桜花の夢一1ページ目


一一懐かしい夢を見た。 その夢は私が一番見たくない夢だった。 幼い頃私とゲンジがアサノ家にあった大きな桜の木で遊んでいた時の事だった。

『アンジュ! 危ないから降りてきなさい!』

姉様が心配そうな顔をして下から声をかけてきた。 幼い私は顔を下に向けて大きな声で言った。

『大丈夫だよ! 姉様!! ゲンジも一緒に遊んでるもん! ね?ゲンジ?』
『ああ! 何かあったら俺が助けるよ!』

自信満々と言った表情で言ったゲンジに私は安心した。 桜の木まで連れてきてくれたのはゲンジだったこともあってか…私は何かあってもゲンジが助けてくれると信じていたのだ。 一方で姉様は私とゲンジのやりとりを聞いても安心出来ていないのか…ますます眉間に眉を寄せていた。 姉様の心配そうな視線を気にせずにゲンジと手と手を合わせて押し合いをしていた一一その時だった。

『わっ…!?』
『アンジュ!!』

一際強い風が吹き、桜の花弁が舞った。 私は風に驚き、バランスを崩してしまった。 ゲンジが私の手を取ろうとしたけれど間に合わなかった。

『一一一』

悲鳴を上げる隙もなかった。 桜の花弁に攫われ、下に落ちてしまう恐怖が幼い私を襲った。 勢いよく木の下に落ちたらどうなるのか…幼いながらも理解した私は諦めて目を閉じた。


『アンジュ殿!!』
『!?』

鋭い声が花弁の隙間から聞こえてきた。 それと同時に黒い影が飛んでくると私を抱き抱えて木の下へと舞い降りた。 その人は一一ハンゾー様だった。


『お怪我はありませんか?』
『……はい…』

ハンゾー様は、私の命の恩人だと思った時一一涙がこぼれ落ちた。 『どうされました?』とハンゾー様が困った顔で言われたので私は首を横に降りながら言った。


『たすけて、くれて…うれしくて…! ありがとうございました…!』
『…拙者は当然のことをしたまで。 もうご無理をされないようにしてください』
『はい…!』

***


「………」

夢から目覚めたアンジュはゆっくりと目を開けた。 懐かしい夢だった。 あの時のことは今でもはっきりと覚えている。

(まだこんな時間なんだ…)

体を起こして時計を見ると深夜の0時過ぎだった。 実はマザーコンピューターに送るためのデータをまとめていたら、眠気が襲ってきたので軽く仮眠を取ろうと横になってしまったのだった。

(ハンゾー様…)

ふと、夢の内容を振り返る。 ハンゾーは自分にとってどういう存在だったかを思い出せる内容だった。 昔はよかった。 ハンゾーは姉だけでなく妹の自分にも親切にしてくれた。 例えそれが家同士の付き合いの為だったとしても自分はハンゾーのことを好意的に思っていたのだ。 それなのに一一《あの日》から全てが変わってしまった。

(このままじゃあ…ダメだよね。 ちゃんと向きわなきゃ…)

今までハンゾーのことを避けていたが…今のままの関係は姉にとっても自分にとっても寂しいものであると感じていた。 ただ、行動に移せないだけでハンゾーのことを避けることしか出来なかった自分が恥ずかしかった。 今の自分は昔の自分とは違う。

(よし! ハンゾー様を探しに行こう!)

自分自身に気合を入れるとアンジュは部屋から出て、ハンゾーを探しに行ったのであった。


***


「…………」


ハンゾーは遅い時間まで鍛錬をしていた。ユリナミが『あまりご無理をなさらないでくださいね』とやんわりと言われていたのだ。 しかし今日は何故か早めに寝間に行ってはならぬと自分自身が訴えていた。 その理由を考えていた時だった。 背後から視線を感じた。 初めは気のせいだと思っていたが、気配を隠しきれていない。 あの屑かと思ったが、気配の消し方は彼奴が熟知しているはずなので2度目の失敗はないはず。 疑問に思ったハンゾーは気配をもう一度探り直した。 すると意外な人物が自分の後ろにいたことに僅かに目を見開いたが、いつまでも付いてくることに深いため息をつき、足を止めてから言った。


「いつまで付いてくる気だ?」
「!」

ハンゾーの声にアンジュは慌てて廊下の角に隠れた。 その様子も分かっているのか…ハンゾーは少し視線を背後にやりながら言った。

「隠れても無駄だ。 姿を見せろ」
「………」

やはり一流の忍者には敵わない。 叱られる覚悟を決め、アンジュはゆっくりと姿を見せた。

「何用だ?」
「…あ、あの……話したいことがあって…」
「…………」

ハンゾーの鋭い視線を受け、アンジュは今すぐこの場から逃げ出したいのを堪えると話したいことがあると何とか言えた。 ハンゾーは聞く気になってくれたのかその場で留まっている。

一今しかない。 今しかハンゾー様に言いたいことを言わないと…!一

自分自身を励ますと、アンジュは深呼吸をして、ハンゾーをしっかりと見つめながら言った。

「今日…夢を見たんです。 幼い頃私とゲンジがアサノ家の桜の木で遊んでいた時の夢です」
「!」

アンジュの言葉にハンゾーは目を見開いた。

「遊んでいる時に強い風がふいて…私が落ちそうになった時…ハンゾー様が助けてくれました。 あの時…嬉しくて泣いてしまったのを…覚えていますか…?」
「…………」

ハンゾーは視線を下に向けた。 随分と懐かしいことを言うものだと思った。自分の態度に『覚えていない』と判断したのかアンジュは寂しげに笑いながら言葉を続けた。

「突然変なこと言って…すみません。どうしても…ハンゾー様にお伝えしたかったんです」
「………」
「あと…もう一つだけ…ハンゾー様にお伝えしたいことがあります」
「?」

「…ゲンジを…手にかけたあの日一一酷いことを言って、すみませんでした…!!」
「一一」


一一目を大きく見開いたハンゾーは思わずアンジュの方へと振り向いてしまった。 アンジュは頭を深々と下げていた。

やめてくれ。 そんな事をされる資格は…自分にはない。
ハンゾーの願いはアンジュの言葉が続くことによって遮られた。

「私も…ゲンジがいないという現実を受け入れられませんでした。 でも…沢山の人達に助けてもらっていくうちに分かったんです。 私がハンゾー様を避けているということは…過去から逃げている事と同じなんだと思いました」
「………」
「だから…私は決めたんです。 ちゃんと向き合わないといけないって。 その為にはきっかけが必要でした。 それが…先ほどの夢の話だったんです」
「………」

顔を上げたアンジュの顔には涙の跡があった。 おそらくは泣きながら言葉を放っていたのだろう。 その事が余計にハンゾーの心に矢のように突き刺さった。 そろそろ言葉を発せねばアンジュはまた泣いてしまうかもしれない。 ハンゾーは頭の中で言葉を素早く整理すると呟くように言った。

「…そなたが謝るようなことではない。 全ては拙者が侵した罪なのだ」
「……っ」
「そなたは拙者を避けていると言ったな? それは拙者も同じことだった。 お互いに言葉を交わそうとはしなかった。 それだけの事だ」
「…ハンゾー様…」
「……拙者は…そなたとユリナミが生きているだけで十分だ。 まだ…守るべき者がいるのだから」
「…え…? もしかして…ずっと…そう思ってくれていたんですか…?」

「あぁ…そうだ」
「一一一」

今度はアンジュが言葉を失う番だった。 ハンゾーは姉だけが大切だと思っていた。 《守らなければならない者》として映っているのはユリナミだけなのだと。 ハンゾーの言葉の意味を理解した時また涙が溢れ返ってきた。 頬を伝っていく涙を拭うとアンジュは笑って言葉を放った。

「ハンゾー様に…そう言ってもらって、嬉しいです…! ありがとうございます…!!」
「………」

アンジュの笑った顔はユリナミの笑顔とよく似ていた。 やはり姉妹なのだとしみじみと感じているとまたアンジュが話しかけてきた。

「実は…前からずっと考えていたんですけど……これから私と2人きりで話す時は《義兄様》と呼んでもいいですか…?」
「……構わぬ」
「やった…!」
「………」

小さくガッツポーズを取ったアンジュにハンゾーは少しだけ笑った。 「あ!」とアンジュは大きな声で言うと自分の前へとやって来てから言った。

「今笑ってくださいましたよね!?」
「わ、笑ってなどおらぬ…!」
「嘘! ちゃんと見ましたよ…!」
「知らぬ…! それよりも早く寝床に戻れ…!」
「あっ!」
(あっという間に消えちゃった…)

アンジュの言葉にハンゾーは頬を赤くしながら目をそらした。 嘘だとアンジュに指摘されるも笑ったことを認めないまま、アンジュに背中を向けて早歩きに去っていってしまった。


「……」
(ま、いっか。 義兄様って呼んでもいいって言ってくれたし…これから…少しでも時間を取り戻していきたいなあ…)


思ったよりもハンゾーへ話すことが出来たことと彼の想いを知れたことが嬉しかった。


「明日姉様に報告しなくちゃ…!」

アンジュは明日ユリナミに嬉しい報告が出来ると思うと嬉しくなってしまい、スキップしながら自分の部屋へと歩いていった。



一一そんなアンジュを天井裏からゲンジが見つめていたことをアンジュは知らずにいたのであった。


END
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