第9話一1ページ
一一夢を見たのは、久しぶりだった。 目を開けると部屋の中は白い霧で満たされていた。 一瞬毒ガスと思ったので起きようとしたが、金縛りにあったようで動くことは出来なかった。
恐怖は感じなかった。 ただ、何が起こってるのか理解できなかった。 動揺することなどこれまでなかったというのに…この時ばかりは困惑していた。


(なんだ…? 一体何が起こってる…?)


目だけを動かし、状況を確認すると…鈴の音が聞こえてきた。


「!」
『案ずるな…そなたに害はない』
「一一一」
(まさか…!? 千景様…!?)


鈴の音と白い蝶を纏いながら現れたのは顔を傘布で隠した男だった。 初めて声を聞いたが、3つの星と月は家紋としているのは私の家しか有り得なかった。


「千景様…! お会いしとうございました…!!」
『ああ…私もだ。 現当主よ。 聞きたいことがある』
「はい。何でしょう?」
『何故…双鬼の子孫達や関係ない人間達を巻き込んで非道なことをした?』
「そ、それは…貴方様の魂を、お救いするためです…! 祖父や父の長年の夢を私が叶えたかっただけなんです!」
『愚か者っ!!』
「…っ…」


千景様のお怒りの言葉に身が竦んでしまった。私の目の前に白い蝶が飛んできたかと思えば、それは千景様だったことに気付いた。 彼は錫杖を持つ手を震わせながら、言葉を搾り取るように言った。


『私は…!! 救ってほしいとは頼んでいないぞ…!!』
「しかし…! 祖父はあなたの助けを求める声を聞いたと手記に記しておりました!! それが間違いだったと言うのですか!?」
『そうだ。 誤ちだ。 鈴白の森に来てからは何年か経ってからではないと声が出せなかったからな』
「そんな…バカな…!?」
(お爺様が嘘をついていたとでも? いや!そんなはずがない!! 誰かに嘘をつくことを嫌っていたお爺様がありえない…!)


私は今まで信じてきたものを崩される感覚に陥った。 祖父が嘘をついていたなら、父も嘘をついていたということになる。 簡単には信じられなかったが、千景様を疑うことも出来なかった。 私の中で疑問と混乱の渦が渦巻いていると千景様は私と同じ視線になるように屈み込むと言った。


『千歳よ。 もう良いのだ』
「え…?」
『私はそなたのしようとしたことを望んではいなかった。 そなたの願いは砕かれたかもしれない。 そなたの夢は果たされなかったかもしれない。
だが、命を絶つことだけは…してくれるな』
「…………」
『命を絶てば…誰が悲しむと思う?』
「……」


一真っ先に思い浮かべたのは…美津子と咲羽の顔だった一
2人のことを思い浮かべた瞬間一涙が零れていった。 栓を外したように涙は滝のように流れていった。 止めようとしても止まってはくれなかった。子どものように泣いていると千景様の白い手が私の頬を撫でると涙を拭き取ってくださった。


『そなたには…愛する者たちがいるのだろう? ならば…その者らを守り、愛してやれ。 さすれば…今まで犠牲になってきた者達への罪滅ぼしにもなるだろう』
「……はい。 分かりました」
『うむ。 それで良い。 それからな…鈴鹿御前様からそなたの中に宿り、監視しろと名が出たのだ。そなたを監視するのは私の半身を宿すことになる。 異論はないな?』
「ありません」
『よろしい。 では…目を閉じなさい』
「…………」


言われた通りに目を閉じると頭を2回撫でられた感触がした。 千景様の気配が消えたと感じると再び目を開けた。 部屋には白い霧はなく、白い蝶はいなかった。


「!」


『ここにいる』と存在を主張するかのように腹部が唸った。 オロチ様を宿していた時と違うのは…唸ってから待っていたのは《苦痛》ではなく心地よい何かだった。
《千景様と共に生きられる》…今の私にとってはそれが嬉しくもあり、生きる目的となったのだ。


「ありがとうございます……千景様…!」


誤ちを冒した私を許しただけでなく、美津子と咲羽を愛いし『生きろ』と言ってくださった先祖に感謝の意を示すと、また涙が頬を伝っていった。


***


千景様との邂逅から一夜明けたある日のことだった。 咲羽と共に中庭の花達に水をやっていると「あなた。お客様ですよ」と美津子が声を掛けてきてくれた。振り返ると遊糸が頭を下げていた。


「…咲羽。 水やりは母さんとやっててくれるか?」
「はい。 分かりました」


幼い頃から親にも敬語を使えと教えてきたせいなのか…咲羽は中々私にも美津子に対しても敬語を使っていた。 ただ『父様』と呼ぶことはなくなったことが唯一の救いと言えただろう。中庭に美津子を呼び、水やりを頼むと私は遊糸の元へと向かった。遊糸は私に対して一礼すると穏やかな口調で言った。


「お久しぶりです。 千歳様」
「あぁ…久しぶりだな」
「お話しても…大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」

「…………」


遊糸と共に私は客間へと案内することにした。 2人の後ろ姿を咲羽は心配げに見つめていた。


***



客間に遊糸と共に入った。 和室の部屋には机と2つのソファーが向かい合うように置かれていた。 私と遊糸はそれぞれソファーに座った。 遊糸はにこりと笑ったかと思えば穏やかな口調で言った。


「咲羽ちゃんと美津子さんと仲直りされたようでよかったです」
「うるさい。 放っておけ」
「はは。 すみません」


遊糸の言葉に顔を逸らしながら言った。 若干頬が熱いのは気のせいだろう。 千景様の半身が憑依されてからは穏やかな気持ちになった。 今まで流れてきた負の感情は何だったのかと思うほどだった。 夢が終わる間際に鈴鹿御前様の姿が見えた。 黙っておられたままだったが、ゆっくりと頷かれていた。 あれはきっと…私の罪を許してくれたという証なのだろう。 千景様が今まで鈴白の森で様々な魂を流し、天へ導いてきたからこそ私の罪は許されたと千景様の半身が教えてくれた時は…また泣いてしまった。
《夢で起こった出来事》を知っている咲羽は何も聞かなかった。 ただ、私の手を握り締めると何度も頷いてくれた。 美津子には何も話していない。 私に対していつもと変わらずに接してくれた。


「遊糸。 私に何を話しにきた?」
「………」


昨夜のことを思い返している時…ふと遊糸といることを忘れてしまっていた。 黙り込んだ遊糸に私は彼が言いたいことを察していたが、あえて問い掛けてみた。 遊糸は深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。


「…遠野博士から《30年前の真実》を聞きました」
「……そうか」
「…驚かないんですね」
「察していたさ。 お前の考えていることが分からないと思ったのか?」
「流石です。 では…私の《決意と覚悟》を言わせて頂きます」
「………」

「私は……あなたと遠野博士を、許します」
「一一」


遊糸の言葉に目を大きく見開いた。


「今日《本当の両親》の元に行ってきたんです。 そして謝ってきました。 あなたと遠野博士を許すということは…両親の死を認めると共に罪を見逃すことでもあるからです」
「……っ」
「私の《覚悟》は…あなたと遠野博士を許す代わりに…間違いを起こさないように監視することです」
「!」


顔を下に向けていた私は素早く顔を上げた。 遊糸の《目》は憎んではいなかった。


「何故だ…?」
「はい?」
「私と遠野のやったことを…何故許せる? 何故そんな穏やかな顔になれる?」
「……」
「全ての始まりと過ちは、私のせいで起こったんだ!! お前に許されなくてもいい! いや! 許される資格など無いんだ!!」
「…千歳様…」


声を荒らげる私を初めて見た遊糸は驚きの表情をしていた。 そうだとも。 今までどれ程の人間を巻き込んだと思う? 犠牲にした人々の中には幼い命さえあったのだぞ?
いっそのこと私のことを殺せばよかったんだ。 『お前のせいだ』と責めればよかったんだ。恨みや憎しみを私にぶつければよかったんだ。

「!」

黒い感情が渦を巻いていると心臓が大きく高鳴った。 腹部を抑えると千景様の半身が『落ち着け』と言っているようだった。 ようやく冷静になれた私はひとつ息を吐き出してから言った。


「…遊糸。 覚えているか?」
「?」
「スパイとしてお前を訓練していた時…あまりの出来の悪さに鬼越を向けたことがあっただろう?」
「…はい。 覚えています」
「あの時私は自分が《間違っている》ことをしているとは思っていなかった。それ以外にも…お前に酷な事をさせてきた私を…許してくれるのか…?」
「勿論です。 それに私は…千歳様に感謝しているんです」
「感謝…?」
「《本当の両親》を失って、途方に暮れていた私を…千歳様は父親代わりとなって育ててくれましたよね?」
「あれは…スパイとして育てるためで…!」
「その為だとしても…私は、嬉しかったんです」
「!」

遊糸が涙を流していることに気付くと、言葉を失ってしまった。

「あなたが父親代わりとなり、美津子様が母親代わりとなってくれたこと…本当に、感謝しています」
「……遊糸…」
「あなたと遠野博士がやったことを秋人君達は許してくれないでしょう。 それは私も同じです。 だから…私だけは…あなたと遠野博士の味方でいたいんです」
「……っ」

私は遊糸の言葉を聞き終わると、両手で顔を覆い泣き始めた。 立ち上がった遊糸は私の隣に来ると私を静かに抱きしめてくれた。 今は彼の優しさに甘えることにした。 私が落ち着くまで遊糸は背中を撫でてくれていたのであった。


END
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