優しい嘘

−嘘じゃないのに嘘となってしまった"彼"の存在−

弟は本当にいい弟で、俺の調子が悪い時真っ先に気が付いてくれて、休め、とベットに放り込んでは温かいココアを入れてくれる。

今日だってそうだった。
五年前の今日を思い出すとついこの扉を開けたら帰れるんじゃないかって変な妄想をして、やっぱり妄想は妄想でしかなくて。
少し遅い足並みで市場に向かってみればまたあいつと歩いたあの商店街の残像が頭を過ぎって、逃げる様に引き返した。

戻ってみれば案の定、林檎の入った袋を抱えたアルフォンスが驚いた顔で「どうしたの」と迫ってくる。「何でもない」と言った所で弟のお節介を避けられるわけでもなく、やっぱりベットに沈められた。

「…大丈夫?」

「だから大丈夫だって」

窓際で立って風を受けている弟は、心配そうな顔をしている。当たり前か。俺がこんなに弱いんだもん。心配するよな。本当にお前は優しいよ。あの頃とちっとも変わってな…

「、駄目だ…」

「どうしたの?」

忘れられない。"あの頃"が。ここよりももっと色鮮やかだったあの世界が。忘れられない。忘れたいのに。

「後ろが、怖い」

「…僕もだよ」

その言葉に顔を上げた。茶色の床に視線を下げ、うっすらと口を開けて溜息を一つ零している。いつも元気な弟が、久しぶりに俺の前で弱った所を見せた。

「ごめん…」

「兄さんが謝らないでよ…誰も悪くないんだから」

「…ああ」

俺は失うばっかりだ。大切な弟の身体を無くすし、大切な人もたくさん失った。あいつの隣にいる事実さえ失った。失ったなら、代わりに何かを手に入れられたはずだ、とそれを探してみるも、なかなか見つけられない。焦る気持ちが、逆に俺を動けなくする。思い出が手足に絡み付く。振りほどくことが、俺にはできない。

「いんじゃないかな」

「え…?」

「忘れなくても。大佐だって、忘れられたくないはずだよ」

「…そんなこと、分かんねぇし…」

「兄さんは恋人でしょ?」

四文字の甘い単語が脳を揺さ振った。俺はもうあいつにとってそんな存在ではないかもしれない。ああもう、また五年前を思い出す。

「遠距離すぎるだろ」

「ははは、そうだね」



あの晴れた昼、急いで帰ってきた俺にあいつは『別れよう』と言ってきた。俺はその時馬鹿で、あいつが悪戯でやったことだとも思えず、鞄を落として来た廊下を走って逃げた。
もしあれが本当だったなら、俺は酷く自分勝手だったのかもしれない。
後から追ってきたあいつの言葉を待つ間もなく俺は『別れたくない!』と叫んだのだから。驚いたようにあいつは目の色を変えて、一瞬小さく微笑んだかと思えば、ぎゅっと抱きしめられた。『エイプリルフール』と耳元で優しく囁かれ、泣きべその顔を上げると『少しやり過ぎた』とあいつは舌を出すように笑っていた。



「もう、あんなに遠いなんてな…」

「だから忘れちゃだめだよ。大佐が泣いちゃう」

「あいつは根っからの無能だからな」

「あ、またそんな事言う…もしかしたら、あっちは今雨かもね」

「だといんだがな」

違う空の下で生きる俺達の関係は、もうあの頃とは変わってしまったのかもしれない。でももし、一つだけ欲張ってもいいならば、俺はあいつの『愛してる』を独り占めしていたい。いつまでも。

「あっ!」

「どうした?」

「あ、あれ大佐じゃ…っ」

「嘘はいらない」

そう。嘘はいらない。二人で想像した理想の未来ももう来ない。それでもいい。暖かい日差しのような想い出があるのだから。お互いを思う気持ちを伝えて、抱きしめ合って、キスをして、少し痛かったこともあったけど、嬉しかった。

「でも本当に…」

「アル」

そうだ、忘れちゃいけないんだ。忘れないように。でもそこに逃げないように、程よく心に焼き付ける。

「ありがとうな」

大好きなあいつが、いつまでも俺を恋人としていてくれるように、強く生きたい。エイプリルフールの風は、あの日と同じ、冷たい春の匂いだった。



――――――

初、ミュンヘンだったと思うのですが、どうでしょう(何が
アルみたいな弟が欲しいなと思いながら書いてました。

もちろん。アメストリスは雨です。(オイ

では、ありがとうございました´`*


サブタイからしてアルが見た大佐はおそらく…
リゼ