眠気覚まし
いつもは締め切られてカビ臭い書庫の窓は開け放たれ、初夏の午後の気持ちの良い風が吹き込んでいる。
本棚に囲まれた薄暗いテーブルで作業する私の頬を、その心地よい風がそっと撫でていった。

窓の外には、晴れ渡った青空が見える。すっきりした空気。なんて気持ちが良いんだろう。

手元の書類の上に並ぶ文字を追っていた私の目は、その心地よい風に誘われるようにとろんと重くなった瞼で覆われそうになる。

ああ、そういえば。
今日のお昼ご飯のシチューは最高だった。余りに美味しくて、大好物のライ麦パンが止まらなくなってしまって、






「おいてめえ、name、それ以上無様に頭を揺らしてるつもりなら、今ここで削ぐぞ。」

「あうっ?!」

夢想の世界に旅立とうとしていた手前で、何とも物騒な声に突然現実に引き戻され、想像以上の勢いで左手に乗せていた頭がガクンっと落ちた。首痛い首痛い首痛い。

「ブツブツ昼飯のメニューを唱えてんじゃねえ、気持ちわりい。」

私を心地よい微睡み(勤務中)から引っ張り出した張本人―リヴァイ兵長は、向かい側からまるでバイキンでも見るような目で私を見た。ひどい。

彼の手元にも、私同様書類の束が広がっている。

私は、数年前の調査の内容を踏まえた報告書を作成するに当たり、書庫の資料をひっくり返さなければならないと大好きな兵長が言うものだから、自ら手伝いを志願してここに至っている。
だって、書庫で兵長と二人きりで作業なんて、ヨダレもののシチュエーションだ。

「え、そんなこと言ってましたか今、私。」

「ああ、しかも白目にヨダレ付きでな。」

「ヨダっ?!え、うそ!!!」

まさか本当にヨダレものとは!
慌てて口元を拭う私を他所に、兵長はさっさと資料まとめに戻ったようだ。冷たい。

ちくしょう、ヨダレなんて出ていないじゃないか。ハメられた。でもそんなおちゃめな兵長も大好きだ。白目は本当かもしれないけども。

渋々書類に視線を戻すものの、ズラリと並ぶ文字を見るだけですぐ頭がぼんやりして、瞼が落ちてきそうになる。

目を閉じかけては、ハッとしてふるふると頭を振り、また閉じかけては頭を…

そんなことを数回繰り返したところで、今度は兵長があからさまに大きなため息を吐いた。それでやっと、一度意識が覚醒する。

「てめえ、やる気がねえなら消えろ、邪魔だ。」

何と辛辣な言葉だろうか。
しかし、普段から兵長に付き纏ってはもっとひどい言葉の数々を浴びせられている私のハートは、超合金並みに強くなっているのだ。何ともない。むしろ構ってくれて嬉しいくらいだ。

「だってー兵長―、こんなにいいお天気で、風が気持ち良くて、何より美味しいお昼ご飯のあとなんですよー。どうにも眠気に勝てません!」

大好きな兵長が居ても退散しないこの眠気は、もはや私にはどうすることも出来ない。

ずるーっとテーブルに突っ伏すと、資料が散らばる、死ねグズ、と返ってきた。
ま、負けない。超合金だから。

「だからさっさと帰れと言っているだろうが。やる気のねえグズは逆に足手まといだ。」

「やる気はあります!でも瞼が勝手に降りてくるんですー!!」

突っ伏したままじたばたと暴れていると、兵長はもう一度ため息を吐いて作業に戻ってしまった。
見捨てられた。悲しい。でも負けない。超合金だから。

「兵長。」

「…。」

「兵長―。」

「…。」

「兵長―兵長―。」

「…ちっ、何だ。」

あ、ちって言われた。ちって。でも舌打ちもかっこよくて好きです。

頬をテーブルにくっつけたまま兵長を見やると、視線は相変わらず手元に走っていてちょっとさみしいけれど、前髪が風に揺れる影が薄く顔に落ちていて、思わず見惚れてしまう。

「兵長、何か目が覚めそうな面白い話してください。そしたら頑張りますから。やれば出来る子ですから。兵長も一人じゃ絶対大変じゃないですか。」

そう、本当に人手が必要だから、兵長は私を無理やりは追い出さない。もし要らなかったら、きっとあの窓からでもすぐポイっと放り出されているはずだ。兵長のことはお見通しだ。
想像して悲しくなったけども。

私の言葉に、兵長が視線を動かして、パチリと目があった。それだけで嬉しくなってしまう。

きっと今、しっぽが生えていたならパタパタ揺れているし、犬猫の耳があったらピンっと立っているはずだ。
期待の眼差しを向けていると、兵長はガタリ、と椅子を引いて立ち上がった。

「―?」

何だろう。
不思議に思って思わず身を起こした。

まさか何か舞でもしてくれるんだろうか。そんな、レアな。有り得ない、でも見たい。

そんなことを考えていると、兵長は私の横まで歩いてきて、止まった。自然に見下ろされる形になる。

(あ、下から見る兵長も素敵。)

あまり身長が変わらないものだから、普段は目線が同じくらいにある。それでももちろん申し分ないのだけれど、この角度もとてもかっこいい。

と、ぼーっと見惚れていると、兵長の顔が近付いてきた。

何か、すごく近い。

と、思ったときには、ちゅっと軽いリップ音を立てて、キスされていた。
本当に、触れるだけの。


「これで目が覚めたか、グズ野郎。」

吐き捨てるように言って自分の席に飄々と戻っていく兵長を目で追いながら、私はガタガタっと椅子から転がり落ちた。

「な、な、な…!!」

言葉が出てこない。

今のは何だ?夢?夢なのか?なら覚めないで一生この夢の中で過ごしたいホントお願いしますもう死んでもいいやばいどうしよう。

たぶん、私の顔は茹で上がるほどに真っ赤だ。

またさっきまでのように書類に戻ってしまった兵長だが、私はどうにか体を支え、椅子に座り直すのにしばらく時間がかかった。
何とか乗り上がるようにしてようやく席に戻った私に、兵長は心底嫌そうな顔をした。

「おい、さっさと手を動かせ。これ以上もたもたしやがると、今度は舌ねじ込むぞ。」

「え、ええええええええっ?!」

今日は何て心臓に負荷がかかる日なんだろう。

舌?!今舌をどうのと仰ったのだろうか。
まさか兵長からそんなふしだらな言葉が出てくるとは。そんないくら兵長でもいきなりそこまで許すわけには、いやでもそんなチャンスもう2度とないかもしれないし嫌だというわけではいやむしろして欲しい云々。

両手で顔を挟みながらウンウン唸っていると、兵長がそれはそれはドン引きという言葉がお似合いの表情でおいname、と声を掛けてきた、

「冗談に決まってるだろうが。想像して赤くなってんじゃねえ。想像上の俺に土下座で謝れ。」

「ひどい?!」

そこまで言わなくても。

そりゃあ私だって本気でしてくれるなんで思ってなかったですけど。冗談か本気か分かりにくい兵長の顔が良くないじゃないですか。

拗ねながらのろのろと書類に手を伸ばし作業を開始した私を見て、兵長は満足そうにした。

「nameよ。」

「何ですかふーんだ。」

「ただのキスじゃそんなに不満だったのか。」

何という質問を!

びっくりして目を上げると、兵長は色気を含んだ妖しげな笑みでこちらを見ていた。
やっと落ち着いてきていた顔がまた一気に熱くなる。

「べ、べべべべ別にそんなこと思ってませんよむしろ嬉しくて死にそうですけど不満とかそんな滅相も無いですよ!」

自分でも何を言っているのが分からないけども、兵長はそんな私を見て楽しそうににやりとして、それがまたかっこ良くて私はドキドキしてしまうのだった。

「じゃあつべこべ言ってねえでさっさと作業を進めろ。」

はい、と、小さく呟くと兵長の視線は書類に取られてしまった。

何だか兵長の機嫌がよろしいようだ。それだけで私は嬉しくなる。

今日の出来事だけで、一ヶ月はるんるんに幸せに過ごせそうだ。
明日からまたいつものように兵長から鋭利な言葉を投げつけられても、きっとめげずに付き纏い続けられる。










眠気覚まし





「兵長、」

少しして、兵長に声をかけるとすぐに何だ、と返事が返ってきて、やっぱり機嫌がいいようだと浮かれてしまった。

のがいけなかった。

「これ頑張って終わったら、また、キスしてくれますか。」

キラキラと目を輝かせて言った私の首に、兵長は一気に機嫌が悪化したご様子でヘッドロックをかけると(「首!首外れます!」という叫びは何の意味も為さなかった。)そのまま窓のところまで引きずり外へ放り投げようとするので、私は全身を駆使してそれに抵抗しひたすら謝罪を続けてやっと作業に戻らせてもらえたのだった。

こうして一緒に居られるだけで、もう贅沢は言いません。
そう心に誓った。


(何でキスしたんですか。なんて、聞いたら、どうなってしまうだろう。)
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リゼ