ros marinus 2《海の雫》
#青黄 パロディ
#黄瀬くんに女装の表現があります。苦手な方はご遠慮ください。

#直接的ではないですが、戦争に関する記述があります。




音を立てないように気をつけたけど、カタンと小さな音が静まり返った部屋に響いた。

医務室の奥にあるベッド脇の小さな丸椅子に座り、蒼白い顔で眠る黄瀬の顔を見つめる。
赤司くんと話してきます。と言って、テツは部屋を出ていってしまい、ここには俺と黄瀬だけになった。


消毒薬の匂いに満ちた空間は、正直好きじゃない。
昔、人間の五感の中で1番記憶に直結しているのは嗅覚なのだと、赤司が言っていた。確かにそうかもしれない…この匂いは、今でも俺の記憶を揺さ振り、吐きそうになる。



小さな身動ぎの音がして、ぼんやりと黄瀬が目を開けた。
「……よぉ。気分はどうだ?苦しくねーか?」
何と声をかけたらいいかわからず、そんなありきたりな言葉しか出てこない。それならせめてと、優しい声を作るくらいしか出来ない…いつだって、俺は無力だ。

「……」
黄瀬は俺に答えることもなく、再び目を閉じると全てを拒否するかのように僅かに顔を向こう側に背けた。その顔が…あの日見た、小さな子供のものとダブる。世界の矛盾に曝され、なぶられ、そして生きることの意味を見失ってしまった顔…。



「……テツから、お前のこと聞いたよ」
静かにそう言うと、怯えたように細い肩がビクンッと跳ねた。
「テツを責めるな。俺は…聞けて良かったと思ってる」


俺は、2年前まで、戦場カメラマンだったんだよ。

高校の時に運良く写真のコンテストでグランプリを獲って。専門学校で本格的に勉強した後、戦場カメラマンになったんだ。

南米、アフリカ、中東…色々回ったけど、一番滞在期間が長かったのは東欧諸国だった。

長いながい民族紛争。隣人同士の啀み合い。自爆テロ。ゲリラ。裏切り。憎しみ。

俺は別に、正義の味方じゃない。戦争の英雄とか、勇敢な戦士とか、そんなものは幻にしか思えなかった。カメラを向けても、薄っぺらくてつまらなかった。
俺はひたすら、現地の子供たちばかりを撮っていた。カメラと一緒にいつも持っていくバスケットボールで、俺はいつも子供たちと触れ合った。ルールなんて関係ない、バッシュもゴールすらない。ガラスや鉄屑をどけただけの小さな空間で、ドリブルする俺を子供たちが追い掛け回す。たったそれだけなのに、キラキラと楽しそうな笑顔を見せてくれる。

ボールを追い掛けるのが楽しい。
走り回るのが楽しい。

生きているのが楽しい。


その一瞬を、俺は迷うことなく写真に焼き付けるのだ。



でもそれは、本当に一瞬でしかない。
昨日、一緒に笑い合ったばかりの俺の身長の半分にもならないような子供が…次の日には冷たい体で横たわっている。
俺からボールを奪い取り、得意げに胸を張っていた少年が…笑みを忘れた顔で機関銃を手に敵軍に突撃していく。


そんなことが、数え切れないほど続いた。当たり前だ、ここは戦場なのだから。俺は戦場カメラマンなのだから。
自分で選んだ道だ。
自分が決めた道だ。

それでも。
キラキラ輝く笑顔を前にして、明日には消えてしまうのだろうかと怯える日々は…まるで自分の心を殺すようで、どんどんシャッターを切る指が重くなっていった。



「2年前だ、俺はとうとうシャッターを切れなくなった。お前、気付いてたか?俺はRyokoの写真を、1枚も撮ってねーんだよ。風景なら撮れるんだけど…人物は撮れねーんだ」
掌の中にある、黄瀬の写真を見つめる。その笑顔は、戦場のただ中で精一杯に生きている子供たちによく似ていた。

「黄瀬…生きるの、しんどいか?」

静かに言うと、黄色い髪が僅かに震えた。

「俺はしんどいよ。息をするのも、明日のことを考えるのも、シャッターを切るのも、しんどくて重くて辛いんだ」
誰にも話したことがない、俺の本音だった。
「でも…そんなん関係ねーんだよな。命って、そこにあるだけですげーことなんだよ。姿かたちとか、周りとか、使命とか義務とか…そんなん、どーだっていいんじゃねーかな。そのまんま、そこにあるだけでいいんだよ」


手を伸ばし、表情が見えない黄瀬の髪をくしゃりと撫でる。痛んでいるのかと思っていたその黄色い髪は、驚くほど滑らかでサラサラと優しい手触りだった。

「あの日、お前にカメラを向けて…お前の色んな気持ちが見えた。苛立ちとか、不満とか、やるせなさとか、不安とか……生きることの辛さとか。でも、最後の1枚には、お前の素直な気持ちが映せたと、俺は勝手に思ってるよ」
サラサラと梳くように撫でても、黄瀬は嫌がらなかった。

枕元のテーブルに封筒と一緒に写真の束を置いて、立ち上がった。


廊下に出ると、予想通り、ドアの前にはテツと赤司がいた。
たぶん、俺の声は聞こえていただろう。
俺は一度も立ち止まらずに、ビルを出た。


部屋に帰り、ボールと一眼レフだけを持って近所のストバスコートに向かう。
夜風の中に、ボールの跳ねる音がリズム良く溶けていく。

すっと構えて放ったボールは、不快な音を立てることもなくゴールへと吸い込まれていった。



黄瀬。
最初から、気付けば良かった。そうすれば、もう少し違った出会い方を出来たのに。


ベッド脇のテーブルに写真を置くとき、そこにあった袋が目に止まった。
黄瀬を診察した、会社お抱えの医師が処方した薬が入っている白い袋。

そこに印されていた名前。

黄瀬 涼太

あのビルの玄関にかかっている、あの写真のモデルは、お前だったんだな。

顔立ちも、髪の色もまるで違うから気付かなかった。俺はなんて間抜けなんだ、ファインダーを覗いても気付かなかったなんて。



なぁ、涼太。
生きるのはしんどいよ。
苦しくて、辛くて、息をするのもしんどいよ。

でも、俺はお前の、そのままの姿を撮りたいよ。






1ヶ月後。
今度の撮影は、横浜にあるミッション系の学校を1日借りて行われた。

まずは中庭の花園で、制服を模した服で撮るらしい。意外と光の反射が多くて、急いで想定していた機材を変更した。
思いの外準備に手間取り、撮影開始の予定時間をオーバーしてしまう。

でも、その準備が終わっても中庭にRyokoはやって来なかった。
過去2回の撮影の時は、時間を守らなかったり我が儘をいうことはなかったのに。

「どうしたんですかね?具合でも悪いのかな…」
30分以上たっても現れないRyokoに、編集責任者の男が不思議そうに首をひねっている。
とにかく、一度楽屋の様子を見てきます。と言った所で、テツが無表情のままこちらにやってきた。
「すみません、お待たせして…もう少し準備に時間がかかりそうなんです。申し訳ありませんが、あと30分ほど時間をください」
テツは丁寧だが有無を言わせない口調で言い、深々とスタッフに頭を下げた。
「青峰くん、ちょっといいですか?」
俺に近付くと他に聞こえないように小さな声で言うと、花園を出て歩き始めた。向かった先はRyokoのために与えられた楽屋用の部屋だった。

その数メートル手前で立ち止まると、テツは俯いたままギュッと拳を握り締めた。

「青峰くん…黄瀬くんと、話をしてくれませんか?実は…準備はもう出来てるんです。でも、黄瀬くんが笑えないと言ってパニックになってしまって…今日は赤司くんも来ているので、2人で何とか落ち着かせたんですが。もう笑えない、もう出来ないと言って塞ぎ込んでしまって……お願いします、青峰くん」
キュッと唇を噛み締めるテツの姿に、黄瀬がいまどんな様子なのか想像できてしまう。
「……わかった」
ゆっくりと廊下を進み、ドアをノックしてから中へと入る。

部屋の真ん中の椅子に、制服姿のRyokoがうなだれたように小さくなって座っていた。
傍らに立つ赤司は、何度も優しくその背中を撫でていたが、俺に気付くと数秒じっと見た後何も言わずに部屋を出ていった。


黄瀬は俯いたまま、スカートをギュッと両手で握っていた。その表情は、長いエクステのせいで見ることは出来ない。

その肩は震えてはいないけど、俺にははらはらと零れて落ちる涙が、手に取るように見えた。


「……リョータ」
静かな声で、懐かしいその名前を呼ぶ。
黄瀬は1ヶ月前と同じように、ビクンッと大きく肩を震わせた。
「お前だったんだな。全然、気付かなかった…」
「……お、れ……笑っちゃ、駄目なんス。笑っていいのは、Ryokoん時だけで…涼太は、幸せになっちゃ駄目だから。幸せになんのはRyokoだから……だから、Ryokoん時は…笑ってなきゃいけないのに…涼太ん時は、笑っちゃ駄目なのに…」


ギリギリと握り締められた両手は、まるで自分で自分を罰しているかのようだった。ただでさえ白い手が、力を入れすぎて血の気を失っていた。

黄瀬の前に膝を突いて、その手を両手で包んでやる。ビクリと震えたけど、振り払われることはなかった。

「笑わなくていい。幸せにならなくていい。泣いたって構わない。世の中全部を怨んでも、どこの誰を傷付けてもいい」
力を入れすぎて体温すら失せてしまった手を、ギュッと強く握る。
少しでも、俺の体温が移ればいいのにと祈りながら。
「お前はお前のままでいい。そのままで、後はなんもいらねーんだよ」
パタリと黄瀬の手を包む俺の手に、温かな雫が落ちてきた。
「大丈夫だ。俺が全部撮ってやる。どんなお前でも、全部受けとめてやる。なんにも心配しなくていい」
パタパタ。パタパタ。
温かな雫は、土砂降りの夕立のように俺の手を濡らした。


to be continue.....


→青黄 パロディ

もう少しだ!頑張れ、きーちゃん!頑張れ、青峰っち!
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