終わりの魔法 後半


可愛い弟のように一緒に育ってきたエドワードの泣き顔は、今までにも何回か見たことがあったが、ある程度大きくなってからは全く見たことがなかった。この事態の大きさと、扇情的に潤んだ瞳に先ほどまであった“出来事”の有り難さなんて一瞬で飛び去った。私一人でちゃんと解決させてあげられるのだろうか…という不安が募る。

「ロイ兄…なんでっ」

「ついさっき帰ってきたんだよ。久しぶりだなエド、そっちに行くよ」

「あっ馬鹿くんなっ」

乱雑に置かれたスクールバックはその下に小さな水溜まりを作っていた。泣き顔を見られるのが恥ずかしいのか、エドワードはまた顔を膝に埋めて、私と顔を合わせようとしない。ベッドに乗り上げると、もう一度小さな声で

「くんなってばぁ…」

と聞こえた。こんなに弱っている彼を私は知らない。
預かってきたバスタオルを頭に被せ、濡れた髪を拭いてやる。結ってあった三つ編みも解いて、丁寧に水気を取っていった。その間も彼の態勢は変わらぬままだ。

「布団が濡れてしまうだろう。ほら、服脱いで、着替えは?」

回答を待っても意味がなさそうなので、部屋の隅のチェストから適当にパーカーとジーパンを出した。ベッドでのそのそと制服を脱ぎ始めたエドワードに新しい服を渡して、着るように促した。

着替えや濡れた服の始末など、しばらくたってようやく落ち着いた頃、彼の心も少し安らいだようで、

「…ごめん、ありがとう…」

小さい声だったが、少し顔を上げて、どうやら話ができる状態になったようだ。でも時折鼻をすすったりパーカーの袖で目を擦ったりしている。その横に自分も上着を脱いで腰掛けた。うなだれ気味の頭を肩に預けるように促せば、大人しくそれに従い、本当は甘えたいのだろうワイシャツをこっそり摘んでため息を震わした。
こういう時は場所からガラッと転換してしまった方が良いかもしれない。二人で気軽に行けて、話がしやすそうで、何よりエドワードが慣れているような。そうだ、

「エド、マック行こうか」

「え、マック?」

「うん。よし行こう、おいで」

彼の手を掴んで半ば強引ながら階段を降り、おばさんに一声かけて玄関を出た。遠隔キーでロックを外しながら自分の車が置いてある横の家へと雨に濡れぬよう走る。彼を助手席へ乗せて、自分も急いで運転席に座る。エンジンをかけたりガレージから出たりしながら彼と話す。

「シートベルト締めた?」

「うん…どこのマック行くの、駅前?」

「そう」

ああ、そういえば、

「車停められ…」「車停めれね…よ」

「…だ、な。うん」

「路駐?」

「そうなるな。まあいいか」

「他の店でドライブスルーは?」

「いいや、店で食べたい気分なんだ」

些細なきっかけで二人の会話は普段のようにぽんぽんと続いた。そういえばクーポンが助手席の前に入っていた気がする。エドに見て決めているよう言うと悩んだ様子で(それは食べるものに関してだけではないかもしれないが)メニューを見ていた。

彼が何について泣いていたのか改めて考える。彼の事だ、友人関係とかの類ではないだろう。となると進路か。学校の授業についていけなくなった?。頭のいい彼でもそんなことがあるのかもしれない。いや、もしかしたら恋愛についてだったりとかもするのか。好きな人ができた?。うーん、嬉しいような寂しいような…これはアドバイスには一番困る悩みだ。こういうのは友達のような中立な立場にいる人間に(自分がそうであるとは言い切れない自信がある)助言を求めた方が彼のためには良いだろう。だが一人で泣くところまで誰にも言わず溜め込んでいたんだったら、これも少し違うだろうか。

こうして一人取り越しながら車はマックに到着した。一本中に入った道の服店の前に他の路駐車に紛れて車を停め、今度も雨に濡れないように「せーの」と一緒に走った。
先にクーポンで食べるものを決めていたエドワードが注文している間にさっと携帯のクーポンを見て自分も決めた。人の混む駅前では二人で座る場所を見つけるのも一苦労だろうから、自分は後から持って行くから先に座っているようにエドワードに頼んだ。
ビッグマックのSSセットとチキンフィレオセットを運びながら彼の姿を探す。すると端の方にいい感じで二人向かい合わせの席に彼は座っていて、その横顔は何かを考えているようだった。

「はい、チキンフィレオ」

「おう」

「エドはもうハッピーセットじゃないのか?」

「それいつの話だよ!」

「ついこの前の気がするんだけどなあ」

「もうふざけんなー!」

「わかったわかった、ごめんごめん」

そんな話でふざけ合って、また話し易い空気を作ってから話題を変える。彼は美味しそうにフィレオを頬張っていて、私は少しビッグマックは無理しすぎたかな、と、ただバリューセットにしなくてよかったと思いながら烏龍茶で喉を潤した。

「それで、お前の悩みの種は何?」

「ん……」

「あーウィンリィとか?」

「違う!、ただ成績が…あ、あと、進路、とか、もう訳わかんなくて…」

「なんだそっちか。少し残念」

「んだよ、悪かった色気なくて」

恋わずらいではないことが判明。残念とか言っておいて実は安心している自分がいた。卑怯だなとか軽く自責しつつ、彼が勉強面だけでこんなになるとは思えなくて、まだ何かあるなと踏んだ。

「で、それから?」

「……クラスがやだ。担任もやだ」

「どうして?」

「だってさあ…受からねーもん。このまんまじゃ。あの大学」

「それは周りの人たちのせいなのか?」

「……」

言葉に詰まる辺りが彼らしいと思った。優しい彼が本気で自分に起こった問題を人のせいにしたりするのは、そうとう弱ってる時だからに決まっている。だから私は彼が自分に向き合えるように、変な慰めや励ましは言いたくないのだ。
ほんのしばらくの沈黙が流れた。それは彼が必死にもう一人の自分とけじめを付けている時間であった。この17歳という妙に現実が自分の思い通りにならなくて焦る時期は、大人になってもやっぱり思い通りにはならないがそれとは違う。ゆっくり、自分から求めて向き合って受け入れ、そしてどうすればいいかを考えなくてはいけない。そしてそれには“きっかけ”も必要なのだ。

「違う…」

「ん?」

「数学ぐらい頑張ったらいける。いろんな人だっているし、担任だってその内の一人」

「エドワード」

「俺、焦りすぎてた?」

「そうみたいだね。何、泣いた事なら今なら雨のせいにでもしてしまえ」

「あーもう恥ずかしー…」

顔を真っ赤にして机に額をくってけて唸るエドが可愛い。さっさとバーガーを口にほうり込んで、彼の頭をつついてみる。やめろーと軽く抵抗しながらもまだ恥ずかしいらしく顔を上げようとしない。

「今度は恋愛の相談がいいな」

「うっせーなあ、そんなに俺に好きな奴とかで悩んでほしいわけ?」

「いや、エドのそういう話聞いたことないなと思って。夢中になったりだとか」

「じゃあ俺が好きな奴とばっかり遊んで、ロイ兄のこと放っといてもいいんだ」

むすーっとした顔でポテトを食べながらこちらを軽く睨んでいる。少し目元が赤くなっているからなんだかこちらがイジメたみたいだ。
もし放っておかれたら、そうだなあ、兄さんとしてはグレるかもしれない。兄さんとしてでなくてもその可能性はあるけれども。

「それは少しつらいな」

「だったら俺今はロイ兄だけでいいもん」

「、え?」

一瞬どういうことか分からなかった。ポテトを食べる手がついストップする。

「だからー、ロイ兄いるから恋人とかいらねーって」

「それ告白?」

「…ち、ちげーよ!勘違いすんな馬鹿!」

何だ驚いた。瞬間私の心は現役の彼よりも思春期みたいにドキドキしてしまったじゃないか。ああ驚いた。

とりあえず、彼の心を暗く覆っていた雲は掃ってやることができたし、私の残ったポテトも食べ切って彼のお腹も満たされたみたいで、たまさかの再会には十分過ぎるほど充実していたように思う。帰ってきてよかったと思った。
そして涙の理由は意外と単純と言えばそうで、まあ今まで大体のことがスムーズに運ばれてきた彼にとっては重大なことであったのかもしれないが、これでまた明日から元気に学校生活に向かえるのかと思うと安心した。大切な彼の思春期の波濤に一つ終わりの魔法をかけたところでそろそろ店を後にしようと立ち上がった。外はまだ降っているなと雨を見て、あることを思い出す。

「ああ、そういえば」

「なに?忘れもの?」

「エドの鞄、中身まで濡れたんじゃないか?」

「え、うん多分」

「教科書私のが家にとってあるから、帰りに寄って持って帰るといいよ」

「いいの?」

「ああ。書き込みはあるけど綺麗だから」

「ありがとう…」

「さ、走るぞっ」

「あっ待って!」

また少し申し訳なさそうにしているエドワードの手を握って外に駆け出した。二人の足元は街の光を受けた水飛沫で明るく輝いている。






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うわああああんごめんなさいこんなに遅くなってしまって本当申し訳ございません(´;ω;`)
いつかエドも大人になってロイと一緒に飲みに行ったりとかしてたらいいなあーと思ったり。
原作よりロイが若いので口調とかやっぱり難しいですね。今回は心情中心な感じでしたが、ほんの少しでものほほんとしていただけたら幸いです*
ゆずく様、リクエストありがとうございました!
そしてショコラトリー3周年おめでとうございます!

リゼ