絶望の少女達


《キリコ 様より》



 最初に瞼の裏に残ったのは、夜空が零れたように深く、鮮やかな瞳の青だった。

 瞳だけでなく、瞼やその周りを縁取る睫毛まで。全てが酷く精巧なビスクドールのようなそれに、星空を切り取るような瞬き。青。私とは、ほんの少し違う色。その下に、眩しいくらいのコントラストに映える黒と、輪郭を彩る星屑のアラベスク。剥き出しの手足は頼りない程に白く、華奢で、痛ましいくらいに無防備に、世界に向けて晒し出されていた。

 けれど、そうして目に映った何よりも、この心を奪ったのは。不自然に照らし出されたステージの上で、細い体がマイクスタンドの前に立ったその瞬間。薄い胸が、空気を大きく吸い込んだその時に、初めて光の下に晒されたように浮かび上がった、あどけなくて、触れてはならないもののように酷く儚くて。なのに鮮やかな程にしなやかで、凜とした、白い喉の美しさだった。

 彼女は、孤独を歌っていた。その美しい喉でもって。



* * * * *


 電源を入れたラジオから、芳しくない電波状況が散り散りになって吐き出される。何の気無しにチューナーを動かしてはみるものの、小さく折り畳まれたままのアンテナは、これ以上に明瞭な声を拾い上げたりはしなかった。今夜未明、この辺りは記録的な暴風雨に見舞われるらしい。交通機関の乱れが予想される為、夜の外出はお控え下さいと、ざらざらとしたアナウンサーの声がなんとかそれだけを囁いている。けれど、私達には余り関係ない。
 割り切った思考を、物憂げな溜息にして吐き出してみる。すると、それを繋がらないラジオに対するものと勘違いしたのか、背中を向けていたパイプ椅子の向こうから、もう一人分。私の傍に佇んだ、もう一人の『私』から、「もう切っちゃえば、それ」と軽やかなサファイアブルーが、りんと響いた。

 「大体、今時ラジオなんて流行んないんじゃないの。リアクター」
 「……あら、ノスタルジズムは趣味じゃない?過去の遺物に敬意を示すことは良いことよ」
 「その酷いノイズさえなけりゃね。周波数合わないなら付けとくだけ無駄でしょ。耳痛くなってきた」

 防音が施されたスタジオの一室に、今さっきノイズと称された細やかなkHz以外の音は聞こえない。仕事自体は別のものだったけれど、今、このスタジオから徐々に出れなくなっていることには変わりない。予報では、夕方を過ぎた辺りから天気は下り坂。夜には大雨に変わるでしょう。ということは、今頃スタジオの外では重たい黒い雲が空を覆い、ぼつぼつと雫が涙のように道路とコンクリートを濡らしていることだろう。
 そんな事実も知らない『彼女』は。足を組み、机に肘を付いて退屈そうにスマートフォンを弾いた彼女は、夜空の星と同じ色の髪を揺らして、野良のようなしなやかさで眼差しだけを私の指に走らせた。俯けた睫毛に隠したブライトブルーを、ほんの一瞬だけ、プラスチックに作り上げた空気の上にするりと浮かべる。私を見上げる、プラチナの瞳。その瞳に映る夜を見下ろす度、私は最初に彼女と出会った時のことを思い出す。肌が粟立つような記憶。それを、そっと閉じた瞳に滑り込ませて、代わりに唇に小さな笑みを作り上げる。

 「ノイズだなんて、酷い事言うのね、ブラックスター。この子が可哀相だと思わない?」
 「……アンタの懐古主義とやらには時々付いてけない。ただの古びたラジオじゃん」
 「本当にそう思う?決まった音しか吐き出せないなら、私達と変わりないわ」

 備え付けの棚に乗せられたラジオを一撫ですると、クスクスと忍び笑いが喉の奥から知らずに零れた。彼女は、この手の笑いが嫌いらしく、私が笑うと決まって不愉快そうに目を逸らす。「下手な自己投影ならやめときな」と呟いて、私を見上げた夜空の瞳を、黙って瞼の裏へと押し隠した。淑やかな睫毛を伏せてしまえば、もう彼女は私を見てはいない。夜の空気は、ふつり、と途切れた。それを、特に名残惜しいとは思わない。彼女の周りに常に漂う夜の気配を、羨ましいとも、思わない。

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リゼ