necessitas 2 《必要》
side 赤司


今になれば、どういう脈絡でその話になったのか思い出せない。
それはオレがキャプテンになった頃のことだ。

「えー?赤ちんって、いったいいつ寝てるのー?」
「別に今のままでも不都合はないよ。きちんと休息はとっているし、問題はない」
「それは、そうだけどさー」
「ほら、手が止まっているぞ?」
その日は部活が午前中のミーティングだけで終わって、オレは敦と一緒に部室で課題を片付けていた。

陽射しが心地いい。
部屋の中は静かで少し暗いのに、外は暴力的なまでに明るい。まるで、窓を隔てて別々の世界が存在しているようだ。


「ねー、赤ちん…」
敦の不満そうな声にその言葉の先が聞こえた気がして、僅かに眉を動かした。ため息が漏れそうなのをギリギリの所で堪え、目線だけを敦に向けた。

正確には、全く眠らないというわけではない…極端に睡眠時間が短いだけだ。


この話になれば、お前がそんな顔をするだろうことは分かっていた。だから、ずっと隠してきたのだ。

ただでさえ、今日のミーティングの内容のせいで敦は不機嫌なのに。
自分の迂闊にイライラする。



知らたくなかった。
気付かれたくなかった。

そこまで思って、本格的にイライラしてきた。


「…敦。課題をやるんだ。それが終わればお菓子を食べていい」
半ば無理矢理に平静な声を出して告げると、会話は終わりだというように目をノートに戻しペンを走らせる。



ため息が聞こえてきて、少しすると敦が問題を解く音が聞こえる。
顔を上げなくてもわかる。お前が今、どんな顔をしているのか…。


イライラは膨れるばかりで気分が悪い。


お前がその顔をする度に、せっかく必死に静めたオレの内側の世界が…さざ波が起きたように掻き混ぜられる。
お前はいとも簡単に入ってくる。足音はたてない。でもまるで子供のように土足で入ってきて、足跡を残していく。


敦のことは好きだけど、そういうところは嫌いだよ。
そんなことをする敦は嫌いだ。
オレの内側の世界を、そんなに呆気なく波だたせる敦が嫌いだ。
ホント、イライラする。




課題を終え教科書を閉じる。敦のペンがまだ止まっていないのに気付いて鞄から本を取り出した。

目は本の文字を追いながらも、敦の全てを意識してしまう。


課題を終え敦がペンを置く。立ち上がる。こちらを見ないまま。
応接セットのソファーに座ると、すぐにテーブルの上のお菓子に手を伸ばした。
それなのに…つい今朝、食感がなかなかのヒットで最近のお気に入りだと言っていたお菓子を掴みながら、まるで開けようとしない。
ただ、手のひらの中で弄ぶ。

子供は残酷だ。
夢中になるのも速いが、飽きるのも速い。


視線がこちらを向く。

まただ。
お前がどんな顔をしているのか、見なくても分かるから。
オレの世界は呆気なく、乱されて、波がたつ。
本当に呆気なく。

敦はただ、オレに視線を投げてきただけなのに。
ただ、それだけなのに。


例え俺が同じように視線を投げ掛けても、どんな言葉を投げ掛けても。
敦の世界は、変わらないままだろう?真っ直ぐにただ、オレを見ているだけ。


お前が今、そんな風にお前の中の世界を不機嫌に乱している理由なんて、手に取るように分かるよ。
オレが思い通りにならないからだろう?心配なのに、思い通りに心配させてもらえないからだろう?

子供は残酷だ。
思い通りにならなければ、簡単に飽きてしまう。お気に入りだったお菓子に、簡単に飽きるように。



突然、お菓子をテーブルに放り投げた。
あぁ、やっぱりもう飽きたのか…。敦が立ち上がったと思えば、読んでいた本を取り上げられ腕を掴まれた。
「敦っ?!」
予想外の行動に思わず声をあげるが、構わずに無理やり引かれる。脚の間に座らされると本を押し付けられ、片腕で抱き締められた。いったい何のつもりなのかと考えるよりも早く、敦はお菓子を開けて口に放り込んだ。

「敦……いったい何なんだ?言いたい事があるなら、言えばいいだろう」
「……」
少し語気を強めるが、不機嫌な空気を纏う敦は無視を決め込んだのか視線すら寄越すことなくお菓子を食べ続けている。


こうなった敦は本当に、まるで子供だ。

厳しい声で押さえ込み、無理矢理離れることは可能だろうが、子供のようになった敦相手では無意味に思えてくる。
何より、敦相手にそんなことはしたくない。

腕の中で小さくため息を零すと大人しく続きを読み始める。
部屋にはページをめくる音と、お菓子を噛み締める小さな音だけが響く。



ふと気付く。
敦の、少しのんびりした鼓動。温かな腕。
不機嫌に歪んでいた敦の世界が、オレと触れ合った所から静かで穏やかなものへと凪いでいく。

その世界が、穏やかでとても静謐なものへと落ち着いていく。
例え敦がオレに飽きたとしても、オレと触れ合うことで敦の世界が凪いで、落ち着いていくのなら…。
敦の世界に必要なものに、オレはなれるだろうか。

そして、例えオレの世界が波に溺れてしまっても…敦の静かな世界でなら、穏やかにいられるだろうか。


敦だから、敦なら。
オレの世界は呆気なく波だつ。オレの世界はゆっくりと静まっていく。



知らぬうちに、本がするりと手から落ちた。



「赤ちん…?」

いつもより、更に躊躇いがちに、こちらを伺うように敦がオレを呼ぶ声を…オレは穏やかな世界の中で聞いた。


敦には、俺が必要。
それだけで、俺の世界は満たされていく。

敦の世界が、歪んでしまわないように。誰かが壊してしまわないように。


例え歪んでも、静けさが戻ってきますように。
オレが、戻してあげられますように。


少しだけ抱き締める腕の力が強くなる。

大丈夫。
心配いらない。


敦の世界はオレが守るから。
この穏やかな世界は、ちゃんと守るから。





.....end

→紫赤。帝光5/4記念日話です。
赤ちんバージョンです。

私の中の赤ちんは、どうしてもこうなってしまう…。

むっくんは聡いです。我が儘で優しい。
赤ちんは綺麗です。思慮深くて優しい。
二人とも大好きです。


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ラテン語で「必要」
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