花甲祝賀
「そろそろお別れだね」
 美魔女が唐突に言った。
「「え!?」」
 春麗と紫龍の二人が驚きに声を挙げた。ここは中国の五老峰に建てられた小屋である。
 その小屋へ、いつものように薬草の行商に来た女が四方山話のついで、といった様子で言ったのが冒頭の台詞である。小屋が建っている崖の対岸に座している老師も驚いた気配がした。
「六十になったら薬屋を廃業して、残りの人生を好きなように生きると、前から決めていてね」
 六十という言葉に紫龍が反応した。
「六十というと日本では還暦ですよね」
「よく知っているね」
 美魔女が薬草茶をすすり
「日本では働いていた人が、引退する時期でもあるのさ。私もそうさせて貰おうと思ってね」
 と付け加える。
 寝耳に水の出来事に紫龍・春麗・老師の三人は固まった。
          
 その晩の事である。
 美魔女が帰ってから考え込んでいた紫龍が、春麗の作った水餃子を食べながら切り出した。
「美魔女へ還暦のお祝いに赤い褌を贈ろうかと思うのだけれども」
 春麗が思わず箸を止めた。
「老師ならまだしも女性へ下着を?」
 実はこの二人は、老師への誕生日に、赤い褌を贈った事がある。
「里の人から聞いたんだけど、赤い下着を身に付けると若返りの効果が期待できるって」
 紫龍は美魔女が来ると一緒に麓へ降り、薬草の売り方やら何やらを学んでいた。今から思えば美魔女が紫龍へ商売の仕方を教えていたのは自分の引退を見越しての事だったのだろう。
「そう、それならいいわね」
 春麗は頷いた。
          
 そして里で正絹の布を紫龍がお小遣いで購入し、春麗が褌を縫い上げた。
 美魔女が小屋へ商売をしに来る最後の日がやってきた。
 紫龍と春麗が出迎え、飲茶を出し美魔女をもてなした。
「二人とも辛気くさい顔をして。何も死ぬ訳じゃないんだから」
 うって変わって美魔女は朗らかに笑った。
 そして窓の外を見やり
「爺さんも達者でな」
 と声を掛けた。
 老師は編み笠を目深に被り、沈黙したままである。
「ったく相変わらずだね」
 美魔女が苦笑した時に、木扉をノックする音がした。
「「誰?」」
 驚きに紫龍と春麗とが顔を見合わせる。
 五老峰へ美魔女以外の人が訪ねて来るのは初めてであった。
「紹介するわ。これから私と暮らす旦那様よ」
 年の頃は四十代後半であろうか。美魔女より一回り年下に見える。黒々とした癖っ毛をショートカットにし、百八十センチはあろうかという身長に、筋肉質の身体をした美丈夫である。
「初めまして。月桂と申します。今まで玲々がお世話になりまして」
 良く通る美声である。
「「初めまして」」
 春麗と紫龍が挨拶をするが、老師は黙ったままである。
「そうだわ。お祝いがあったわ」
 と春麗が赤いリボンでラッピングされた白い包みを取り出す。
「何かな。開けてもいいかね?」
 美魔女がリボンの紐をほどく。
 中から現れた物を見て老師が再び固まった。
「あら」
 美魔女が目を輝かせた。
「夜の遊びにちょうど良いわ、あなた」
 と月桂を見あげる。
「ああ」
 月桂は満更でもない様子である。
「「夜の遊び??」」
 声を弾ませた紫龍と春麗を、老師が慌てて止めに入る。
「子供は知らなくて良い事じゃ……最後まで余計な事を言いおって」
 すると美魔女はコロコロと笑いながら、旦那の腕に自分の腕を絡ませた。
 「邪魔者は去るよ」
 プレゼントを抱え
「また暇があったら寄らせて貰うよ」
 と言い残し、二人で去って行った。
 その後しばらく老師は落ち込んでいたという。―結―
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