遊興(後編)
「そうだ、鍾会殿。今夜お付き合いいただけませんか?」
「今夜?」
「東までご一緒にいかがだろうか」

東。
ただ単純に街の東、という意味も含まれるが、この都市では多少意味合いが違ってくる。
ここの「東」とは、街の東にある大規模な「歓楽街」と同じ意味で使われていた。

復旧当初、二人は秩序を重んじていた為政をしていたが、復旧のために様々な人間の手を加えていったことで都市は徐々に自由な気風を帯びていった。
あらゆる場所から人が集まり、それぞれの考えで商売を行ったり、都市の復興にたずさわる。この自由な雰囲気に惹かれてやってくる民も多いらしい。
当然、そうなれば人々を刺激するあらゆる娯楽の集まる場所が現れる。
鍾会はいい顔をしなかったが、トウ艾はあえてそういった施設を取り締まりはせず民のするに任せ、その代わりに東の夜間の警備を増強した。
そのためもあってか、歓楽街につきものな治安の悪化や大きな事件などは報告されていない。
そうして、東の歓楽街は都市の中でも面積を大きく占めるようになり、労働をする民にとって、日々の息抜きに欠かせない重要な場所となっていた。

「東ですか!?」
「ええ。ご一緒に・・・」
「だ、だれが、あんなふしだらなところに・・・!」
「以前、鍾会殿は遊興に興味がないわけではない、と言っていなかっただろうか」
「ち、違います、興味があるわけではない、と言ったんですよ!何を人の言葉を真逆に捉えてるんですか」
これだから旧式は、と言う鍾会の全身から、動揺がほとばしっている。
ここまでわかりやすいのも逆に珍しい、と彼の態度について思っていたのはもう昔のことだ。

「せっかくなので、洛陽に帰還する前に、と思ったのだが・・・」
「い、いやですよ。東に行くのは絶対に嫌です」
「なぜだろうか」
遊びごとに抵抗感があるとはいえ、ここまで東行きを拒否するのは不思議だ。
しばらく鍾会はもごもごとまごついていたが、トウ艾の答えを求める視線に推されたのか、小さな声でぽつぽつと語りだした。
「そ、その、東には・・・その・・・そういった店が、あるんでしょう?」
「そういった店、とは・・・?」
断片的な言葉ではまったく予想がつかない。
ただ首をかしげるトウ艾に業をにやしたのか、鍾会が顔を真っ赤にさせながら若干震える声で言った。
「だ、だから、その、お金を渡して、女性といかがわしいことをする、ような・・・」

ああ。
トウ艾は合点した。
そういったことには潔癖な彼のことだ、そのような店があるというだけで、東は足を踏み入れたくない場所なのだろう。

「確かに、そのような店もないことはないが・・・。歓楽街にあるのはそんな店だけではありませんよ」
「そ、そうなんですか」
「たとえば、健全に女性と共に酒を飲んだり・・・」
「わざわざお金を渡して女性と酒を飲むなんて、ぜんぜん健全じゃありませんよ!」
「そうだろうか」
間髪いれずに言われ、さすがにトウ艾もショックを隠せなかった。
「それに、それの一体どこが楽しいのか、庶民の考えは理解できませんね」
「確かに鍾会殿のような若い人には理解できないことかもしれないが・・・自分のような歳になると、若い女性とただ酒を飲んで話すだけでもずいぶん気分転換になるものです」

む。とあからさまに不機嫌になった鍾会を察して、トウ艾はそこで言葉を切った。
これは、速急に本題を切り出したほうがいいかもしれない。

「それに、自分は鍾会殿に差し上げたいものがありまして」
「なんですか、それは」
「筆です」
「ふ、筆?」
なぜ東に筆を、と露骨に怪訝な顔をしている鍾会に、トウ艾は微笑んだ。

「街の東に、西からやってきた商人が出している、しゃれた店があるのです。そこで西涼よりさらに西で作られた筆を売っていたのを以前に見たのです」
「西の筆・・・」
「柄に入った装飾が見事で、書き味もそこらの筆とは比べ物にならないとか。鍾会殿はきっと気に入るかと思ったのですが・・・」
「わ、私に、その筆を?」
「はい。」
副官として苦労をかけた礼の意味だったが、それは口に出さなかった。そんなことを言えば、矜持の高い鍾会はきっと受け取らないだろうから。
「本当ならばこのような恩着せがましいことを言わずに買ったものを差し上げればよいとは思うのですが、せっかくですから鍾会殿の手にあったものを差し上げたいと思いまして」

ふと、トウ艾は異常に気がついた。

鍾会が、空気が足りなくなってしまったかのようにしきりに口をぱくぱくさせている。
ふで、ふで、と言っているように見えたが、声が発せられないので推測するしかない。
「鍾会殿?」
声をかけると、鍾会ははっとしたように身体をびくりと震わせ、娼館のくだりよりもさらに倍ほど顔を真っ赤にさせて言った。
「し、しかたありませんね!そんなにトウ艾殿が東で遊びたいとおっしゃるなら、付き合ってあげないこともないですよ!」
「そうか、それならよかった。では、着替えたら出かけるとしよう。付き合っていただいた帰りには酒をおごらせていただきたい」
「さ、酒は・・・・」
「東の店の中でも、静かで雰囲気のいい店を知っています」
「なら、いいです」

会話をする中で平静さは取り戻したものの、なおも顔の赤さが引かない鍾会がかわいらしく、トウ艾は顔を崩して笑った。

洛陽に帰るまでに、彼との思い出をどれだけ増やせるだろうか。そんなことを思いながら。






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鍾会の副官台詞はいろいろ反則だと思います。
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