※始め少しグロいかもしれません。
真っ暗な闇の中で、狼達の飢えた聲が轟く。
私は必死に針金のフェンスに身を乗り出して落ちゆく彼の身体を、腕を、一生懸命掴んだ。
それでも奴らは高く跳び上がり、彼の左足に噛り付く。指が無くなり、甲が無くなり、向こう脛近くまでが喰われていた。その様子が、ピンポイントで視界に焼き付く。赤い血が、奴らの口を染めていた。
泣きわめく彼の顔に、心臓がえぐられそうだ。胸に鋭い爪のような針金が刺さるのを堪えながら、ただひたすらその幼い身体を引き上げようと試みる。しかし、これ以上はどうしても力が入らず、自分自身も引きずり込まれそうになる。胸が焼けるように痛い。だんだん傷が深く広くなっていく。流れた血が白い頬に垂れる。彼の顔が歪んだ。
もう、はなして。
彼は左腕を振りほどいた。何を考えているんだ。私は両の腕で鋼の右手を引っ張った。
はなすものか。
すると彼は優しく笑った。短く小さく私に謝り、左手で鋼の右手の根本を外す。目を見開いて、ちいさな身体が狼に引きちぎられながら闇に飲み込まれていくのを見つめた。叫んだのだが、自分の声しか聞こえない。フェンスにしがみついてもう一度声を張り上げた。分かったのは、手の平と頬にワイヤーが引っ掛かったということと、狼は鋼を食べないということだけだった。
「――ロイ?ねぇ、ロイ?」
溶けるように目を開ける。そこには、朝日を浴びた綺麗な金と、心配そうに覗き込むエドワードの顔があった。
「は、がねの…」
「どうしたの。ずっと泣いてたよ…?」
その言葉に自分の目に手を運んでみた。指が濡れた。彼の言うとおり、私は泣いていたみたいだ。
「…?」
大丈夫?、と瞳が問う。ゆっくりと頭がさえてきた。ああそうだ。あんな恐ろしい夢を見たから…。
嗚呼、と息をもらし、彼の身体を抱き寄せる。
「わっ」
腕の中にすっぽりとおさまる温もりに安心して、もう一度ため息をついた。今度のは何だか少し揺れていたように感じる。どうやらかなり怖かったみたいだ。自分の事なのに、現実に帰った瞬間、夢が他人事のように思えた。今はただ子供体温にしがみつく。
「…苦しい」
「すまないね…あと、一分…いや、五分」
「しかたないなぁ。……よしよし」
頭を撫でられる。もう二度とあんな狼達には会いたくないと思い、次の夢は、きっと明るくて楽しい夢であることを願った。
―――――
「はあ?狼?」
「ああ」
二人揃って二度寝したせいでもうすっかり昼だ。今焼かれているのは朝昼兼用のパン。十一時半という微妙な時間に起きてしまったのだから仕方ない。
彼は昨日私が羽織らせたシャツ一枚でコーヒーを入れる。私は起きたまんまの下着とズボンの上にラフなTシャツを着て新聞を読みながらそれを待った。
いい香りのするマグカップを二つ気をつけながら運ぶエドワードに夢の内容をさらっと簡単に教えると、疑うように、そして確かめるように夢の中で彼を襲った奴の名前を吐き出した。
ずっ、と音をたてながらブラックを啜る。いつもと変わらぬ味がした。
「馬鹿だなあ。俺が狼ごときにやられる訳ねえだろ?」
向かいに座り、焼きたてのパンにバターを塗って頬張る彼は笑いながらそう言う。でも実際その恐ろしい夢の中で戦った私からしてみれば、それはあまりいただけなくて、
「確かにそうだな。じゃあ、もし自分のせいで私も死にそうなら、君はどうする?」
と聞いてみた。さて、どんな答えが返ってくるだろうか。
「そんなの、考えない」
つーか考えたくない。と下を俯いてしまった。
「エド?」
「俺も大佐も、死ぬところは考えたくないよ。なんか…本当になりそうで怖い、からさ」
どこか悲しい顔をしていたエドワードに言葉が詰まった。でも罪悪感よりも、恐怖のほうが募る。『正夢』というワードが浮かんだのだ。
もしあのような事が現実で起きたら。
駄目だ考えられない。考えたくない。
同じ思いにやっと今罪悪感に気が付いた。
「…すまない。そうだな。君ならどんな事が起きたって意地でも生き残るだろうね」
「だろ!」
笑顔が戻る。それは私の心に残っていた恐れを少し和らげてくれた。この笑顔はいつまでも傍にあるのだと、自惚れてしまうが仕方ない。今の私はそれに縋って生きているから。
「もう昼だが、久しぶりに買い物にでも行くか」
「行く!今日はハンバーグが食べたい」
「分かったよ。じゃあ最後に材料を買って帰ろう」
「うん」
彼が再び旅立つまでの最後の日曜日を、思い切り楽しむことにした。
この街に、狼などいないのだから。
―――――
エドが狼に喰われるシーンはとある映画をお手本にしました。人狼という映画なのですが、涙がボロボロ出てきてしまい、TSUTAYAさんに返しに行った後も頭から離れず…。
オススメの一本です。