桜花月憚 1

それは、ある葉桜満ちる一日のこと……



「千鶴、ちょい付き合えや」
                
原田さんがにこにこしながら、昼餉の洗い物をしていた私に声を掛けてきた。
                
「…え?あ、あの‥まだ洗い物が…」
               
そう言った私の右腕はもう、原田さんの手に引かれている。
               片手に持ったお湯呑みを洗い樽の中に取り落としそうになりながらも水の中に戻し、引っ張られるままお台所を後にする。
               
「は、原田さんっ何処行くんですかっ!?」
                
聞いても原田さんは「いいから付いて来い」なんて言いながらくすくすと笑っている。
               外に出ると、春の陽射しが気持ちのいい風を運んで来た。
               手を引かれたまま、私は原田さんに付いて行く。
               引かれた手の温かさに、どきどきと私の心臓の音はうるさくなる。
               
「なぁ、千鶴。お前川向こうに新しく出来た、団子屋知ってるか?」
                
手を引きながら原田さんは、こっちを振り返り私に問い掛けた。
                
「お団子屋さんですか…?」
                
「いいえ?」と私はかぶりを振る。
               川向こうと言えば、頓所からはかなり離れていて、例えば巡察に出たとしても中々そちらまでは行かない。
               極たまに近くまでは行くものの、のんびりお茶等している暇もないのでそれらしき店があっても、目に入っていないのかもしれない。
               
「さっき平助が巡察から戻って来たんだが、俺を見て開口一番なんて言いやがったと思う?」
                               原田さんはそう言いながら、呆れた様に肩を竦めてみせる。
               私は「?」と彼の顔をじっと見た。
               
「あいつ俺を見て『すっげー美味い団子屋見つけた!左之さん後で千鶴誘って食い行こうぜっ』だとさ。んで、誰が金出すんだって聞いたら『そーりゃ当然年長者って事で…ねぇ?』って…なんだそりゃーって感じだろ?」
               
原田さんは溜息を尽きつつ、ニヤリとする。
               
「‥え?あ、じゃあ、平助君も行くんです…よね?」
               
私は、え?あれ?と思いながらそう問い掛ける。
               そう、話しの流れだと平助君も一緒のはずなのに…………。
               ……………いない。
               「原田さん、平助君……もうお団子屋さんに行ってるんですか?」
               
原田さんは「いいや?」と返し、私の顔をのぞき見る。
               
「おいおい、まさか本気で平助連れてくと思ってないよな?…場所だけ聞いて、さっさとお前連れて出て来たんだよ」
               
               …ニコニコニコ…
               
…スッゴくいい顔して笑ってる(汗)
じ、じゃあ、平助君今頃私達を捜してる……?
               
「は、原田さぁ〜んっっそれってど〜なんですかぁ…っ」
               
あははと声をたてながら笑う、原田さん。
               
「あははじゃありませんよぉっ!平助君今頃きっと、頓所中捜してますよっ」
               
ああぁ…、なぜか彼の姿が目に浮かぶ。
               「左之さ〜ん・千鶴〜」って走り回り、土方さんあたりに見咎められて怒られてたりして…。
               …ううん、多分…確実に怒られてる!
               
「まぁまぁ。奴はまた、そのうちに連れてくから気にすんな?それより千鶴。お前知ってる?今、川向こうの並木道、桜が満開なんだ」
               
原田さんはそう言うと引いていた私の手を離し、頭の上で手を組みながら「う〜ん」と伸びをする。
               そして、ちょっと首を傾げながら、私を見る瞳を柔らかく緩める。
               
「…桜…ですか?」
               
「あぁ、桜。この間の長雨で、頓所周りの桜はもうほぼ葉桜だろ?昨日、千鶴言ってたよな?『もう、桜も終わっちゃうんですね』ってさ。で、そんな時に平助の話し聞いたんでね。これは千鶴を連れて行くしかないだろ?ってさ」
               
原田さんはそう言ってにっこり笑い、「ほら、行くぞ」と右手を差し出す。
               裏のないその笑顔に、私の心臓は益々騒ぎ出す。
               ………ど、どうしよう。
               このままじゃ、原田さんに聞こえちゃいそう…。
               私は俯き、胸にそっと手をあてる。
               お願い、治まって…………!
               そんな私に気付かない様子で、原田さんはもう一度「ほら」と手を差し出す。
               私の心臓は治まらず、けれど原田さんの手をそのままにもしておけず、私はおずおずと彼に左手を出した。
               
「よっし!行くか」
               
原田さんはそう言うと、私の左手に自分の右手を重ねて、きゅっと握りしめる。
               強くもなく、弱くもなく。
               けれど、壊れ物を扱う様に……優しく。
               包み込まれるその優しさに、思わず私は勘違いしそうになる。
               私が想うように彼も想ってくれているんじゃないか…。
               そんな妄想。
               …原田さんは、誰にでも優しい人。
               ぷるぷると首を振って、自分に都合のいい考えを打ち消す。
               
「何してんだ?そんなに首振って…痛くないのか?」
               
くすくすと笑いながら、原田さんは私に問い掛ける。
               優しい優しい、大好きな笑顔。
               
「大丈夫…です」
               
今の私にはそう答えるのが精一杯で、俯きながら彼の笑顔を胸の中で抱きしめた………。



大橋を渡ると、街道沿いの並木道は今が盛りとばかりに淡い薄紅色の桜が満開に咲き誇っていた。
               
「すご…い」
               
私は思わずそう口にして、満開の桜の下まで歩を進めた。
               見渡す限り、並木道はずっと桜色の化粧を施した様な風景。
               
…はらり・ひらり・はらり…
               
風になびく様に、桜の花びらが舞い落ちる。
               
「綺麗…。ね、原田さん。凄く綺麗ですね」
               
振り返り、原田さんにそう言うと彼は優しく微笑みながら頷いた。
               
「あぁ。…見に来て、良かっただろ?」
               
そう言いながら、私の頭をぽんぽんと軽く叩く。
               私は「はい」と返事をしながら、また舞い散る桜に目を奪われていた。
               


…目の前に桜の花に魅入られたように、頬を染めて舞い散る花びらを目で追いかける彼女、千鶴がいる。
                花と団子で釣り上げて、ここまで連れて来た。
別に平助に言われる迄もなく、団子屋の事は島原の遊女達が噂していたので知っていたし、ここの桜並木の事も巡察中に見て知っていた。
始めから、千鶴をここに連れて来たかったのだ。
ただ、桜並木の件はいいとして、流石に団子屋の情報が島原だとは彼女には言いづらく、どうしたものかなと考えていたとき、運良く平助から言い出した。
…利用しない手はないだろう?
しかも、普段は千鶴を誘おうとすると必ず邪魔する輩がいるにも関わらず、今日に至っては 巡察 体調不良 隊士募集など、ことごとく出払っているのである。
…鬼の居ぬ間に………
さっそく声を掛け、さっさと千鶴を連れ出したのだ。

「すごい、綺麗ですね」

にこにこと綺麗な笑みを見せて、千鶴は喜んでいる。
はらはらと風に舞う桜の花びらの中、まるで舞うように花びらを追いかける彼女。
その光景はまるで夢のようで……。

「見に来て良かっただろ…?」

そう言いながら、俺は頭の中で別の事を考える。

…綺麗はお前だって言ったら、どんな顔するかな?

結局、口には出せずに苦笑する俺。
いつからこんなに臆病になってしまったのか。
遊女相手なら、「好きだよ」も「愛してる」も簡単に口から出て来るのに、いざ彼女を目の前にすると何も言えなくなる。
言って、その後の事を考えると怖くなる。

…俺が“怖い”って‥どんだけだよ…

本当、笑ってしまう。

「原田さん、見てくださいっ♪」

視線を上げると、千鶴は両手に溜めた桜の花びらをふわっと投げ上げる。
花びらは風に乗り、俺と千鶴の上にふわりふわりと舞い落ちてくる。

「ねっ…原田さんっ!綺麗ですね」

無邪気に微笑む千鶴。

……抱きたい。

唐突にそう思う。
抱きしめて、「愛している」と囁いて、俺の腕の中にがんじがらめに閉じ込めてしまえたら、どんなにいいか……。
「好きだ」も「愛している」も今の俺にはお前にだけ使いたい言葉。
否、使えない言葉。
伝えてしまいたい。
伝えられない。
相反する気持ち。
相反する言葉。
俺は本当はどうしたい?
千鶴を…どうしたい?



一時(いっとき)程も、原田さんと二人、桜並木をのんびり歩いた。
彼は時折、何かを考えるようにぼうっとしながら私の隣を歩いてくれた。
出て来た時間も時間だったので、そろそろ風が夕方の湿り気を運んで来る。

「団子屋、まだやってっかな?」

原田さんはそう言いながら、私の手を引いて店の並ぶ一角に向かう。

「ですね。ちょっと遊び過ぎちゃいましたね。…ごめんなさい、原田さん」

「んー?千鶴が謝る事じゃないだろ?俺だって似たようなもんだったしな」

謝ると優しく微笑みながら、原田さんは私の頭を撫でてくれた。
そんな彼を見て、少し安心する。
さっきまでの彼は何処となく落ち込んで見えたから……。

「…平助君や皆にお団子、買っていってあげないと、ですね。私達だけ食べて帰ったら平助君や沖田さんが拗ねそうですし……」

くすくす笑いながら、私は原田さんの顔を仰ぎ見る。

「あー…、な?食いもんの恨みーーーっ!とか、しょっちゅう言ってるしな?」

くすくす二人で笑い合う。
繋がれた手の温もりが心まで温めてくれているようで、それだけでも私は嬉しくなる。
幸せになる……。

……ねぇ、原田さん…。
あとどれくらい貴方は私の側に居てくれますか?
聞きたくても聞けない言葉。
いつかは道標(みち)が分かたれてしまう…。
わかっているからこそ、私のこの気持ちは伝えられない…。
伝えちゃいけない。

……大好き 大好き 大好きです………

言えないほどに募っていく想い。
うれしくて、愛しくて、切なくて、痛い。
原田さん、苦しい…です。
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