「いまぞ去れ、悲しみの影よ」




母さんが絵本を買ってくれた。



先日、弟が産まれた。
名前はグレート。

ボクにとって二番目の弟が生まれてからは、母さんはグレートの世話に掛かりっきりでボクや兄さん達は余り構って貰えなくなった。
二人の兄さんは、「放っておいて貰えた方が気楽で良い、清々した」と言っている。
でもボクは、まだそう思えない。
弟が生まれてボクも嬉しいし、新しい弟は可愛いしとても愛しく大切に思う。
でも母さんを取られてしまった様で、少しだけ寂しさを感じていた。

そんなある日、町に買い物に出掛けた母さんがボクと一つ年下の弟に、其々に絵本を買って来てくれたんだ。
グレートは当然ながらまだ言葉は分からないし、兄さん達はもう絵本を読まない。
ボクも最近、魔道書ばかり読んでいるけど、まだ絵本だって読むし大好きだ。
一つ下の弟よりも少しだけ厚い絵本。
パラリと捲ると絵本にしては文字が多く、押し絵がとても綺麗な本。
今日、寝る前に母さんが読んでくれるって!
ボクは、真新しい絵本を胸に抱いて夜を待ち侘びた。

漸く夜になった。
待ち遠しい事があると一日が過ぎる時間が何時もより、やたら長く感じた。
みんなで食卓を囲んでも、母さんを一晩だけど独り占め出来る事が嬉しくて殆どご飯が喉を通らなかった。
ソワソワしているボクを見て、母さんはクスリと笑っていた。
だって嬉しいんだもん!
今日は父さんがグレートの面倒をみるそうだ。
なんでオレがと、ブツブツとボヤいている。
弟達には悪いと思うけど、明日になれば母さんは次の弟に絵本を読む約束をしているし、またグレートのお世話に戻る。
一晩位良いよね…?

晩御飯を食べ終え、兄さんと父さんと一緒にお風呂に入ってから夜が更けると、母さんと共にボクの部屋に向かう。
ボクはワクワクしてベッドに潜り込んだ。
母さんはベッド脇に椅子を持って来きて座ると絵本を開き、澄んだ声で文字を読み綴り出した。
母さんの声が心地良い。
お話の内容はこうだ。
魔女に捕らわれたお姫様を助けるために旅立った王子様の冒険物語。
本好きな自分には在り来たりな内容だったけど母さんは読み聞かせが上手いのでとても楽しい。
何より母さんがボクの為に読んでくれていると言う事が嬉しくて堪らない!

「―王子様は遂にお城を守っていたドラゴンを倒し、お姫様が囚われている塔に登りました。
長い階段を登り扉を開くと、そこに椅子に座ったお姫様がおりました。王子様はお姫様に助けに来ました、と話し掛けました。
でもお姫様は何も言いません。お姫様は魂を盗まれ魔女の操り人形になっていたのです…」

―その言葉を聞いた瞬間、悪寒が走った。

囚われの身…魂を盗まれ…操り人形に―。

『操り人形』

その言葉が、なんだか酷く引っ掛かる…。

その時、頭に黒い人影が浮かんだ。
鋭い目の片方を眼帯で被い、お髭を生やして黒い服を着て帽子を被ったおじさんだった。
その人がボクに話し掛けた。

「お前は儂の操り人形だ。二度とこの死の闇からは逃れられない。お前は儂だけのモノだ…」

その人影が何時の間にか、黒い服を着た背の高いボクに変わっていた。
黒い服のボクは表情一つ変えず手を翳し、魔法を放って沢山の人達を殺していた。

「――うわあああーっ!!」

「リュート!?」

ボクは訳も分からず頭を抱え、母さんにしがみ付いた。
気付けば混乱したままポツリと呟いていた。

「…操り…人形……?」
「え…!?」

母さんの顔色が変わった。
ボクは必死で訴えた。

「ねえ母さん!?ボク分からないけど!よく分からないんだけど!!ボク…昔、人を…殺した…」

ボクは何を言ってるんだろう。
昔を語れる程まだ生きていない。
魔法だって勉強を始めたばかりで大した呪文も使えない。
…でも…今の人影は…光景は…確かに知っている。覚えている。
ボクじゃないボクが人を殺していた。
夢幻と言うには余りに鮮明で生々しい。
分からない…ボクはどうしてしまったんだろう。

怖い……。

何も分からないけど、圧倒的なまでの恐怖と絶望だけは確かに感じる。
まるで魂に刻み込まれたかの様に。

震えるボクを、母さんがそっと優しく抱き締めた。

「リュート…貴方は誰も殺してなんか無いわ。何も悪い事なんてしていないの。だから泣かないで…」

気付かぬうちに泣いていたらしい。頬が濡れていた。
だけどボクは尚も縋る様に訴え続けた。

「でも、母さん…ボクの頭の中で黒い服を着たおじさんがボクは人殺しの操り人形だって言うんだ…!
会った事ない人だけど、確かにボクはその人を知ってるんだ…」
「リュート…それは只の悪い夢よ…忘れてしまいなさい…。
誰よりも優しい貴方がそんな事する訳ないじゃない。だって父さんと母さんの子だもの!」

母さんはそう言うとニッコリと微笑んでボクの頭を撫でた。

悪い夢…本当にそうなのだろうか?

やっぱり分からない。
でも母さんがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
だって母さんは今迄、ボク達に一度だって嘘を言った事は無いのだから。

そう自分に言い聞かせて、母さんの優しくて力強い笑顔を見ていると少し落ち着いてきた。

「ごめんね、母さん…変なこと言って…。もう、大丈夫だよ。…ね、お話の続き、聞かせて!」
「ええ、そうね…これからがクライマックスなんだから寝ちゃダメよ!」

ボクがベットに戻ると、母さんが続きを読んでくれた。
お話は王子様が魔女を倒して、お姫様の呪いを解き二人は何時迄も幸せに暮らしてお終いだった。
ボクは最後の方はウトウトと夢心地で聞いていた。


良かった…お姫様は助かったんだ…幸せになれたんだ……。



ボクは安心して幸せな夢の世界に入っていった。



*********



「…リュート?眠ったの?」

スヤスヤと安定した寝息を立ててリュートは眠っていた。
乾いて白くなった涙の跡をハンカチで優しく拭う。

…まさか覚えていたなんて…。
いや、本の内容に触発されて思い出してしまったのか…。
フルートは本の内容をよく確かめずに選んでしまった事を悔やんだ。
リュートの外見だけでなく、法力と魂の波動を探れば間違いなくお兄ちゃんの生まれ変わりだと分かった。
だから兄と同じ名を付けたのだ。
人生をやり直させる為ではなく、共に新しい人生を歩む為に。
お兄ちゃんは冥法王に捕らわれていた15年間、余程恐ろしい想いをしたのだろう。
生まれ変わっても、その恐怖が魂に染み付いている。
魂を失いながらも一人、魔族に立ち向かい私を守ってくれたお兄ちゃん。
そして守り抜いた私を見届けて、息絶えたお兄ちゃん…。
私はその恩に報いたい。
私達の元を選び生まれて来てくれたのだから。
今度は私が守ってみせる。
今度は私の手で幸せにしてみせる。
リュートだけではない。
他の子供達も、そして大魔王の血を受け継ぎ角を生やして生まれて来たグレートも…みんな必ず幸せにするから。
私の愛するこの世で只一人の夫、ハーメルと共に。



フルートはそっと毛布を掛け直した。





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