もしも鋼の世界にこたつがあったら。

――――――




(ああ、居る居る)

煌々と、部屋に明かりがついているのが確認できた。二階の部屋まで電気がついているのは何故かは分からないが、誰かが帰宅を待ってくれているという事実に懐かしい暖かさを感じた。
もしやと思って玄関の取っ手を回してみたが、さすがに人の家の玄関の鍵を開けっ放しにはしていないようで、ポケットから鍵を取り出して中に入った。
無造作に脱ぎ捨てられたブーツ。それを揃えてやりながら「ただいま。鋼のー?」と呼んでみる。しかし返事はない。
リビングを見渡してみたが、こたつの上の報告書しか見当たらず、二階の電気もついていたのを思いだして寝ているのかもしれないと考えた。それならこの報告書を読んでから起こしに行こう。汽車に揺られて疲れきった子供の睡眠の邪魔には極力なりたくない。

「ふ、汚い字だなあ」

最後の方の字なんか、潰れて何を書いているのか分からない。極度の眠気の中で一生懸命書いている様子が容易に想像できた。何度も首をかくん、と折っては目を擦っている。
寝室で深い眠りに落ちている健やかな少年を思いながらこたつに足を――

「うっ」

「え」

足を、突っ込んで、しまった。
慌てて布団をめくる。そこには腹を押さえるようにして丸く縮こまった鋼のがいた。
どうやら蹴った所が悪かったようだ。小さく唸りながら両手で腹部を摩っている。
取りあえずこたつから引き出そうと手を伸ばして彼の頭の下に左手を、膝の裏に右手を差し込ませてぐい、と引き寄せた。

「鋼の、大丈夫か?」

顔色を窺おうと試みるが、うずくまってしまって無理だった。

「すまない。まさかこんな所にいるとは思わなくて」

彼の手の上からただお腹を撫でてやるしかない。

「……たいさ…」

「ん?何だ?」

寝起きだからか――私が蹴り起こしてしまったのだが――少し掠れた声で力無く呼ばれた。聞き逃さないように耳を近付けて次の言葉を待つ。きっと怒っているんだろうな。と申し訳ない気持ちで一杯だった私は彼の言葉に拍子抜けしてしまった。

「おかえり…」

「えっ……あ、ただいま…」

おかしいな。「おかえり」も「ただいま」もそんな驚くような恥ずかしい言葉だったかな。

「お腹大丈夫か?」

「痛い」

これだけは即答。

「そ、そうか…すまなかった」

「でも」

ゆっくりと鋼は頭を上げた。

「もう平気」

これがこの日私が初めて見た彼の顔だった。眠気を帯びた瞳と柔らかい笑みが生み出す表情に、意識が強く揺さぶられた。もしこれが罠だとしても、躊躇いもなく抱きしめに行くだろう。
そんな馬鹿な考えがばれないように微笑みながら

「…そうか…良かった」

と返事をした。
私に抱かれるような形になっていた彼は起き上がろうとしていたので、背中を支えて座る手伝いをしてやった。

「読んだ?これ」

横に座った彼は報告書を指差しながらそう言った。

「いや、まだだ」

頭を振って答え、「これから読むよ」と付け足す。

「早くしろよなー。あ、そうそう。この報告書だけだとちょっと不十分なんだけど…」

鋼のはこたつ机に伏せながら並んだ文字を目で追い言った。

「個人的な感想。文じゃ上手く書けないし、お偉いさん方に読まれたら面倒だから、大佐にだけ」

「分かった。それじゃあこの小さな町で何を見て何を思ったか。教えてもらおうかな」

軍服の上着を脱ぎ、シャツの上を緩めて彼の話を落ち着いて丁重に聞ける準備をした。


―――――


「なるほど。税か」

「うん。ここからは俺じゃどうしようもないから、頼むよ」

彼の話はよく分かった。勝手な考え方と鋼のは言っていたが正論だと思う。私とて、武力や権力だけで解決しようとしている中央軍のやり方には納得いかない。弱い立場の者を守るのが在るべき軍の姿なのだ。これは今回の南の話に限らない。

「分かった。ありがとう。この話は会議の時に私から……鋼の?」

健やかな寝息が聞こえてきて、見てみると口をうっすらと開けたあどけない顔で机に突っ伏して眠ってしまっていた。まあ無理もないだろう。もともと寝ていたところを起こされた上、一時間報告をしてくれたんだ。後の処理は私一人でやろう。上官共に彼の意見を通用させる為の対策も練らなければな。

「しかし風邪をひかれたら困るな」

一先ず彼を寝室へ移動させる事にした。首の後ろに腕を用意しておいて、身体をゆっくり後へ倒し、頭を右腕で支えてながら両膝を左腕に掛けた。起こさないように静かに立ち上がる。機械鎧のせいか、体のサイズの割には少し重たかった。
そのまま所謂お姫様抱っこというやつで階段を上がった。寝室に着いてみると電気がついていた。ドアも開けっ放しだ。

(何をしてたんだ?)

別にそれといってプライベートな事が隠してある訳でもない。だから鋼のがここで何をしていたのか突き止める気はなかった。明日起きたら聞いてみよう。そう軽く締め括り彼をベットへ降ろした。寝返り一つせずにシーツに沈んでいった彼に布団を掛け、少し寝顔を眺めてみる。睫毛まで綺麗な金色を再確認。いつもの強い眼が閉じられているからか、淡くはかないものに思えた。それでいて繊細な気品を漂わせている。

「おやすみ」

ドアの直ぐ横のスイッチで部屋の電気を消して寝室を後にした。


―――――


一時間後、控え目な音を立ててドアが開いた。どうやら目が覚めてしまったらしい。覚束ない足取りで目を擦りながら歩み寄ってきた。

「まだやってんの……」

「ああ」

こたつに私と向かい合わせに入って机に頬を乗せる。瞼は重力に負けて閉じられていた。
まだ眠いなら上で寝てくれればいいのに。

「さっきね」

「ん?」

緩慢としたぼやけた口調。ペンの走る音で聞き逃さないように手を止めた。本人はちゃんと喋っているつもりなんだろうが、聞いている側としては寝言にしか聞こえない。それでも、彼のこういう――子供らしくて素直な――時の言葉は大切にしたくて耳を傾けた。

「大佐と、キス、する夢見た」

恥ずかしい告白は夢なのに、よく分からないリアルを感じた。
嬉しくて、先程彼が見た、彼の唇に私のそれが重なる様がどんなだったか、頭の中で次第にその輪郭がはっきりしていった。想像せずにはいられない。

「どうだった?」

普段のキスの後でもたまに言う台詞だ。でもいつものわざと確認するという意味ではなく、本当にどうだったのか知りたい。もしかしたらその答には彼の理想が描かれているのかもしれない。馬鹿な好奇心だ。

「短くて……それだけ」

「それだけ…?」

「うん…だけ…」

そのままどんな風に返せばいいのか、必要な言葉を探している内にエドワードは本寝入りしてしまっていた。仕事が一通り終わって、彼を連れて上がろうとしたが、また下りて来られては意味がないと思い、肩掛けを一枚掛けてやり、書類を片付けて一人寝室に上がった。

彼の夢の中の自分と関わりたくないと思った。本物とは全く違う雰囲気を纏っていたんだろうかと勝手に想像しては苛立ちを覚えた。それに人の心像に入り込むなんてことは出来ない。

明日、起きたら取りあえずキスをしよう。
それだけ心に残して眠りについた。


―――――


空気の冷たさに目を覚ますと、まずは天井が目に入った。朝が来たのを頭で思うと、次に身体を覆う圧力に気が付いた。起き上がったらそれは滑り落ちてしまいそうで、代わりに手でそれを確認した。右手が触れたのは絹のような髪。一束掬い持ち上げてみると朝日でより一層輝く蜂蜜色だった。寝ぼけた頭もようやくすっきりしてきて、彼の髪を撫でながら目を覚ますのを待った。腹部から伝わる彼の呼吸。つい息を潜めて感じていたくなる。

ここに居るという事は、また鋼のは一階から上がってきたということだ。何故こたつと寝室を何回も行き来するようなことを…。まるで――

(…ああ、そうか)

自己中心的な解釈に過ぎなかったが、そう思うと嬉しくて、自分の上に乗っかっている少年を思いきり抱きしめた。両足も使って彼を閉じ込める。

「んぅっ…」

小さく漏れた声は少し苦しそうだったが気にしないことにした。これでもかというぐらいきつい抱擁を喰らわせてやる。君が可愛すぎるのが悪いんだ、というのを理由に。

「…っん…く、苦しいたい、さ」

起きたって関係ない。逃げようとする彼を腕の中に押し込んだまま上下反対になった。私が彼を押し潰すような感じに。

「んーうー!」

彼にとっては酷い目覚めかもしれんが、これが楽しい。何とか抜け出そうと手足はじたばた暴れるのだか、ベットの上を泳ぐだけで意味がない。このままだと本当に潰してしまうかもしれないな。まあ元はといえば昨日彼があんな可愛い事をしたからだ。だからこれはちょっとしたお返しだ。

「も…む、りっ」

どうやら降参らしい。少し名残惜しいが彼を解放すべく、腕を立てて上半身を起こした。酸素を忙しく取り込みながら睨みをきらしてくる。

「可愛いなあ」

「何が!」

「まるで猫みたいだ。家の中で、私の後を追ってくる。可愛いよ」

鋼のは顔を真っ赤にして決まりが悪そうに俯いた。図星らしい。やっぱり可愛い彼をもう一度抱きしめた。小さく唸り身体を捻って抜け出そうとするが、それは無意味な抵抗。

「べつにそんなつもり無かったし…」

諦めた鋼のはぽつぽつと話し始めた。

「嘘言うな。思いきりついて来てたぞ」

「あんたが寝てくれねーからじゃん!」

「なんだ、一緒に寝たかったのか」

「そうじゃなくて!」

「ああ、そうだ鋼の」

ふと思い出してキスをした。軽く触れるだけの朝を告げるような、少し唇を挟むだけのキス。
再び顔を真っ赤にして視線をキョロキョロと動かしながら「なんだよ、ったく…」と呟いている。まるで昨日の彼とは別人のようだ。

思い出したことと言えば、もう一つあった。

「どうしてここの電気が点いていたんだ?」

「それは…小さい頃、よく母さんが明かりを点けて待っててくれてたから、だからまあ、なんとなくやってみただけ」

「なるほどね」

自分がしてもらって嬉しかったことは人にもしてあげる、彼の優しさだ。
帰ってきた時懐かしい暖かさを確かに感じた。

「で、」

真下にいる彼にもう一度問う。返答が得られる確信が、もしかしたらあったのかもしれない。

「私の後を追ってきたのは、何故?」

私の両手に顔を挟まれるようにして、脚も私の両足に絡められ、逃げられないと思った彼はどうやら勘弁したらしく

「寝たときはちゃんといたくせに、起きたらいないからだよ。バーカ」

と答えた。




――――――

いつの間にか冬が終わろうとしていた(^P^)/

体勢や動作を文章にする練習をしなければいけないかもしれない。

タイトルは辞書をいじってたら出てきた言葉を拝借しました。

リゼ