金色のスナイパー
人差し指の"腹"を手前に引くだけで、簡単に人は殺せるのだ。
「……○○…!」
コーリャ・プリセツキーは目を見開いた。
それは、今しがた2年振りに姿を見せた"もう一人の孫"の姿にあった。
○○・プリセツキー。
その名を知るものは少ない。
彼は幼い頃その才能を見出だされた"国"に属する暗殺者。スナイパーだ。それにより、彼は"裏"に属するものとしてその存在を消され、"彼"と証明できるものがない。この国の"民"だという記述がないのだ。
…それは、どの国にもある決して珍しくはない"闇"の部分だった。
○○は受け取ったカップにゆっくりと口をつけた。
その様子を眺めながら、コーリャは隣に腰を下ろした。
…最早、当たり前のように"臨戦態勢"をとる彼の身体に、コーリャの目は哀しみで揺れた。
「……ケガはないのか?」
『…ああ。』
「……飯は食えているのか?」
『…ああ。』
袖から伸びたカップを傾ける腕は細い。
「もっと食わんか。…ユーラチカに抜かれるぞ。」
その名に○○の瞳が僅かに色付いた。
『…それは良いことだ。』
「!…○○…。」
『"弟"が"兄"を超える。…こんなに嬉しいことはない。』
目を丸くする祖父に○○は空になったカップを手渡し、腰を上げた。
反射的に受け取り、同じように腰を上げようとしたコーリャの動きを封じるように、○○はその膝に大きめな袋を乗せた。
「!? ッオイ!○○ッ!もういらんと言うたじゃろうがッ!!」
その重みに袋を開けずとも、中身は分かっていた。
『…あって困るものじゃないだろう。ユーリは成長期だ。』
「それはお前もだろうが!!いったいいくらかかる思っとんじゃ!!」
そう、金だ。
○○はここへ来る度に使いきることが不可能な程の額を置いていくのだ。
『…オレの稼いだ金をどう使おうと自由だ。と言ったのはじいちゃんだろ。だったら……、!』
再び口を開こうと瞬間、○○が扉へと顔を向けた。
「?…○○?」
『……じいちゃん…。ユーリは暫く帰ってこないんじゃなかったのか?』
「?…そう言っていたが…」
バンッ!!!
「ただいまー!!!じいちゃん!!」
「ッ!!?ユーラチカ!!!?」
勢いよく開いた扉に、コーリャは目を丸くした。
そこには鼻を赤くしながらも、金メダルを高らかに上げ、笑顔で祖父に駆け寄るユーリ・プリセツキーの姿があった。
「おおおお前、しばらくは帰れと…」
「ヤコフに頼んで送って貰ったんだ!じぃちゃんに見せてやれって!」
スゲェだろ!とコーリャの首に腕を回しながら抱き締めるユーリの後ろで、○○は素早くコートに腕を通していた。
「!あれ?…何んだこれ…。ッと!お客さんいたのか!?」
密着させようとした身体を邪魔するその袋に気が付いたユーリは、祖父の視線を辿り驚いた。
高揚した気持ちに意識を持っていかれ、祖父しか見えていなかったにしろ、その姿を目にしても、まるで霧のように薄い気配に目を丸くした。
…自身と似た金髪でありながら、その髪は乱雑に纏められ、翡翠のようなその瞳は鋭く研ぎ澄まされていた。
ユーリは思わず息を飲んだ。
『……………。』
「……あッ……。」
一瞬が永遠とも感じた視線を交わりに、○○は背を向け、開いたままの扉へと足を進めた。
「!ッ○○!!待たんか!!」
ドサッ!
袋が落ちた低い音と共に、慌てて後を追う祖父の後姿に、ユーリは放たれたその名を呟いた。
「……○○…?」
聞いたことのない名だった。
見たことのない奴だった。
しかし、祖父のその心配そうな顔や、不安そうな顔…、そして悲しそうな顔は知っていた。
自分と過ごしている時にも、笑顔の中に不意に表れるその顔。自分自身が"そう"させているかと思っていた。…でも、違った。勿論それもあるけれど、その顔は自分が笑顔の中に入ればいるほど表れていたのだ。
そして気が付いた。"誰か"がいると。
自分に近い誰かが、祖父を悲しませていると。
「ーーッ!オイッ!!!」
『………。』
「…!…ユーラチカ…?」
肩に手を添え、留まるよう促していたコーリャは、ドスドスと足音を立てながら近付いてくるユーリに振り返った。
○○は足を止めた。
「…ッ!お前!!俺のじぃちゃんに何しやがったッ!!」
『…………。』
「ユーリッ!やめろ!」
「じいちゃんは黙ってろッ!!ッいつもじいちゃんに悲しい顔させてんのはテメェだなッ!?…お前は一体誰なんだよッ!!?」
祖父を押し退けるように○○に詰め寄ったユーリは、自分より遥かに高い位置から鋭く見下ろされた。
「ーーッ!?」
「ユーリッ!!?」
途端、まるで射ぬかれた様に震え、動かなくなった身体が膝から崩れ落ちた。
慌てて支える祖父の身体を借りて、ユーリは負けまいと同じように睨みつけた。
『………………。』
「………ッ………。」
『……………。』
「……………ッ…!」
睨み合う両者。しかし、先に目を離したのは○○だった。
「……!」
…ユーリは目を見開いた。
ほんの一瞬。
見間違いかもしれない程の一瞬。
その鋭い切れ長の瞳が。
よく知る氷よりも冷たい瞳が
木漏れ日を受けた樹葉のように、温かく自分を見た気がした…。
『………健やかにやれ…。』
「………………ぇ………?」
消え行くように呟かれたその言葉を最後に、○○は再び足を動かし、まるで引き留めているかのように吹雪く町並みへと溶けて行った…
消え行くその背中にコーリャは目を覆い、祈りを捧げ。
ユーリは孤高の虎を見た。
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