女が、連れて来られたのは村の近くの山の中腹にある湖だった。



女は座り込み苦しげに荒い呼吸を繰り返しているが、その場にいる誰も気にかけてやることはない。

薄暗い蔵の中で生活していた女にとって、生まれて初めてこんなにも長く歩いた。それ故、直ぐに呼吸は荒くなり幾度も崩れ落ちそうになったが、女を連れてきた者達は、忌ま忌ましそうに顔をしかめるばかりで、決して休ませる事なく歩かせ続けた。



ぐったりと地面に座る女に、連れてきた者達とは別の人物が口を開く。


「水神様、どうか雨をお恵み下さいませ。このままでは、田畑は荒れ作物も枯れ、生きていく事が出来ません。どうか、どうか、お恵みを…。」


湖に女以外の者達が頭を下げ「お恵みを」と願う。

そして、女はまた引きずるようにして湖の淵に立たされる。そして、手首と足首を縄で縛られた。


「この娘を生贄として差し上げます。」


その言葉と共に、女はドンッと背中を押され湖の中に突き落とされた。




女は、湖に沈みながらソッと目を閉じた。





■■■■■


ふわふわと、今まで感じた事のない柔らかさに目を開けると、見たこともないような場所だった。


薄暗い蔵とは比べものにならないくらいに明るい。


パチパチと瞬きを繰り返していると、近くで声が聞こえた。


「気がつかれましたか?」


「…………。」


今までに聞いた事のない、柔らかな声に顔を動かすと、一人の人間がいた。


「大丈夫ですか?どこか、痛いところはございますか?」


「…………。」


何の反応も見せない女に戸惑ったような顔をすると、「えぇっと……。」と口ごもる。


「あの、失礼ですが…私の声は聞こえてらっしゃいますか?」


と聞いてくるので、女は小さく頷く仕草をする。


「失礼しました。あ…私、雪村千鶴と申します。あなたのお名前を教えていただけますでしょうか?」


「…………。」


雪村千鶴の言葉に、女は無言で首を振り目を伏せる。


教えようにも女には、名などない。そんなもの与えられはしなかったし、必要もなかった。


だから、首を振り拒否した。


ただ、それだけの事…。




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