、後悔と情けなさと絶望を全身に滲ませながら告げた。

「奇行種が居り、長く耐えることは…難しい…と、少しでも、本隊を市街地から…遠ざけてっ…進路を取るように、…団長に伝えてほしい、と…、」

「その判断は、誰が。」

並走しながら、今にも馬上から崩折れそうなその兵士に短く聞いた。
エルヴィンは、新路開拓の前線を走っており今中央本部には不在だった。すぐに、本人にも伝令を走らせなければならない。

「…nameさんが…っ、」

その名が聞こえた瞬間血の気が引いた。なぜnameが、そのような判断を下す。俺が不在の際には、班員内で最も熟練の別のやつに指揮権を委ねていた。

「すでに、先輩方は…巨人の手に…っ、nameさんが、残りの班員、を、率いています…っ、」

エルヴィンに急いで伝令を。
それだけ言い残し、手綱を乱暴に引き愛馬の首を振り返らせた。







「ふざけ、…んな…、」

無敵の連携として、長くこの壁外を生き抜いてきた仲間たちは、もう私以外誰一人生きて動いていなかった。
あれだけ、訓練して、あらゆる危機にも対応してきた。
いつだって、どんな事態にも耐え得るように、自らを戒めてきた。

兵長が別行動をしなければならない時には常に私たちを率いてくれた先輩も、がむしゃらについてきてくれていた後輩も、もう誰も動いてはいない。さっきまで一緒に死力を尽くして戦っていた、常に共に腕を磨き続けてきた同期は、私の目の前で、今、いやらしい笑みを貼り付けた巨人の口に飲み込まれていった。

「name、生きて、」

同期は、自分の境遇を省みず、最期にそんな言葉を落としていった。

以前は人々の笑顔と活気で溢れていた旧市街地は、今は倒壊した家々と、仲間たちが刺し違えた巨人の蒸気と、その仲間たちの血飛沫で、その過去の姿は見る影もなかった。

ここは任せた、と、指示部隊からの徴収に陣形中央へ不本意ながら駆けて行った兵長が、私たちを信じて預けてくれた戦場だった。

私たちが貶められた、抗いきれなかった、奇行種を含む4体の巨人は、残りの捕食対象である私を、鈍い動きでその視界に捉えた。

「ふざけんな…ふざけんな…、屈しない、私たちは…絶対に…、」

刃もある。ガスもある。
事切れる寸前に、血だらけの後輩は、己のそれを使うようにと、私に全てを託して逝った。

私は、戦わなければならない。仲間たちの遺志を継ぐのは、私以外に誰がいる。彼らの死闘を、彼らの血を、私が引き継がずにいて彼らは報われない。私が進む限り、彼らは死なない。私の胸に、今彼らは生きている。

視界を霞ませる、止まらない涙を隊服の袖で乱暴に拭い、震える手を押さえ込むように両手のブレードを握り直した。笑う膝を叱咤して立ち上がった足元で、からりと屋根の崩れる音がする。
止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ。怖気づいた震えなんて、感じている暇はない。
私は逃げない。私は屈しない。私は、こいつらを倒して、生きてみせる。




兵長。




「うああああああぁぁあああーーー!!!!!」

重い地響きを立てて迫る巨人たちの影の後ろに見える抜けるような青空に、あの小柄な背中の自由の翼を映して、私は飛び出した。






蒸気の中を飛びながら、視界の端に捉えた亡骸の中に、確かに先ほどまで隣を駆けていた班員たちが居た。心臓が握り潰されるような感覚と戦いながら、その中に、nameのものだと断定できるものが混ざっていないことだけを望みとして、俺の身体は動いた。

班員たちと楽しげに笑う姿が、訓練中の真剣な眼差しが、俺にだけ見せた弱さの涙が、nameのそんな一つ一つが頭に浮かんでは消える。ただの上官と班員だ。そんなことは、分かっている。

重い地響きの中に、聞き逃しそうなガスの噴射音が小さく響いたのを捉え、急角度でアンカーを放ちガスを吹いた。
蒸気の奥に、巨大な塊が地面を揺らしながら沈み込み、そして、
その前の頼りない屋根の上の小さな影が、自由の翼が、ゆらりと揺れた。




「name、」



だらりと下げられた両腕から、高い金属音を立てて刃が落ちていった。

「name!」

飛びながら叫んだ俺の声に、その影がこちらをゆっくり振り返った。そして、ゆるやかに伸ばされた腕。

蒸気を潜り抜けた先で視界が開けた時、目の前にやっとはっきり捉えたボロボロのnameが崩折れる寸前、抱きとめる様にその身体にこの腕が届いた。

「name、」


ぼんやりと空を見ていた視界が揺れて、その瞳が俺を写した時、そこに生気が僅かに蘇った時、nameの血の滲む唇に自分のそれを重ねていた。その温かさに、nameが生きていることを実感する。

再び合わされた瞳は、驚きで見開かれていた。そしてその驚きは、俺自身の驚きでもあった。こんな衝動的な行動を取るなんて、ましてや壁外で、この状況で。それでも、くしゃりとnameの顔が涙で歪んだ時、俺は無意識にもう一度nameに口付けを落とした。


「お前が、これを?一人で?」

取り戻した冷静さで辺りを見渡せば、そこには俺たち以外動くものは何もなかった。仲間たちも、そして、巨人どもも、だ。
一際強く上がる蒸気が数カ所。まだ新しい討伐の跡。

「…へーちょ、…ごめん、なさ、」

「…何を、謝る。」

「…みんな、助けられなか、っ…」

息を詰まらせたnameの頭を、胸元へ引き寄せた。それ以上、喋らせたくなかった。
引き千切られた班員たちの姿が、鈍く心臓を掴み上げる。こいつは、全てをその目に見たのだ。

「休め。大丈夫だ、俺がいる。」

ふ、と重くなったその身体に、nameが意識を手放したことを悟る。


近くに蹄の音が聞こえた。エルヴィンが増援を寄越したに違いない。
薄らいできた蒸気の中へ暫くの黙祷を捧げ、nameを腕に抱いて戦場を後にした。



これまで抑えつけてきた感情が、壁外では幾度となく繰り広げられるこんな惨状の中で、ただこのnameがその渦中にあったことで、完全に引き摺り出されてしまった。

肩を抱く手に力が入るのを、止められなかった。







俺にとって、どれほどのものか



もう、向き合うしかないのだ。





→あとがき
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