赦せないこともある前篇


酷い


汚い


そんなに俺は信用がなかったんですね


家族のような幼馴染みも、訓練兵団を共に過ごした仲間達もいるのに俺が裏切るわけないのに。
俺は確かに巨人か人間かも曖昧な化け物だけど、それでも巨人を駆逐したいという思いも、貴方を想う心も本物だったのに。



イタイ


捧げたはずの心臓が痛くて張り裂けてしまいそうだ…






**********



なんてことだ!
何ていうことをしたんだ!!


ガタガタと震え青ざめた顔で走り去るエレンを呆然としたまま見送ることになってしまったハンジは、血の気の引いた顔で目の前の扉を開く。


中には、エレンの足音に気付いたのだろう距離を取り平静を装う男が二人。調査兵団の団長であるエルヴィンと兵士長のリヴァイだ。



ハンジは、中に入ると些か乱暴に扉を閉めるとギロリと男二人を睨み付けた。


「…どうしたんだい、ハンジ。」


何が、どうかしたんだい?だ。既に分かっている癖に。だから、珍しく微かに動揺を滲ませているんだろう?
なぁ、リヴァイ?睨むだけで何も言わないのは何故だい?いつもなら、「クソメガネ、静かに閉めろ」とか言って蹴りの一つでも寄越すじゃないか。



「白々しいね、エルヴィン。気づいてるんだろう?」


「………どこから聞いていた。」


ギロリと殺されるんじゃないかと思うほどの殺気を放ちながら言ってくるリヴァイを見遣り溜め息をつく。


「聞かれたくないなら、真っ昼間っからイチャつかないでよね。しかも扉がきちんと閉まってなかったよ。ああ、それとさっきまでエレンが一緒にいたよ。そこまで言えば分かるよね?」



ハンジは冷ややかに二人を睨みながら薄ら笑いを浮かべ言う。可哀想に、今頃あの子は泣きじゃくっていることだろう。



息を呑み黙りこくる二人を眺め、ハンジは胸糞悪さに舌を打った。


「楽しかったかい?あの子の…まだ15才の淡い恋心を弄ぶのは。」



沸々と怒りが沸き上がる。普段巨人の研究にばかり心血を注いでいるハンジだが、女である事も忘れていない。恋愛や結婚にだって夢を抱いてもいるし捨ててもいない。こんな時代だからこそ、人を好きになり愛すことは尊いものだと尊重してもいる。それにエレンは巨人云々を抜かしても可愛いと思っているんだ。怒りを抱いて当然だろう。



「ここにはあの子の大事な幼馴染みや友人がいるんだよ?それに、あの子が何よりも巨人を憎み殺すという意志は確かな物だと分かるだろう。母親を殺した巨人を殺すことだけを考え必死に訓練をつんだのに、自分が憎む巨人になってしまう苦痛に耐え健気に人類のために実験に協力して…。周りの化け物をみるような冷たい白い目にも耐え、笑ってみせる子供が、初めて好きな人が出来て両想いになれて…僅かな幸せで心の支えだったろうに。なのに、当の恋人は、本当は上司に自分を繋ぎ止めろと命令されて恋人の振りをしているだけで?しかも上司が本当の恋人でした?ふざけんじゃねぇよ!そんな事しなくても、あの子は裏切らなかった。それに恋人の振りなんかしなくても、もっといい方法があったろう!子供の純情弄びやがって!」



怒りに任せ怒鳴るハンジにエルヴィンもリヴァイも驚きに目を見張る。


「ハンジ、少し落ち着きなさい。」


宥めようとエルヴィンがたしなめるがハンジは怒りのままに近くにあったテーブルを蹴り飛ばす。


「落ち着け?落ち着けるか馬鹿野郎!!」



肩で息をしていたハンジは深呼吸をすると無造作に髪をかきあげ「こんな仕打ちは酷すぎる」と震える声で呟いた。



「…エルヴィン、今日から私はここに移るよ。権限も日常的なものは私が貰うよ。それくらいの情はあるだろう?」


「…何を勝手に「リヴァイ、あんたは任務でやっただけであっても、あの子を裏切ったんだよ。さすがの、あんたにも気まずさを感じるくらいの良心があってもいいんじゃないの。」



ぐっと言葉に詰まったリヴァイを見遣り、ハンジはクルリと踵を返すと用はないと部屋を出ようとして、途中で足を止める。


「兵団を裏切らせまいとやった結果、あの子を裏切らせる要因を作っちゃったね。大事な恋人に、他の男と恋人になれって命じたことも、好きでもない男に抱かれたのも全部無駄だったね。」


そう言い捨てると胸糞悪い部屋を出て走り出す。。実験の報告なんて知るか、それよりもあの子が…。



*******


馬屋の陰にある人気のない茂みの中に踞りエレンは大粒の涙を流し泣きじゃくっていた。


最初は、ただ憧れだった。人類最強としての強さに憧れ、いつか自分もそうなりたいという微かな夢を抱いていた。だけれども、実際のリヴァイ兵長は思ったよりも小柄で粗暴で神経質そうなところがあって、でも不器用な優しさが感じられる人で気づいたら好きになっていた。ただ、側に居られるだけで幸せだった。あの人と恋人という関係になって、キスもセックスもした。その度にほかほかと幸せを感じていた。あの人も不器用ながらキスをしてくれたり、セックスのときも甘えるような仕種をみせてくれたり…あの人も同じ気持ちを抱いてくれてるんじゃと思っていたりもした。

それが、自分を此処に繋ぎ止めるための手段だったなんて思いもしなかった。


団長の部屋で、団長の腕に抱かれ深く口付け合うあの人を思い出しエレンは強く唇を噛み締めた。


ガサリと背後から音がしてエレンは身を強張らせる。


「エレン!探したよ。」


ハンジの声にエレンはゆるゆると顔を上げ、そして絶望した。


今、自分はリヴァイが来てくれることを期待していた。来て「違う」と言ってくれることを望んでいた。あの人は義務で俺と恋人ごっこをしていただけなのに。


エレンは乱暴に涙を拭い止めようとするが、それをハンジにやんわりと止められた。



「泣きなよ、エレン。我慢することない」



ぎゅっと抱き締められ、ポンポンと背中を慰めるように叩くハンジに、エレンはくしゃりと顔を歪める。


「ぅ…あぁああぁあぁ」


大きな声でわんわんと泣くエレンをずっと抱き締め頭を撫でて遣りながら、やりきれない思いを抱く。


何故、こんなにも良い子が酷な運命を背負う羽目になるんだろうか。わんわんと泣くエレンは背は大きくても幼さを含み、それが由り哀れさと悲痛を伝えてきた。



リヴァイの側に居るだけで幸せなのだと、ふわりとあどけない顔で微笑んだ、その顔は今や絶望と悲しみに支配されていた。



実験の関係でハンジは良くエレンと話すことが多かった。まだ、リヴァイ班に配属されたばかりの頃は戸惑いと緊張で一杯だったエレンも次第に年相応、それよりも幼い顔で笑うことも増えた。
真面目で純粋な彼の、たまに出てくる無邪気な言葉や笑顔に研究に煮詰まって疲れている、ハンジの心を癒し軽くしてくれた。いつかしかハンジはエレンを大事な実験体から、可愛らしい部下、弟のような息子のようなそんな感情を抱いていた。


女型の巨人の捕獲に失敗し初めての先輩を失ったエレンを、寄り添うように側にいたリヴァイ、自分だって悲しみで一杯だったろうに気遣うエレン…そんな二人を見て少しばかり喜びを感じたのだ。



巨人化という重い運命を背負い戦い続けなければいけなくなった少年と、人類最強として人々の希望を背負い戦い続ける男、孤独な二人が不器用に寄り添う姿は微笑ましく写った。



エレンからリヴァイと付き合うことになったと聞いた時は、心から祝福した。
嬉しそうにリヴァイの事を話すエレンは可愛らしく、不器用ながらエレンに甘さを見せるリヴァイの姿がハンジにとっては束の間の平和の、幸せの象徴だった。



「…はんじ、さん…おれ…」





「…ご、めんなさい…おれ、なんかが、あの人を好きになるなんて…そんなの許せることじゃなかったのに、おれ、化け物だから…馬鹿だ、俺…」




「何を言ってるんだい!エレン、君は何も悪いことをしていないだ。そんなに自分を責めては駄目だ。」



この子の細やかな幸せを手酷く裏切ったあの二人が許せない。仲間だと友人だと思っていたし、今もその思いは捨てられない。でも、それでも許せないことだってあるんだよ。


人の気持ちを弄ぶ行為をして、それで得るものはなんだ。それが、人類のため?たった一人の15才の子供の気持ちをズタズタに引き裂くことが?私には納得出来ないよ。



「エレン、君は何も悪くない。人を好きになる愛するという気持ちは素敵な物だ。むしろ、そんな風に人を思えることは尊敬に値することだと私は思うよ。エレン…俺なんかが、なんて言っては駄目だ。それにね、化け物がこんな風に傷付いて泣いたりはしないよ。裏切られて悲しいのは人として当然の事だよ。」



ひくりひくりと泣くエレンを抱き締めハンジは殊更優しい声音で語りかけた。






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