はじまりの踊り手

"まるで時が止まったかのように魅了された。"


似たようなセリフを幾度となく伝えられたことがあったとしても、その言葉の意味を正しく理解しているかは別物で…。
ロシアの"皇帝"として人々を魅了し続けてきたヴィクトル・ニキフォロフは、今、初めて"その位置"を逆転させられていた。












現役引退した後、勇利と共に長谷津へ帰省していたヴィクトルは、いつもならば参加することも叶わなかった秋祭りへの準備の手伝いに訪れていた。
温泉の神様を奉るという地域のお祭りで、その中心となる神社で行われるという神楽舞に勇利の幼馴染みが出るということで、間近でその踊りを見られると興奮したヴィクトルは、客席の準備などで慌ただしく動いている勇利の目を掻い潜り、こっそりと逃げ出した後、踊りの練習をしているという神社の裏手へと向かった。












そして聞こえてきた布を擦る音を辿り、冒頭へと返る






「ーーーッ…」

"表"の賑わいとは正反対な静寂さに包まれた木々の中で舞う一人の男。
背丈や肉付きは確かに成人男性そのものだというのに、ひとつひとつの動作はまるで女性のように、優美で柔らかい。

流れる目元は色香を含み、結われた長髪は動作を彩っていた…



神様に捧げる舞 神楽舞。
ヴィクトルは隠れるのを忘れ思わず息を飲み、高鳴る胸を服ごと掴んでいた。



練習用のなのか、服の上から簡易的に羽織っている着物の裾が大きく揺らめく度、袖から伸びる手の美しさに時を忘れる…




神楽舞とは"神を楽しませる舞"と書くという。
決して自らを"神様"だと思ったことは無いにしろ、勇利を初めとして"そう"例えられることは少なからずあった。

そして今、ヴィクトルは純粋にその舞を、その姿を、"神様"の位置から見たいと思ったのだ。










しかし、ドクリドクリと高鳴る胸は、興奮とはまた違う煌めきを放っているようにも感じた…






パキリ

「!あっ……。」


『!』


思わず踏み出していた足が鳴らした小枝の音にヴィクトルは、思わず声を漏らした。











『…?外人?』








「!ーーッ!」







絡んだ漆黒の目に心臓を捕まれたーー



いや…、射ぬかれた








『…何でこんなとこに……、迷子か?』





動きが止まったことにより身体に絡まった長い髪。その髪を纏めている朱色の組み紐が、今まで目にしてきたどんな髪飾りよりも美しく映え、彼という人間を引き立てているように見えた。







『?おい…、聞いて…って、日本語わかんねぇか…。』






額から頬に伝い、首筋に流れる汗から目を放せない。








『…英語じゃべれねぇし…。誰か呼んでくるか。』





着物の袖で汗を拭い、暑さを逃がすために少し崩した襟元から覗いた鎖骨に声を奪われる。




そんなヴィクトルの心情など知るよしもなく、青年は練習着であった着物を脱ぎ、表にいる誰かを呼びに行こうとヴィクトルの横を通り抜けようとした…その時


「!あっ!」


『!?うお!?』


咄嗟に引き止めようとしたヴィクトルの手が、彼の朱色髪紐に"絡んだ"。





パサッ…



「ーーーッ!」

広がった長い髪。
香水とはまた違う品のある香りが脳すら痺れさせた。


指からすり抜けそうになった髪紐を思わず握り締めると、大きく見開かれた目に自分自身が写っていた。




『!何すんだテメェ!』




「!あ…、えっと…!」


『帰せ!この野郎!!』


「!!わわっ!!ちょっと!」

わざとではないと言い訳する間もなく手の中にある髪紐へと手を伸ばす彼を反射的に避ける。

『!逃げんな!!』

そのことにより、益々その青年は眉を寄せるが、ヴィクトルは少なからず今彼を独り占めしている楽しさに我に返ろうとしていた






その時ーー



「!ちょっとヴィクトル!こんなとこで何してるの!?」


「!勇利?」




『………勇利?』



「!!?○○!!」

勇利は彼の名を呼び目を丸くした。
何年ぶりかに合う幼馴染みの成長に驚いていたのだ。




「○○…?○○だよね!?凄く綺麗に…」


『うるせぇ!!俺が綺麗なんてことは分かりきってんだよ!!それよりこの外人テメェの連れか!?』


紅葉する頬をかきながら、詰め寄る○○に勇利は"ああ彼だ"と確信した。





○○は幼い頃よりその容姿で目を引いていた。
昔からあるこの小さな神社の跡取りで、伝承されている神楽を初めとする踊りの踊り手でもある。彼の母親が亡くなってからは女性の踊りも担うようになった。その柔軟の為、勇利と共に美奈子の教室に通っていた時期もあり、世界を見てきた美奈子に"天才"で"秀才"だと言われた程、○○の踊りは、それこそ"異次元"だった。

その容姿すら己の武器とし、誇り、その才に甘んじることなく○○は日々己を高める為のと努力を惜しまなかった。

勇利はそんな彼を幼い頃から尊敬し、淡い恋心をいだいていた。
だが、それは決して勇利だけではなく、○○が女形を身に付けてからというもの"それ"は拍車をかけて増えいった。


しかし、○○はその顔からは想像ができほど腕が立つ。それは彼の父が合気道の師範であり、○○も幼い頃より踊りの肥やしとして身に付けており、また、"剣舞"を極めるためにやっている剣道の腕前は皆の知るところだ。
それ故に女性からの視線も熱い。







そして○○はかなり口が悪いのだ。













『オイ!!勇利!!聞いてんのか!?』


「!あっ!ごめん、○○。えっと…ヴィクトルがなんかした?」


成長した○○の凛とした美しさに、昔懐いた気持ちが再び涌き上がるのを感じながら、勇利は慌てて答えた。



『ヴィクトルってのか!だからそのヴィクトルに伝えろ!!その髪紐返せって!!』


「髪紐…?って!ヴィクトル何で○○のとってんの!!?」




「!!ちちち違うんだよ勇利!!実は…!」




ヴィクトルは事の経緯を話した。




英語が聞き取れない○○は終始ヴィクトルを睨んでいる。







「ーーー…というわけで、わざとじゃないんだ。」


「だとしたら何で直ぐに返さないの!?」




「あー…つい、迫って来てくれる彼が嬉しくて。」



あははと笑うヴィクトルに、勇利は思わず目を見開いた。

その目元の赤みに気付いたからだ。







「(…まさか…ヴィクトル…。)」






…いや、そうじゃない。只単に、"楽しい"ことを見付けただけだ…。きっとそうだ。



勇利には珍しく、そう決めつけた。



「ッ…! 兎に角!それ僕に貸して、ちゃんと謝っておくから。」


○○は礼儀には厳しいからね。と少し強めの口調で伝える勇利から目線を○○へと移し、ヴィクトルは○○という名前なのかとつぶやいた後、その名を何度か繰り返しながら手にある髪紐を握り直した。



「!…ヴィクトル?」

手を広げる勇利の横を通り過ぎ、ヴィクトルは微かに笑みを浮かべながら、○○へと歩み寄った。




「…○○。」


『ん?…返してくれんのか?』


自身の呼んだ"名"で振り返ってくれたことに頬を緩ませるヴィクトル。
そんなヴィクトルの心情など知るよしもなく、○○はヴィクトルの持つ自身の髪紐に向かって手を伸ばそうとしてーー 空ぶった。

『!?オイッ!!』


スルリと○○の手を避け、背後へと回ったヴィクトルは、怒りで振り返ろうとしたその頭を両手で包み制した。




「…動かナイでクダサーイ。ヒモとってシマッテスミマセンー。今直しまス。」


「!?ヴィクトル!?」




『!…なんだそっか。』

先程までの怒りなどまるでなかったかのように、親切な外人だなといい始めた○○に、勇利は肩を落とした。





シュル…


「…………。」

指に流れる漆黒の髪の艶やかさ。
木漏れ日に当たると微かに緑色にも見えるそれは、今までみた誰の髪より美しく…













チュッ…


「!!!?ヴィクトル!!!」




『…ん?』



ヴィクトルが"落とした"行為は無論○○自身には見えない。
しかし、勿論正面から見えていた勇利は声を荒げた。



『……?どうした?勇利。』


首を傾げる○○に、ヴィクトルのウインクで勇利は口を閉ざす。


「…ッ…!…な…なんでも…ない。」


『?』





「…ハーイ!出来ました!」



先程とはうって代わり、会話を遮るように手早く○○の髪を結んだヴィクトルはその肩を抱き、いつもの口調で自己紹介を始めていた。






そんなヴィクトルと○○の姿に、勇利は纏めようのない感情の目まぐるしさに拳を握り、これから来るかもしれないスケート以来の"戦い"に髪を上げた。



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