第3話一1ページ目

薬師寺さんは緊張した面持ちで俺を見つめていた。 何を話そうか迷っているのか…手と手を合わせ指と指の間を行ったり来たりしていた。 小さくため息をつくと薬師寺さんを見つめながら言った。


『…俺に何か用があるんですか?』
『はい!! えっと……』
『………』

勢いよく返事をしたものの、彼女は中々話そうとしない。 顔をよく見ると赤くなっているように見える。 俺は再び顔を下に向けながらもう一度言った。


『用がないなら、出て行ってください。 今は誰かと話す気はないんです』
『…ごめんなさい。 それは、分かっているんです。

でも…どうしても…あなたに伝えたいことがあるんです』
『?』


薬師寺さんの言葉は先程と何かが違うように感じた。 何かを決意したかのような言葉に俺は顔を上げると一一薬師寺さんが目の前にいた。


『……っ』
『驚かないでくださいね』
『………』

突然の事に驚いていると、薬師寺さんは俺の手を握りしめながら言ってきた。


『今日…わたしとあなたは、《婚約》することになりました』


『……は…?』


薬師寺さんの言葉を、理解することが出来なかった。 《婚約》? 俺と…薬師寺さんが? 今日初めて会ったばかりなのに?
顔を引き吊りながら、俺は薬師寺さんに言い返した。


『…誰が、決めたんですか?』
『……千歳様です』
『ありえないでしょ…? 俺達は、今日初めて会ったんですよ?』
『それは…そうなんですけど…』
『………』


一一翠堂 千歳様。 《鬼狩》のトップリーダーであり、遊糸さんの育て親だ。薬師寺さんの口調から察するに、彼女も突然俺との婚約を言い渡されたのだろう。 なるほど。 中々話さなかった理由が分かった。 女性にとって結婚することは重大な決断のひとつだ。 それを…交流もさほどしていない男と《婚約》しろだと言われてみろ。 戸惑うのは当たり前だ。
段々と千歳様に対する怒りが込み上げてきた俺は立ち上がった。 薬師寺さんは驚いた様子で『あの…』と遠慮がちに聞いてきた。 俺は彼女を少しだけ見たあとすぐに顔を反らした。


『千歳様に抗議してきます』
『えっ!? そ、そんなことしたら…!』
『俺がどうなろうと構いません。 組織内でのいざこざは貴女には関係ないことです』
『で、でも…!』
『…何を怯えているんですか?』
『!』

俺を引き留めようとしているのか。 先程から手を伸ばそうとして伸ばしていない。 薬師寺さんの声音も震えていることから怯えているのだろう。 俺の指摘に彼女は肩を大きく跳ねさせた。


『千歳様に伝えたいことがあるなら、伝えますよ』
『いえ! 大丈夫です…!』
『では、何なんですか?』
『……っ…』
『薬師寺さん…!?』


薬師寺さんは突然腹部を抑えると前屈みになった。 車椅子から落ちそうだと思った俺は彼女の両肩を支えようとした時一一強い力で両手を握られた。


『ぐっ…!!』
(なんだ…!?この力は…!! どこからこんな力が…!!)

『《全く…手の掛かる子ダ》』
『!?』


顔を上げた薬師寺さんの目には一一群青色の光が宿っていた。 今喋っているのは、薬師寺さんじゃない…!


『お前は…何者だ…!?』

俺がそう言った瞬間一一手首の骨が折れた。 突然の激痛に声無き悲鳴を上げている間に空中に浮いたかと思えば、強力な力で壁に叩き付けられた。

『く…は…』

呻き声を上げていると、薬師寺さんが立ち上がり、俺の元に瞬間移動の力を使って目の前にやって来た。


『《言葉に気を付けなさい。 ワタシを誰だと思っている?》』
『知らないね…! さっきも言っただろ…! お前は何者だってな!!』
『《!》』


利き手の右手の手首を強制的に元に戻すと、鬼越を構えた。 薬師寺さんの中にいる《何か》は軽く目を見開くと、ひとつ頷いてから言った。


『《素晴らしいデスね。 さすがは鈴鹿御前のカゴを受けているだけのことはある》』
『?』
『《アナタの体から滲み出る《負の感情の塊》はワタシの好物です》』
『何を言って一一』

『《牧野 翔太。 葵とアナタは結ばれる運命にあるのです。 それを忘れては…なりませんヨ》』
『!』

意味深げな言葉を言い残した《何か》は薬師寺さんの中へと戻っていった。 胸を撫で下ろす暇もなく、俺は意識を失った薬師寺さんを慌てて支えた。 間一髪で彼女の体を支えるとそのまま車椅子の背もたれへと戻した。


『………』
(俺と薬師寺さんは結ばれる運命にある…か…)


結局薬師寺さんの中にいた《何か》の正体は分からなかった。 頭に残っていたのは《何か》の言った言葉だけだったからだ。


一薬師寺さんと初めて会った時…突然の婚約に驚いてしまって冷たい態度をとってしまった。 その事を薬師寺さんに謝ると彼女はすぐに許してくれた。
遊糸さんから聞いた話だが、薬師寺さんは《夜刀神》様を宿す《影巫女》と呼ばれる存在だった。 位で言えば《鈴鹿御前》様を宿す咲羽様と同等の存在らしかった一


だが、俺と二人きりで話した時の薬師寺さんは普通の女性に見えた。話している内に、俺達は惹かれあっていった。 ある日のことだ。
いつも通り俺と薬師寺さんは二人きりで話していると、彼女は俺の手手に自分の手を重ねながら言った。


『わたし達…婚約者ですよね?』
『あぁ…そうですね』
『だから…その…お互いに、もっと気軽に話さない?』
『………』


軽く目を見開くと、薬師寺さんは顔を俺の胸に寄せながら言った。


『《翔ちゃん》って呼んでもいい?』
『しょ、翔ちゃん…!?』
『だ、ダメかな…?』
『………』


予想外の呼び名に頬が熱くなるのを感じた。 なるほど。初めて会った時の薬師寺さんもこんな気持ちだったんだな。 薬師寺さんよ上目づかいに心臓が脈打つのを感じながらも俺はひとつ咳払いをしてから言った。


『いいぞ』
『やった!! ありがとう!! 翔ちゃん!!』
『ただし…人前ではやめてくれよ。 特に遊糸さんは絶対にからかうからな』
『え? うん。 分かった』
『じゃあ…俺も《葵》って呼ぶことにするよ』
『! もう1回!もう1回言って!!』
『葵?』
『えへへ! これで、わたし達もっと仲良くなれるね!』
『…そうだな』

葵が何故もう一度名前を呼ぶことを求めたのかは分からなかったが、幸せそうな葵を見れたので気にしないことにした。葵と一緒にいる時は《復讐》のことを考えずに済んだ。 五十嵐への《答え》も考えずに済んだ。 《鬼狩》が本格的に動くのは《坂井 真樹枝》のシナリオが終わってからだと遠野博士に聞かされた。
その間に葵との時間を大切に過ごそうと思っていたある日のことだった。


『翔ちゃん』
『ん?』
『遠野博士から聞いたんだけどね…もうすぐ大変な任務に参加するの?』
『……まあな』

今にも泣きだしそうな顔で葵が問い掛けてきた時一俺は遠野博士を殴りたい気持ちになった。
遊糸さんによれば葵は俺達が《外の世界で何をしているのか》を知らないらしかった。 そんな彼女が《大変な任務に参加する》と聞いたら心配するに決まっているというのに。
俺がはっきりと答えると、葵は俺に抱き着いてきた。体が震えていることに気付くと葵を優しく抱き締め返しながら言った。


『葵。 心配なら…俺と《約束》をしよう』
『《約束》?』
『ああ。 そうだ』

少しだけ葵と距離をとると俺は小指を葵に差し出すと続けて言った。

『もう少し元気になったら…遊園地に行こう』
『えっ…!? いいの? 翔ちゃん!?』
『あぁ…今は仕事で忙しいけど…落ち着いたら、一緒に行くって約束するよ』

一葵の瞳から涙が零れ落ちたが、すぐに笑顔になると小指を差出すと俺の小指と絡ませながら言った一


『嬉しい…! ありがとう! 翔ちゃん!! わたし、がんばるからね!!』
『…何を頑張るんだ?』
『えっと…わたしが、翔ちゃんの《帰る場所》になるから! だから…今よりも元気になって遊園地に行こうね!

《約束》だよ!』
『……葵…』
『ふふ!1度言ってみたかったの! どうかな?』


一葵の笑顔に、どれだけ癒されたのか分からない一


『ありがとう…助かるよ』
『うん! 《約束》のために…お仕事頑張ってね! 翔ちゃん!』
『頑張るよ』


一俺は心の中で決意したんだ。 葵のために、これからを生き抜いていくと誓ったんだ一


3ヶ月後…《鬼狩》作戦実行された。 俺達は五十嵐達より有利な立場に立っていた……はずだった。
まさか…《あんな結果》に作戦が失敗するとは思いもしなかったのであった。


END
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