第5話一1ページ目


一一わたしは、両親の顔を覚えていません。 小さな頃からずっと白い壁に囲まれた部屋で育ってきました。 《外の世界》を知らないわたしに地下研究所の人達は優しくしてくれました。 主にわたしと話すことが多いのは千歳様でした。


『お前は何も心配することはない。 ここで《夜刀神》様のために祈ってくれ。 いいな?』
『はい。 千歳様!』



千歳様の笑った顔は悲しくて切なそうな顔をしていた。 研究員の人達や美津子お母様は『千歳は恐ろしい人』や『あの人のやってる事は間違ってる』と噂していたけれど、わたしにはそうは見えなかった。
《大切な何かを取り戻そうと必死になっている》ように見えたんです。 きっと、こんな話は誰も信じてくれないと思いました。 どうして信じてくれないかは分からなかったんですけどね。 ある日わたしに勉強を教えてくれた先生が言ってたんです。


『人間に染み付いた恐怖は簡単には拭えないんだ。 それが人間が《不完全な生物》と呼ばれる所以なんだよ』


《不完全な生物》ということに疑問を持ったわたしはすぐに質問しました。


『じゃあ、わたしも《不完全な生物》なんですか?』
『とんでもない! 貴方様は《夜刀神》様の半身を宿す《影巫女》様なのです。 我々とは比べるまでもないのですよ』
『そうなんですか…?』
『そうですとも。 葵様。 もう少し自信を持ってくださいませ。 貴方様は我らの女神。 我らの神なのですから…!』
『…………』


先生の目はきらきらと星のように輝いていました。 小さな頃のわたしは先生が怖くなって、勉強が出来なくなってしまいました。 それ以降わたしの教育係は美津子お母様がしてくださいました。 美津子お母様は優しくて、同じ女性ということもあって、安心して勉強出来ました。
このまま平穏な日々を過ごしていたある日のことでした。 眠っていると誰かに頭を撫でられた感触がしたんです。


『ん…?』


最初は小さな違和感でした。 気のせいかと思い、もう一度目を閉じて眠気が来るのを待っているとまた撫でられたんです。


『?』


目を開けて、辺りを見回すも部屋は真っ暗で誰もいません。 いつもわたしの状態を観察してくれている研究員さんはいません。 誰もいないはずの部屋に《誰かがいる》ことが怖かったのを覚えています。


『誰か…いるんですか…?』


勇気を振り絞って、声を出して問いかけてみた。
すると冷たい風が流れてくると近くに置いていた心電図の機械が壊されました。


『ひゃっ!!』

夜遅くなので、千歳お父様と美津子お母様はいません。 とても怖くて震えていると冷たい風がぴたりと止まりました。

『?』

布団から少しだけ頭を出すと、わたしの目の前で《透明な何か》がゆらゆらと揺れているのが見えました。 耳を澄まして見ると、ひゅーひゅーと苦しそうな息が聞こえてきました。恐る恐る《透明な何か》に向かって話しかけてみました。


『大丈夫ですか…?』
『ア、アァ…』
『!!』


《透明な何か》はやっと声を出せたという様子でした。 次第に、ベッドのシーツに黒い雫が落ちていきました。 わたしは黒い雫が広がっていくのを見ている事しか出来ずにいると《透明な何か》が距離を詰めてきました。でも、先程の恐怖はわたしにはありませんでした。 ゆっくりと《透明な何か》話しかけてみました。


『どこか、怪我をしているのですか…?』
『……ア…ウ…』
『怖がらないで。 大丈夫です。 あなたのこと、怖くないです』
『…………』

《透明な何か》からゴクリという音が聞こえました。 わたしが静かにしていると《透明な何か》は震える両手で、わたしの両肩に手を置いて言いました。


『ワタシは……《夜刀神》デス』
『!!』


《透明な何か》は《夜刀神》様でした。 幼い頃からずっと教わってきた《夜刀神》様が目の前にいるということが信じられませんでした。


『夜刀神様は、私の中にいるはずでは…?』
『それは、アナタと人間達ノオモイコミデス。 マコトを、オシエテアゲマショウ。

先代影巫女達は、人間達ノ都合のいいように使われ、シンデイッタのです』
『一一一』


夜刀神様の言葉はとても衝撃的だったのを今でも覚えています。まさか…わたしより他の子どもたちが犠牲になっていったなど信じたくなかったのです。 だって、この地下研究所で一番偉い人は一一


『ソウデス。 千歳です』
『……っ』


わたしの考えていることを先読みした夜刀神様を睨みつけてしまいました。 ですが、無礼をしたにも関わらず…夜刀神様は許してくれました。
両肩に乗っていた両手はわたしの両頬に移ると愛おしそうに撫でながら言いました。


『葵。 よくお聞きなさい』
『!』
『私と貴女は一心同体デス。 貴女の体と魂はまだ未熟な果実ですが、花開く時が来るでしょう』
『………』
『ですが、貴女は何も心配せずとも良いのです。 今までの影巫女と貴女は違います。 全て私に任せれば良いのです。 いいですね?』
『はい…夜刀神様…全て、貴方様のお望みのままにしてくださいませ』


一一わたしがそう言った瞬間一夜刀神様は口元を歪めると姿を消しました。 わたしの意識と記憶は途切れては繋がってを繰り返しました。
夜刀神様はわたしに《夜月の仮面》を被せると、暴虐の限りを尽くしました。
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