cantus 《歌》
空が暗くなったと思ったら、次の瞬間にはバラバラと土砂降りが降り始めた。

公園のストバスコートで1 on 1をしていた俺たちは、慌てて荷物を掻き集めて駆け出した。
目指したのは公園の奥にある、倉庫みたいな小さな建物。とりあえず屋根の下へと飛び込む。


「うわーっ、やばいっス!あっという間にびしょ濡れっスねー」
鞄を抱えながら、何が楽しいのかキャーッとはじゃぐ黄瀬の髪は、シャワーの後のように水滴が光っていた。それを、まるで犬が身を震わせるようにフルフルと頭を振るから、キラキラと綺麗な光の粒が黄瀬の周りに散らばった。

「ゴラァ、黄瀬っ!冷てーだろーが!」

何気ない仕草を綺麗だと思ったことを何とか誤魔化そうと、不機嫌な声で言いながら地面に置いた鞄から新しいタオルを出して黄瀬の頭にかけてやる。
癖がなくて、こいつの性格そのものの様に真っ直ぐな髪を傷付けないように、出来るだけ優しくぐしゃぐしゃと拭いてやる。

「もー、青峰っち…くすぐったいっスよー」
「うるせー。ちゃんと拭かねーと風邪ひくぞ」
「…はいっス」

ちゃんと面倒臭そうに、不機嫌な言い方をしたはずなのに、黄瀬はくすぐったそうに肩をすくませクスクスと笑っている。

その笑い声に、また胸がキュンとする。
喉が詰まって、上手く息が出来ない。なんだよ、恋って面倒くせーな。


タオルを引っ込めると、乾いたことを確かめる為にくしゃりと髪を撫でる。
こんな理由がないと触ることが出来ないことがもどかしい。

いっそこの気持ちを、ぶちまけてしまおうか。
そしたら、もうお前に触れる為の理由がいらなくなる。



何となく会話が途切れて、止まない土砂降りを、倉庫の軒下から二人で並んで見上げる。

ふいに、細い音楽が、俺の鼓膜を震わせた。

それは聞いたことがないメロディ。たぶん英語だと思うけど、初めて聞く歌だった。



それは今にも消えそうなほど、小さく優しい歌声。
黄瀬の綺麗な声が紡ぐ優しい歌声。

でも俺には、俺の知らない歌を歌う黄瀬が、俺の知らない奴の名前を呼んでいるように聞こえた。

土砂降りが止むよりも前に、歌が途切れた。
これ以上、黄瀬が俺の知らない奴の名前を呼ぶのが嫌で……俺がその唇をキスで塞いだから。





微睡みの中で、小さく歌う歌声が聞こえた。
重い目蓋を開けると、腕の中で寝ていたはずの恋人が、ベッドの上で膝を抱えていた。薄暗い部屋の中でもわかる、剥き出しの白く綺麗な肌には、つい数時間前に俺が刻んだ跡がいくつも散らばっていた。

そっと腕を伸ばし、後ろから抱き締める。
出来るだけ優しく。誰よりも大切なこいつを甘やかすように。

「……また、その歌…歌ってたのか」
耳にチュッとキスしながら囁くとこちらを向いてへにゃりと笑い、首を傾けて唇へキスしてきた。
「俺にとって、一番大切な歌っスからね……初めてキスした時の思い出の歌だし。この曲は、俺にとってアンタの歌なんスよ」
とろけそうな笑顔で笑うと、甘えるように俺の腕に擦り寄りながら再び歌いだした。


それは数年前にイギリスで流行った歌なのだと、いつだったかこいつが教えてくれた。


抑えきれない想いを抱いて、それでもそれを告げることは許されない。
そんなことをしたら、二人の関係が壊れてしまうから。
だからせめて、ずっと傍にいることを許して欲しい…。


そんな歌詞の、悲しい恋の歌。
それなのにメロディは全く悲しくなく、滑らかだ。

綺麗なこいつの声に、そのメロディが溶けていく。



その歌が終わるよりも前に、メロディが途切れた。
これ以上、誰よりも愛しいこいつが…例え幸せな気持ちで満たされながらだったとしても、悲しい歌を歌うのが嫌で……俺がその唇をキスで塞いだから。



end.....

→青黄

cantus
ラテン語で「歌」
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