ナチュラル・フェブラリー


何で冬なのか分かった。溶けるからだ。ドキドキしながらポケットの中で潜むチョコレートが、心の火照りに負けてしまわぬように2月にしたんだ。誰がそうしたかは知らないけど。
まあ俺には関係ないけどさ。あまりにも周りが浮かれ過ぎててつい考えてしまった。皆青い軍服に身を包んでおきながら胸には甘い気持ちばっかり。俺にはお見通しなんだからな。
氷のように冷たい水しか出てこないトイレ。誰もいないといいな、と願いつつ入った。しかし残念。むさ苦しいおっさんとその部下であろう茶髪が二人並んでいた。見ないように奥の個室に入る。鍵を閉めるとあら不思議、ここだけ女子トイレと化す。

(やだなあ…)

どうしようもない事。音を消したくて水を流そうとしたけど、さっきの人達の不審に満ちた目が容易に浮かんできて、話し声が無くなるまで待つことにした。

手を洗って、特に右手には石鹸が残らないように注意を払ってトイレを出た。

最悪。

「…やあ、鋼の」

本当最悪。

「ん、」

恥ずかしくて恥ずかしくて早歩きでそこを離れた。一瞬驚いたような眼と、何の表情でもない顔。作り笑いさえなかった。冷やかしもなかった。大佐は鋼のと呼んだけど、その時俺は“男子便から出て来る女の子”でしかなかった。
涙を堪えながら廊下を行く。喉の奥が焼けるように痛い。

「マスタングさん、絶対ビターが良いと思って!」

「馬鹿ねえ。ここではマスタング大佐でしょ」

黄色い笑い声。可愛く巻かれたリボンが視界の淵で俺を嘲笑った。
女としての俺は冷たい風に無残にも散る。花開く日なんてくるんだろうか。蕾は確かにここにあるのに…分厚いチョコレートの壁が押し潰さんと言わんばかりに倒れかかった。



「こんな所来ても意味ねーのに」

もう報告書も出したし、帰る前に手洗い行っただけだったのに戻ってきてしまった。
誰もいない執務室。少し開いた窓から吹き込む風にデスクの上の紙束が揺れる。
奴の匂いがする椅子に座って、王様みたいに両腕を掛けて見渡してみた。右端に追おいやられた汚い文字の紙切れと、中央に堂々と輝く色鮮やかな箱たち。二つの間には彼がいつも使う万年筆がしっかりと境界線を引いていた。

「…ふ、……」

ぐずぐずぐずぐずと馬鹿が泣き出した。
誰かに抱きしめられてる感覚を味わいたくて、身を縮めて自分を抱きしめた。でも右手の冷たさは誰の物でもなくて、錯覚なんか起きやしない。帰らなきゃ。
外の乾いた空気に当たれば情けない雫も止まるだろう。立ち上がって扉へと歩いた。ノブに手を置く。捻り、押した。

「わっ」

声を上げたのはどっちだっただろう。ぶつかった相手は小箱を三つ手に持っていた。四角いメッセージカードには丸い可愛らしい文字で“マスタングさんへ”
上を見れなかった。視線が動かなかった。彼も立ったまま動かない。いや、動けないんだろうな。突っ立ってる俺が邪魔で。

「ごめん…、帰るから」

「待ちなさい」

空いている左手で、行こうとした俺の左腕――二の腕を掴まれた。食い込む大佐の指。そこは鼓動加速のスイッチだった。

「何?」

心臓がひっくり返りそう。

「これ持って」

無理矢理押し付けるようにチョコレートを渡してきた。そして訳が解らない内にズボンのポケットに手を突っ込まれた。どうやらここも鼓動加速スイッチらしい。

「それをあげるから、これを貰えないかな」

まさか。
恐る恐る顔を上げると、チラチラと大佐の手で揺らされている俺の…俺のチョコがあった。
全身のスイッチがonになる。一つ箱が落ちてしまった。でも身体が固まってしまって拾えない。
いつだ。いつばれたんだ。こんなこっ恥ずかしいことアルにも言ってないのに。こんなみっともないこと。女の子みたいなこと。

「ん?私にじゃなかったのか」

「ち、違う!それはあんたに…」

はっとしたときはもう遅い。にやにやした顔が俺を見下ろす。

男のふりをすると決めたくせに、ちゃっかりポケットに甘い匂いを潜めてた俺。大佐に見抜かれて初めて自覚した。

(気持ち悪い)

誰だってそう思うに違いない。勿論この男も。性別不透明な奴の恋を面白がってるんだ。

「…ぅ、うぁああん!」

「は、鋼の?」

こうなったら泣きじゃくってやる。声が潰れるぐらいまで泣きじゃくって、そして女を捨ててやるんだ。
今までは男の格好をしてるのが嫌だった。でももう自分が本当は女であること自体が恥ずかしくなってきてる。
残りのチョコレートも足元に捨てて、両手で顔を覆って泣いた。焦る大佐。まるでレストランで大声を上げる子供を周りの視線を気にしながら黙らせようと必死な大人のよう。様見ろ。これでもかってぐらい困らせて、嫌われてやるんだ。

そう上手くはいかなかった。
大佐は俺を執務室へと押し戻した。後ろ手にドアの鍵も閉め、ソファーへと手を引っ張る。肩を掴み俺を座らせると、力付くで手を顔から引っぺがした。

「いっ」

痛かった。

「何すんだよ!」

「それはこっちの台詞だ!あそこまで泣くこと無いだろう。何を考えて…」

「何考えてるかって?あんただよ!いっつもいっつもあんたの事ばっか!考えちゃ…好きになっちゃいけないのに、っのに…」

喉がヒリヒリ締め付けられるようで、もうでかい声を上げるどころじゃなかった。今度は聞き苦しい鳴咽が漏れぬように唇を噛み締める。嗚呼。

(どうして俺は女なんだよ…)

「女の子の涙だ」

「え…?」

優しい手の平がびしょびしょの頬を包んだ。下から見上げるようにしゃがんで、黒いガラス玉に俺を映し出す。眉は少し困ったように。唇は呆れたように。

「君は女の子だ。なあエーデルワイス?」

そんな確認を取るような言い方にホッとして、つい頷いてしまった。今の俺は心も体も操り人形みたい。考える前に動く。
そして、大佐は俺の意識を素っ裸にしてしまう。無防備にナチュラルに唇は開いた。

「俺、大佐が好きだ」

私もだよ、と動く大佐の唇が近付いた。


―――――


「なあ」

「ん?」

膝の上の彼女が言う。「何で分かったの?チョコ持ってるって」
私は金の前髪を弄りながら答えた。

「君が来たとき直ぐ分かったよ。妙にポケットを気にしてたね」

「え!嘘」

勢い良く顔を上げた。背中と頭を撫でながら、胸に顔を戻させる。この体勢が落ち着くのだ。

「本当。溶けると思って心配したんだろう?ストーブ点けてたからね」

「うん…」

「ふふ。知ってるかい?バレンタインはチョコレートが溶けないよう配慮して2月にあるんだよ」

「そうなの?」

「さあね」

「んだよそれ!」








2010.0214 ちくわ/リポウズ

リゼ