おかしなおに

フィナンシェ
マカロン
マドレーヌ
クッキー
ビスケット
ケーキ
タルト
シュークリーム
プリング




窓を開ければ幸せな匂いがしていた。

「ん〜♪ 今日はチョコ系だね。クッキー…それともブラウニーかな。」

「!ちょっとヴィクトル!気をつけて!」

香りを辿るように窓の外へと身を乗り出したヴィクトルを制しながら、勇利は慌てて服の裾を掴んだ。


ヴィクトルと勇利が同居するマンションに数日前から漂い始めた甘い香り。
どうやら時を同じくして下の階へ引っ越してきた住人の部屋からだった。

閉ざされているの方が少ない程、誘うように開け放たれている窓から流れる出るその香り。

「あー…でも、本当にいつもいい匂いするよね。」

鳴りそうな腹を押さえながらその甘い空気を全身に取り込むように大きく息を吸う勇利に、ヴィクトルは項垂れるように窓縁に顎を乗せた。

「はぁ〜。近くのお店に新しく入った人かと思ったけど違うみたいだし…、やっぱり趣味で作ってるだけなんだろうね。」

食べてみたいなぁと呟くように続けたヴィクトルに同意しながらも、勇利は取り敢えず自身の作った朝食で手を打つように笑った。




鼻を擽るその香りは、宝石のように店に並ぶような芳醇なもののようで、シンプルで…。ティータイム出されるお茶請けや、つい手が伸びる陳列されている菓子では物足りないほど、全てを空腹にさせた。

何もない口内を、その香りだけで何回咀嚼したから分からない。




今日は久し振りの二人揃っての休日。
ヴィクトルはこの際思いきって部屋を訪ねてみようかと企んでいた。

そんなことを悶々と考えながら取り敢えず溜まっていた用事を済ませる為、買い出しへ向かった。


「あとはいつものコーヒー豆だけかな?」

「ん〜…、そうだね。勇利は他に必要なものはないのかい?」

「うーん。とくには…って、ヴィクトル、あれ。」

馴染みのコーヒー店の前で分かりやすくナンパをしている男達に囲まれている小柄な女性が目に入った。
微かに見えるその頭と肩は微かに震え、耐えるように胸の荷物を抱き締めていた。

ヴィクトルと勇利は目を合わせ、軽く頷き合った。




「だから〜ちょっとだけだっていってんじゃん。」
「そうそう。その"お兄ちゃん"が来るまででいいからね。」

「ッ…!」




「女性にモテたいのなら、引き際もスマートに行うべきだよ?」

伸ばされようとしたその腕を掴み、ヴィクトルは爽やかに微笑んだ。
その隙に勇利は隠密が如くその少女をその"輪"から引き離した。


「「!!!?ヴィヴィヴィ!!!ヴィクトル・ニキフォロフゥウウウ!!!?」」」

"皇帝"の圧倒的説得力による微笑みの威圧感に男達は一瞬のうちに逃げて行った。


「流石、ヴィクトル。…君は怪我とかしてない?」

「!はっ、はい!ありがとうございました!!」

勢いよく頭を下げたその少女は近くで見るとその小柄に応じた幼い女の子だった。ユリオより二つ三つ下くらいだろうか。
涙目の大きな目は愛らしく、なんとも庇護欲を掻き立てられた。



「勇利は本当にニンジャみたいだね。…!あれ?」


ふあ…


「!」
「!この香り……。」

その時。近付いてきたヴィクトルと傍にいた勇利は同時に鼻孔を擽られた。



甘い

甘い…

いつものあの匂い




「…君……。」

窓から入るいつもの香りよりも"濃い"それに、どちらともなくほぼ無意識に先程の男達と同じように、首を傾げるその少女に向かって手を伸ばそうとした。その時ーー








『…………お"い。』


地を這うような声と共に、その少女の比では無いほど濃密でまるで"原液"のような香りが春風のように舞った。




「!」
「!?」

しかし、反射的に振り向いた先には肩に大きな袋を抱えた般若の様な厳つい男が立っていた。




『…テメェら…、俺の妹に何してやがった。』



「!!!?え!?あ…、違っ」
「!!?ぼぼぼ僕達は…!!」



荷物を支えるその腕にはいくつもの傷。そしてその目だけで人を殺せるのではないかと思うほどに鋭い目元にも一筋の大きな傷。

その顔を引き立てる長身で強靭な身体。


勇利は頭にヤのつく職業を連想させ思わず身を震わせた。



「違うの!お兄ちゃん!!」

『あ"?』

張り積めたその空気を切るように、少女の声が響く。

「この人達は私を助けてくれたの!」

『……助けただぁ?』

「そうなの!変な男の人たちに話かけられて…」


事の顛末を必死に伝えるその少女にも変わらずその顔は崩さず。本当に"お兄ちゃん"なのかと考えながらも、ヴィクトルと勇利の二人はその場から動けずにいた。





『………つまりオマエが俺の言うこと聞いて店の中で待っていたら起きなかったことを"コイツら"の手を煩わせ解決させた。…ということだな。』

「う…ッ…。」

『な。』



「…はい。ごめんなさい。」


虎に睨まれた猫。

シュンと頭を下げた少女を暫し威圧的に見下ろしながらも、軽く息を吐き、少女の頭をスッポリと覆うほどのその大きくな手で軽く撫でた。

その行動に少女はパッと顔を上げ花が咲いたように微笑んだ。
そしてその男は未だ固まったままのヴィクトルと勇利の二人へと向き直った。

その瞳に思わず肩が揺れる。


『あー…。先程は失礼した。オレの妹が世話になったな。オレは○○○○という。んで、コイツがサクラだ。」

「えっ…、あっ、いいえ、そんな…。僕は勝生勇利です。」
「俺はヴィクトル・ニキフォロフ。」

勇利とヴィクトルの言葉に男は軽く頭を下げた後、肩の荷物を抱え直しながらズボンのポケットから何かを取り出し、二人へと差し出した。

『…"礼"と言える程の物じゃねぇが今これしかねぇ。』

「?」
「?」

二人は思わず手を広げた。


カサッ

そしてその手に落とされたのはシンプルなワックスペーパーに包まれている飴だった。

「!あっ、いーなー!お兄ちゃん私も欲しい!」

後ろから顔を出し、"それ"を羨ましそうに眺めるサクラ。

『オマエの分は朝やったろうが。家まで我慢しろ。』

「えー…。はーい…。」


ヴィクトルはそっと中身を開いた。



「…!wao!so beautiful.」

そこにはキラキラ光る金色の"欠片"が輝いていた。

「わぁ! べっこう飴だ!」
「べっこう?」

同じように目を輝かせた勇利に、ヴィクトルは視線を上げる。


『もっとちゃんとしたものやりてぇとこだが、丁度今材料使いきって買い出し中でな。』

「これは君が作ったのかい!?」

「そうだよ!お兄ちゃんのお菓子は世界一なんだから!」

受け取った飴のように目をキラキラさせながら答えたヴィクトルに、サクラは自慢するように鼻を鳴らした。そして続けるように兄が作る様々な菓子の味を鮮明に伝えた。
勇利とヴィクトルは同時に喉を鳴らす。

○○の額には先程より深く皺が刻まれる。

『…いい加減にしろ、サクラ。先に帰るぞ。』

「あっ!待ってよ〜!…まったく照れなくてもいいのに。それじゃあヴィクトルさん、勇利さん!本当にありがとうございました!また会えたら兄の"一度食べたら他じゃもう食べられない絶品チーズケーキ"を御馳走しますねー!!」


「!!あっ……!」


背を向け振り返らない兄の後を追いながら手を振るサクラ。

ヴィクトルと勇利の二人は掌で輝く宝石とその後ろ姿を交互に見詰めながら、最早取り憑かれたように何度も咀嚼を繰り返した。


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