夢のお前は最早お前ではなく、黒い瞳を赤に染めて敵意をむき出して俺に襲いかかってきたのである。肉をえぐられ血しぶきが空を舞い、そこまでされても半端な抵抗しか出来ない俺に、お前は笑いながら止めを刺そうとする。明らかな殺意。俺を殺そうとしたお前の目は、お前ではなかった。






「…………」



飛び起きたナルトは、まず己の早鐘のような鼓動の音に驚いた。額を拭うと発汗の跡がぬらぬらと光って存在を主張する。全身びしょ濡れだった。



「…………夢」



起きて尚現実味を帯びて頭の内で映像をまたたかせるその映像は、何度も何度も、鮮明に、かつグロテスクに再生された。あまりに残酷な夢に胃液が込み上げそうになる。
身体は上手く動かず、冷えた汗が背中を伝って下着に染み込むのを、ナルトはただ静かに享受するほかなかった。

(くだらない夢のはずなのに)

震えを止めることが出来ないのは心底ばかばかしいと思わなければならぬのに、しかし妙に焦り不安を感じている自分もいる事実が恐ろしいからである。
震えないわけにはいかなかった。酷くリアルなのだ。夢が。

(重い空気の質感、飛沫の痛さ、水中に埋もれうねる水流、浮遊感、胸を貫く激痛、激痛、激痛、薄れる意識、霞んだ視界にサスケが写る、サスケは笑っている…………。)

しかも自分の予感はいつも悪い方にばかり当たるから、なおのこと放っておけないのだ。











「サスケ」

名前を呼んだのは不安が拭えなかったからであった。顔を見ずに呼んだ。

「なんだよ、裾が伸びるだろ」
「………」

変な奴だな、なんてクスクス笑いながら背中を抱きしめてくる自分の恋人。自分への殺意は全く見受けられない、いつも通りの優しいサスケ。でもやっぱり何か不安で。落ち着かない。

「サスケ」
「ああ」
「お前は、オレのこと好き?」
「嫌いだったらてめぇと同じ部屋になんかいねぇよ」
「……まあ、そうだけど」



(わざわざ遠回しに言わなくてもストレートに好きだと言ってくれたって良いじゃないか)


言い返そうとして、ナルトはふと思いとどまった。彼が憎まれ口を叩くのはいつものことだし、今はそんなことに討論してる場合じゃない。まずはあの夢のことを話さなきゃあならない、気が、した。

「………サスケ」
「なんだよ。さっきから名前ばっか呼んで」
「俺、今日嫌な夢見たんだ」
「へぇ」
「嫌だったってばよ」
「オレから無理矢理野菜食わされる夢か」
「違うよ」
「じゃあ、何だ」

小さいガキをあやすかのように、ナルトの硬い髪の毛を撫でながらサスケは尋ねた。

息を吸い込んで、どうってことないという口調で話しだした。そうでもしないと、口下手な自分が上手く話なんて出来るわけがない。


「…………サスケが、オレから逃げるんだってばよ」
「…………はあ?」
「お前ってば、オレから消えようとするんだ。そしてお前を追いかけてきたオレのこと、殺そうとするんだよ」

口の動きが止まらない。止めたら、どうなるのか分からないし、恐ろしい。

「それがもう、スゲーグロくてさ、オレの胸に穴開いたりとか、お前ホント容赦ねぇの。力いっぱいに殴ってきたりとかな、あり得ねぇってば。そん時のお前、どんな顔してると思う、お前ってばオレを見ながら笑ってるんだよ、怖いよなぁ」
「…………ナルト」

突然肩を掴まれ、無理矢理に顔を向けさせられた。眉間に皺を寄せ、その歪んだ真っ黒い目からオレを射るそれは、傍目には悲しんでいるのか怒っているのか分からない。
だけどナルトは知っている。たしか、これはサスケの心配している表情だ。

「何びびってやがるウスラトンカチ」

そう言ってじぃと見つめられると、ナルトはもう何も反抗ができなくなってしまう。サスケに詰め寄られると、大概のことを白状してしまうのだ。

「び…びびってねぇってばよ」

でも今日だけは、なんだか白状することさえおっかない。なるだけ腹に力を入れて反論した。でもわずかばかりの虚勢はむなしく、結果はサスケの顔が険しくなっただけだった。

「声が震えてんぜ、ビビり君」
「き、気のせいじゃねぇのぉ?」
「んなわけねぇだろ!今も震えてるくせして」
「あああもういい!もういいから夢の話は忘れろほっといてってば!」
「だったらそんな泣きそうな顔してんじゃねぇよ、バカ。辛そうにしてんじゃねえ」
「別に、なんともねえもん」

なんともないと言いつつ、八の字になった眉で不安げにサスケの様子を伺うと、サスケは真顔のままナルトのおでこに渾身のデコピンをお見舞いした。ピシ、と小気味よい音がナルトの頭蓋を震わせる。
痛いと講義するとサスケは「ざまあみろ」と言って笑った。

「くっだらねぇことで泣きそうになりやがって。つかあり得なさすぎだろそんな夢。このドベが」
「ど!ドベ言うなってばよ!」
「うるせぇ!たかが夢で恋人に不安になられたこっちの身になれ。分かるかこの気持ち、悲しいんだからな!?」
「……………ああ、その、うん」
「分かったならほら、目ぇつぶれ」

目を瞑ると程なくして、ちゅっと音をたてながらたくさんキスをされた。赤く腫れたひたいをベロンと一舐めして、その後はまぶたにほっぺに鼻の先に首筋に肩に胸に、バードキス。しばらくそのままされるがままだったナルトも、朝っぱら盛ってんじゃねーぞといよいよ抗議しようと口を開いたが、想定内だと言わんばかりのサスケにキスをされ、目を白黒させるだけに終わった。
そうしてしばらくした後、ナルトが落ち着いた頃合いを見計らって、サスケは唇を離した。


「…………ナルト。何回も言うがそれは夢だ。心配しなくてもオレはちゃんとお前の近くにいる。どこにも行かねぇ」
「…………」

切なそうに額を寄せるサスケの表情は、真剣そのものである。あまのじゃくなサスケからこんな言葉が口から出ることなんてまずあり得ないと言っても良い。そんな言葉を俺から催促されずに言ったということはつまり、それくらい心配をしてくれているということだった。


「………ごめん、サスケ」
「許さん」
「ごめんってば」
「冗談だ。だから早く忘れちまえよ。そんな夢、なあ」


ナルトの髪に顔を押し付けて、サスケは呟く。埋めて篭った声色は、泣いてるようにも聞こえた。






(ああなんだ。夢なんて宛にならないじゃないか。サスケはずっと俺の傍にいるし、俺を憎しみの対象にはしない。血濡れた夢は正夢にはならないはずだ。あんなつまらない夢に何を怯えていたんだろう。くだらない、くだらないから早く忘れてしまおう。だってあれは嘘だ。まやかしだ。面白くもない冗談みたいなもんだ。そうだろ、サスケ。俺達はずっとずっと一緒なんだから。)








リゼ